「これ以上の安全対策は、子どもを守ることにならない」~川崎無差別殺傷事件から何を学ぶか 1

 世間の耳目を集める大きな事件が起こると
 議論は急速に高まって あらぬところに私たちを連れて行ってしまう
 しかし学校の安全対策に これ以上の力を使ってはならない
 人的手当のない対策の上乗せは
 学校や子どもを疲弊させるだけ で長続きもしない
 そんなことよりも もっと重要な問題がある
というお話。

f:id:kite-cafe:20190531055356j:plain(ヒューゴ・シンベリ 「傷ついた天使」)

【渦巻状に盛り上がる論議

 今日で事件から4日目です。

 起こったのが朝の時間帯だったため、28日のワイドショウは現場に記者を走らせ、目撃者にや警察に取材して、何があったのか具体像を示すのに精いっぱいでした。それが第一日目です。

 二日目は「登下校時の児童生徒をどう守るか」という話題が中心となりました。しかし被害に遭ったカリタス学園の安全対策がほぼ完ぺきで、これ以上の打つ手はないというところから始まる話し合いは混迷を深めます。

 “諸外国では・・・”ということで紹介されたイギリスでは、児童生徒の登下校は親が責任をもって行うことになっていて、15歳未満の子どもをひとりで留守番させるだけで法律違反になるとかで、話は一気に盛り上がり、
「なぜ、イギリスはこんなに厳しいのか。それは子どもの犠牲になる犯罪が何度も起きているからだ」
「では、なぜ日本にはそうした厳しい法律がなかったのか」
「そうです。日本ではそうした事件がこれまでなかった、だから緩かった」
「しかし今回、実際にこのような事件(川崎無差別殺傷事件)が起こってしまった。ということは、見本ができてしまったわけだからこれからもどんどん起こるようになる」
「すると日本もイギリス並みの厳しい法律で立ち向かわないと子どもを守れなくなる」
と、どんどん飛躍していきます。

 材料が出そろわないのに話を始めるので同じところをグルグル回るしかなく、回っているうちにらせん状に高まってこうなるのです。
「今回、実際にこのような事件が起こってしまった」
 だからといって
「これからもどんどん起こるようになる」
とは言えません。

 

【同じ犯罪は簡単には起こらない。起こるにしても稀】

 有名な大阪教育大付属池田小学校の事件が起きたのは2001年のことです。以来18年間、確信的な犯罪者が学校に侵入して児童生徒を次々と殺傷するというような事件は一度も起こっていません。

 相模原の障害者施設で19人が殺され、26人が重軽傷を負った事件から3年が経ちます。あのときも「深刻な障害者差別が同様の事件を次々と引き起こすはずだ」という予言が専門家の口から語られ、全国の障害者とその家族を言い知れぬ不安に陥れましたが、幸いそのようにはなりませんでした。
 ならないのが当たり前です。日本は戦争の当事国でも犯罪者の支配する国でもないからです。

 しかし池田小事件以来、大量殺人をもくろむ侵入者を想定した避難訓練は、毎年、日本全国の学校で行われ、侵入者に扮した警察官と教員が、模擬刀やサスマタを振り回して格闘するという場面が繰り替えされています。
 一方で増え過ぎたカリキュラムのために授業時間の確保が問題となり、他方であまりの迫真の演技に小学校1年生あたりがトラウマに罹ったといった話が出てもです。

 2004年の奈良小1誘拐殺人事件以来、全国の学校では地域に見守り隊を組織し、集団登下校で子どもを守る仕組みが整えられたりしました。
 以来15年、年間200日もの間、全国の学校では上級生が下級生を率いて登校(時には下校も)する集団登校の姿が見られるようになっています。

 しかし今どきの子どもは相手が上級生だからといって簡単に言うことを聞いたりはしません。登校グループの内部では年がら年じゅう問題が起こって、やれ置いて行かれたのいじめがあったのと、「これでは集団不登校になりそうだ」といった笑い話もささやかれるほどです。
 そしてこんどはその登校グループが、誘拐犯ではなく、自動車にまるごと天国へ連れて行かれる恐怖と戦わねばならないのです。

 

【川崎の事件にもかかわらず、登下校の安全対策を拡充してはいけないわけ】

 28日の事件をもとに、「すべての保護者が責任をもって子どもを学校に連れてくる」そんな制度がつくられる可能性はありません。有権者の総スカンを食らうような政策を、政治家が打つはずがないのです。
 その代わり、「各自治体・各学校は責任をもって児童・生徒の登下校時の安全確保に努めるように」といった指示が出され、実際に何をやったのかという報告が求められるはずです。

 指示されたところで地方に人を雇う金なんかありませんから、結局ボランティアが募集され、タダで使える教員とともに何らかの活動を、形だけでも始めるしかないでしょう。また教員の時間が奪われます。

 やめてもらいたい。
 
 今回の事件は38万㎢という広い国土と1億2600万人にも及ぶ巨大な人口を有する日本の、ごく一部で起こった特殊な事件です。レアケースであってコモンではない。
 そんな事件を勢いだけで、必要もなく普遍化してはいけません。普遍化したうえで対応を急げば、禍根を残します。
 正しいと思われること、子どもにとって良いと思われることは、一度実施されると延々と辞められないからです。どんなに形骸化しても形だけは残る。
 そして人的・時間的に余裕を失っている学校は、直接、いま困らないことは片っ端、形骸化させてしまうからです。

 本質的な改革は、児童生徒が襲われ殺されるような事件が毎年何件も起こるアメリカのような国になって初めて考えればいいこと。現在はせいぜいのところ、「スクールバス利用者の安全確保に関するマニュアル策定」くらいに収めておけばいいのです。そうしておかないと、大変なことになります。

 

【事件は特殊だが、容疑者は一般的】

 事件から三日目の昨日は、前夜、市の担当者から、
「自殺した51歳の容疑者が引きこもり傾向にあり、家族から相談を受けていた」
という情報提供があり、そのためワイドショウはこの話題で一色になりました。

 登下校の安全対策と違って、こちらは放置できません。
 事件は特殊ですが、中高年の引きこもりが保護者を失って、何のスキルも財産もないまま社会に放り出されるという事象は、これから続々と増えていく一般的な話だからです。

                                (この稿、続く)