文体�@

 あるレストランで、一人の女優が友人にからかわれる。

「結局キミが一流の女優だっていったって、脚本がいいから観衆を泣かせられるのであって、

良い脚本なしに何もできないものさ」

 それを聞いた女優はすっと立ち上がり、手元にあったメニューを持ち上げるとそれを朗々と読み上げた。するとあたりにいた人々はそのあまりにも悲しい調子に、はらはらと涙を流したのであった。

 いつ、どこで聞いたものか忘れましたが、「表現は他の手段を借りずとも単独で成り立つ」という話です(たぶん作り話でしょうが)。

 教科書にも載っている宮澤賢治の「やまなし」は、初めのうち何をやっているのか分からなかったのですが、ある日突然気がつきました。これは言葉で絵を描いているのです。そのことは賢治自身が最初の一行目で「小さな谷川の底を写した、二枚の青い幻灯です」と言い、最終行で「私の幻灯は、これでおしまいであります」と言っていることでも明らかです。

 

 蟹の子供らはもうよほど大きくなり、底の景色も夏から秋の間にすっかり変りました。 白い柔かな円石もころがって来、小さな錐の形の水晶の粒や、金雲母のかけらもながれて来てとまりました。

 そのつめたい水の底まで、ラムネの瓶の月光がいっぱいに透とおり天井では波が青じろい火を、燃したり消したりしているよう、あたりはしんとして、ただいかにも遠くからというように、その波の音がひびいて来るだけです。

 蟹の子供らは、あんまり月が明るく水がきれいなので睡らないで外に出て、しばらくだまって泡をはいて天上の方を見ていました。

 ここには何の思想も心情もなく、ただ美しい水底の風景があるだけです。

 別の文。

 学校の設置者の変更についての認可の申請又は届出は、それぞれ認可申請書又は届出書に、当該設置者の変更に関係する地方公共団体公立大学法人地方独立行政法人法 (平成十五年法律第百十八号)第六十八条第一項 に規定する公立大学法人をいう。)を含む。以下この条において同じ。)又は学校法人(私立の盲学校、聾学校養護学校又は幼稚園を設置する学校法人以外の 法人及び私人を含む。)が連署して、変更前及び変更後の第三条第一号から第五号まで(小学校又は中学校の設置者の変更の場合において、新たに設置者となろうとする者が市町村であるときは、第四号及び第五号を除く。)の事項並びに変更の事由及び時期を記載した書類を添えてしなければならない。ただし、新たに 設置者となろうとする者が成立前の地方公共団体である場合においては、当該成立前の地方公共団体連署を要しない。

(学校教育法施行規則第七条の六)

ここにあるのはひたすら誤解を許さない、文章に正確さだけを追求する究極の姿です。

文章にはこれだけの幅があるのです。

 したがって文章力というのは、ただ読書をしていたのでは身につきません。ある目的に向かって、それにふさわしい修練をしないと手に入れられないのです。

 女優はメニューを読んで人々を泣かせます。しかしその同じメニューを読みながら笑わせることもできるはずです。

 同じように、書く内容とはまったく関わりなく存在する文章の形と言うものがあります。

 それを文体と言います。