英語もできないのに、略語まで出て来るとお手あげ。
それなのに巷には、英語の略称が溢れている。
もはや日本語に変換することが不可能なまでになったが、
時にとんでもない名訳に出会うこともある、
という話。
(写真:フォトAC)
【アクロニム(英語の頭文字をとった略称)が覚えられない】
普通の外国語でさえ頭に入って来ないというのに、英語の頭文字をとった略称(アクロニム《Acronym》というらしい)など、さらに覚えられません。
CIA(中央情報局)、FBI(連邦捜査局)、UFO(未確認飛行物体)、VIP(要人)、MVP(最高殊勲選手)くらいまでだと何とかなります。しかしここ10年余りに聞くことの多くなったMC(司会者)はメイン・キャスター(main caster)かと思ったらマスター・オブ・セレモニー(master of ceremonies)だそうで、逆に死語になったかもしれないDJがディスク・ジョッキーだということは分かるのですが「円盤(disc)、騎手(jockey)」って何?と改めて聞かれると困ります。
そもそもMCだってDJだって「司会者」で何の問題もなさそうですし、CIA以下、すべてカッコ内の表記で何の問題もないはずです。「中央情報局」は「CIA」よりも2文字も多いですが、2文字余計に使っても、意味が通る方がいいに決まっています。
もちろん略称にすることでとんでもなく字数が節約できるユネスコ(UNESCO:国連教育科学文化機関《United Nations Educational, Scientific and Cultural Organization 》)のような場合もありますからアクロニムがダメだという訳ではありませんが、大して字数が稼げないなら、原語のままか日本語でいいような気もしますがどうでしょう?
CDなどという言葉は、コンパクト・ディスク(compact disc)、現金自動支払機 (cash dispenser)を始めとして、ジュネーブ軍縮会議 (Conference on Disarmament)、クリスチャン・ディオール (Christian Dior)から、中日ドラゴンズ (Chunichi Dragons)まで、「英辞郎on the WEB」というサイトが調べたら、なんと394個もあったそうです。もちろん言葉を使うときには文脈というものがありますから簡単には間違ったりしないと思いますが、タレントのDAIGOさんみたいな遊びならともかく、普段の生活で安易に使うのもどうかと思います。特に日本の事物に関してわざわざアクロニムを使うこともないと思うのですがどうでしょう?
【日本語を英語に変えてまでアクロニムをつくる愚、日本語のままアクロニムをつくる愚】
そもそも日本には長い単語の場合、漢字を抜き出して略称とする伝統があり、文部科学省は文科省、日本産業株式会社は日産、東京芝浦電気株式会社は東芝、富士通は富士通信機製造株式会社から富士通へと、そうした形で愛称をつくってきたわけです(私がしばしば口にする「独禁懇(どっきんこん):独占禁止法懇話会」は実在しませんが)。
それを例えばTBSは、株式会社東京放送をわざわざ“Tokyo Broadcasting System Television, Inc.”などと英訳して、そこから社名も「株式会社TBSテレビ」にしてしまった。けれどそんな必要があったのか。
さらに言えばNHKなんて、日本放送協会で何がいけなかったのか。縮めたければ「日放」とか「日放協」とか「日協」とか、そんなふうにすればよかったのに、“NHK(Nihon Housou Kyoukai)って、ただの日本語じゃん”と思ったのは私一人ではないでしょう。
そう言えばよくドモホルンリンクルと混同する化粧品メーカーのDHC。「DH」までを「ドモホルン」だと思って「C」で行き詰まるのですが、あれが「大学翻訳センター」だって知っていました? 今でも翻訳業務は行っているそうですが――。 それによく似たDHAは魚に含まれる成分で、一時期、頭の良くなる物資として有名になったドコサヘキサンエン酸のこと。
DHCがあってDHAがあれば当然DHBもあるのではないかと思って調べたらやはりありました。
ドイツハンドボール連盟(Deutscher Handballbund)と、科学物質のゲンチジン酸だそうです(現地人さん?)。
【ADHDという用語自体が落ち着きを欠く】
私の妻は、医師の診断こそ下りていませんが、自他とも認めるADHD傾向の人です(”自他”のうち“他”の方は私です)。
このADHDという略称も困ったもので、もとになった英語“Attention Deficit Hyperactivity Disorder”は変わらないのに、日本語訳だけがしょっちゅう変わっているのです。
最初は「注意欠陥多動性障害」でした。それがいつのまにか「注意欠陥多動症」になったり「注意欠如多動症」だったり「注意欠如多動性障害」だったり、なかなか落ち着きません(その人にも、その表現にも、落ち着きがない)。
どれも似たようなものですが「症」だと肩こり症や便秘症のように《治療によって治る》印象が強くなり、「障害」だと知的障害や身体障害のように《根本的に治ることはない》といった印象になるので、やはり違うのです。また冒頭の「注意」のあとの「欠陥」と「欠如」も同じように違いますよね。
しかしこの命名で一番困るのは、大人になると多動はずいぶんと収まって「多動症」あるいは「多動性障害」とは言いがたい雰囲気になってしまうことです。じっと座っていられないといったことがなくなって、しかしADHDの人たちの多くが持つ「衝動性」はなかなか消えません。「注意欠陥(または欠如)衝動性障害」と変えてもらえば多少はいいのですが、そうした変更の可能性は今のところないみたいです。
だとしたらもっといい訳はないものだろうか――。それがここ数年、頭の隅にいつも引っかかっていたことでした。
【「おっちょこちょいだなあ、ばぁばは」】
先月、孫2号の七五三の祝いに東京に行ったおり、料理上手の妻はずいぶん張りきってさまざまな料理を作って持って行ったのですが、品数が多すぎて管理しきれず、おでんにつける特製のカラシを忘れたり、サラダのタルタルソースを忘れたり、極めつけは焼く前のアスパラの肉巻きを大皿ごと忘れたり――それを嘆く妻の言葉を聞いて孫1号のハーヴがポツリ。
「おっちょこちょいだなあ、ばぁばは」
そのとたんに膝を打って飛び上がろうとする自分を、私は抑えきれないような気持ちになります。
「そうだ! ADHDの日本語訳に《おっちょこちょい》以上のものはない」
そう思ったのです。
ADHDは伝染病ではありません。したがって大昔からあったはずで、それにふさわしい名前もついていたはずなのです。
「おっちょこちょい」
そこには注意欠陥も多動性も衝動性もみんな入っています。その上でこの症状(あるいは障害)に苦しむ人に寄り添い、守ろうとする暖かい視点も兼ね合わせています。
中途半端な使い方をするとからかっているみたいですから注意は必要ですが、
「ADHDとはおっちょこちょいのこと」
こころの隅に置いておけば、いろいろ便利に使えるかもしれないと思うのでした。