「取手市教委で何があったのか」〜事務局のいら立ち、学校の憂鬱

 一昨年、茨城県取手市の中学3年生女生徒が自殺した問題で、これまでいじめを認めてこなかった取手市教育委員会が態度を一転、いじめを認め、両親に謝罪したことが波紋を広げています。

【経緯】

 経緯を簡単にまとめると、

  •  一昨年11月、女生徒が自宅で自殺。
  •  数日後、保護者が「いじめられたくない」「死にたい」といった文章の書かれた日記を発見。
  •  同 12月、取手市教委は聞き取り調査の上、いじめの関する証言は得られなかったと結論。しかし同じ時期、両親は独自に調査を始めていじめを裏付ける証言を集めた。
  •  翌(2016)年2月、両親は第三者委員会の設置を申し入れる。3月、市教委は文科省の言う「いじめによる重大事態」に該当しないと議決。同時に第三者委員会の設置を決めた。
  •  同(2016)年7月、第三者委員会の調査が始まる。しかし調査委の聞き取りは家族関係やピアノの悩みの質問ばかりで両親は不信感を持つ。
  •  翌2017年、つまり本年3月、両親は市教委がすでに一年前「いじめによる重大事態」ではないという議決をしたことを知って抗議。実名公表に踏み切る。
  •  先月(5月)29日、両親は文科省に直接に指導を依頼。文科省は直ちに指導
  •  翌 30日、取手市教委は議決を撤回。自殺自体が「重大事態」であると発表した。
  •  31日、教育長が保護者宅を訪ねて謝罪。
  •  6月1日、市長が謝罪した上で、いじめがないことを前提とした第三者委員会につい解散する方向を示した。

 あちこちの記事をはぎ合わせると細かなところで整合しない部分もあって気になるのですが、大枠では間違っていない流れかと思います。

 このニュースを聞いて最初に抱いた感想は次の3点、

  1.  こんなことがまかり通るなら、明日から同様の案件が次々と文科省に持ち込まれるだろう。
  2.  “両親の意に添わない第三者委員会は解散”ということになれば、委員会の必要性はなく、最初から両親の意に添って結論を書けばいいということにはならないか。
  3. それにしても29日夜に文科省から電話で指導を受け、翌日にはさっさと全部ひっくり返してしまうとは、取手市教委の決定のなんと軽いことか。

といったことです。

 しかしあちこちの記事を読んだり聞いたりしているうちに、おぼろげに分かってきたことがあります。ここから先は私の勝手な憶測ですから、まったく違っているのかもしれませんがご容赦ください。

取手市教委は何を認めたのか】

 まず、一連の報道を見ていると、内容のあちこちに齟齬のあることが分かってきます。

 例えば29日なって取手市教委は「文科省の言う『いじめによる重大事態』に該当しない」という昨年2月の教育委員会議決を撤回し、「自殺自体が『重大事態』である」と訂正したということになっていますが、それはおかしいでしょう。
「生徒の自殺が重大事態」などというのは当たり前のことで、いまさら口にするようなことではありません。さらに言えばこの言い方は、昨年2月の教委議決と全く矛盾しないのです。それは二つの文をつなげて見ればすぐに分かります。
「(この自殺は)文科省の言う『いじめによる重大事態』に該当しない」
 しかし
「生徒の自殺自体は『重大事態』である」
 ――何の矛盾もなく、しかも言わずもがなの発言です。つまり何も反省していない、撤回もしていないのです。

 思うにこの発言をした人は、「いじめ」と自殺との因果関係にこだわっているのです。

「いじめ対策推進法」のこれに関わる部分は以下の通りです。

 第五章 重大事態への対処
(学校の設置者又はその設置する学校による対処)

第二十八条  学校の設置者又はその設置する学校は、次に掲げる場合には、その事態(以下「重大事態」という。)に対処し、及び当該重大事態と同種の事態の発生の防止に資するため、速やかに、当該学校の設置者又はその設置する学校の下に組織を設け、質問票の使用その他の適切な方法により当該重大事態に係る事実関係を明確にするための調査を行うものとする。
一  いじめにより当該学校に在籍する児童等の生命、心身又は財産に重大な被害が生じた疑いがあると認めるとき。
(以下、略)

 これを「『重大事態』に該当しない」と言った人は、「当該学校に在籍する児童等の生命、心身又は財産に重大な被害が生じた」場合でも「いじめにより」とは認められないなら『重大事態』ではない、そして今回の事案は「いじめ」によるとは確認できないから、「文科省の言う『いじめによる重大事態』に該当しない」――と考えたのです。それなりに筋が通っているようにも見えますが、実に単純な文章の読み間違いです。

「いじめ対策推進法」の条文を素直に読めば、いじめと自殺の間に因果関係が証明されなくても「関係がありそうだ」「関係があるかもしれない」と疑われるときには『重大事態』として対処しなさいと言っていることが分かるからです。

 調査の結果「いじめ」の存在が証明されたり不在が明らかになったり、どちらに転ぶか分からないが、とにかく丁寧に調査しなさいというのが法文の趣旨でしょう。それを「ちょっと“からかわれた”といったようなことはあったかもしれないが、それは自殺の原因ではないだろう」と言い切ってしまうのは乱暴です。
 いやしくも女子中学生が自死を選んだのです。もう少し丁寧な調査があってしかるべきです。

【教育部長は何を考えているのか】

 29日の記者会見で特徴的だったのは、教育委員長でも教育長でもなく、教育部長という肩書を持った人がいちいち挙手をして積極的に発言していたことです。
 ただひとり上着を脱いでいた点、何か怒ったような表情で強くぶっきらぼうにしゃべっていたことなどが印象深い人でした。しかしこの人の発言内容は明快です。

 記者の、
「お上に言われて慌てて(委員会を)開いた感は否めませんが、お考えを」
という問いかけには、
「それについては、敢えて言い訳はしません」
文科省の指導があったから態度を変えたことを認め、「いじめ」についても、
「ちょっとした『からかい』とかちょっとした『悪口』も、今の『いじめ防止推進法』によればこれは『いじめ』となります」
「(自殺の直前)当時いじめはあったかなかったのかという話をすれば、それは、いじめはあったと判断されます」
 まったく正論です。

教育委員会の構造】

「教育員会」という言葉には実は二重の意味があります。
 狭義の「教育委員会」は「地方教育行政の組織及び運営に関する法律」(地行法)に定められた組織で、普通5人の委員から組織されています。
 教育委員長を中心に非常勤で月一回以上会議を開き、教育の方向などを話し合います。しかし毎月一回では継続的な指導はできませんから、そのうちのひとりを定め常勤として毎日の教育行政にあたらせます。これが教育長です。
 しかし教育長ひとりですべてを束ねるなどできませんから、その下に実務グループを持ちます。それが「教育委員会事務局」、短く縮めて「教育委員会」、つまり二つ目の教委なのです。

 この広義の教育委員会は二つのグループから成り立っています。
 ひとつは学校の教育内容や教科指導、道徳教育や生徒指導などをつかさどるグループ。ここには学校から出向してくる教員や元教員が大勢入っています。
 もうひとつは学校の設備や備品などを管理するグループ。基本的には行政の人間で成り立っています。その後者の長が教育部長です。
 教育長は形式的には教育部長の上に立つ人ですが、実質的には同格と考えてよいと思います。 以上、そのような構造を考えると、取手市で29日から31日にかけて起こったことは何となく想像がつきます。

【行政マンの手腕】

 おそらく教育部長は本気で怒っていたのです。
 一昨年自殺した生徒の両親が文科省に行き、そのことが全国ニュースになった時点で次に起こることは容易に予見できたはずです。
 いやそもそも一昨年、市内の女子中学生が自殺して「いじめ」のうわさが出てきた時点でやるべきことははっきりしていました。

 大切な娘を自殺によって失ったご両親がいるのです。「いじめ」のせいかもしれないという、ほんの少しかもしれないが疑念もささやかれいます。だったら行うべきは丁寧な調査としつこいまでの報告、徹底的にご両親に寄り添って考える姿勢です。それ以外の道はありません。

 なのに危機管理のド素人、教育委員会の5人(教育委員長・教育長を含む)はロクに調べないうちから「いじめはなかった」と言い放ち、全国ニュースになって撤回の記者会見をしているこの期に及んでもなお、「生徒の自殺自体が『重大事態』」などとトンチンカンなこと言っている――こいつら馬鹿か?だから有識者というのは困るんだ!
――と思ったかどうかは知りませせんが、何かそういったものを感じさせます。

 取手市教委が文科省の指導を受けて、なんの抵抗も見せずにあっさりと議決を撤回した背景には、そうした事情があったのかもしれません。”議決”をしたのは狭義の教育委員会であり、それを撤回させたのが広義の教育委員会ーー別の言い方をすれば、本来は教育委員長か教育長が代表する教育委員会に、業を煮やした教育部長がしゃしゃり 出て、事態を大きく変えたのです。それは正しいことです。

 ただしその彼も気づいていないことがあります。

【学校関係者の憂鬱】

 子どもの自殺というのは親にとってはもちろん、教師にとっても最悪の状況です。こんな時こそ共に手を取り合い、支えあっていかなくてはなりません。それが原則です。学校は徹底的に保護者に寄り添い真相を究明すべきです。
 しかし同時に2年前、「いじめ」は確認できなかったと言ってさっさと調査を切り上げる方向にバイアスの働いた学校関係者の気持ちもわからないではないのです。

 女生徒が亡くなったのが 中学校3年生の11月。早いところでは私立高校の入試も始まっている時期です。朝学習、放課後受験教室とみんなが必死に取り組んでいるときに、受験生の心を動揺させるのは忍びない。明らかな「いじめ」があったのなら別だが、嫌疑だけで一人を2時間3時間と調べるわけにはいかない。それに生徒は30人以上いるのに、担任は一人なのだ。
 生徒一人あたりに15分をあてたとしても1授業時間に3人。33人の生徒全員と話すだけでも、まる2日以上を全部自習にしても間に合わない。しかも1回の面談ですむはずもない。
 もちろん人間一人が死んだのだからそんなことも言っていられないが、確たる証拠もないのにそんなことができるのだろうか。
 教師の、そして学校の憂鬱は続く。