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「サソリとカエルの物語」~度し難い傾向を持つ人々の話①

 「サソリとカエル」という寓話がある。
 度し難い性癖を持つ生き物の、悲惨な物語だ。
 それはしばしば国家や地球になぞらえられるが、
 もっと身近に、適切な事例はたくさんあるはずだ。
――という話。(写真:フォトAC)

【サソリとカエルの寓話】

 ネットをあちこち覗いていたら、TikTokで面白い寓話に出会いました。こんな話です。

サソリとカエル
 ある森に一匹のサソリがいた。
 サソリは川向こうへ行こうと思った。しかしサソリは泳げない。
 そこでカエルに運んでもらおうと思いついて話しかけた。
「カエルくん、俺を背負って向こう岸まで泳いでくれないか」
 カエルは断った。
「いやだよ。サソリさんを背中に乗せたらきっとボクを刺して殺すだろう?」
 するとサソリはこんなふうに言った。
「それはない。君を刺したらボクまで溺れ死んじまうじゃないか。そんな馬鹿な事をするはずがないよ」
 これに納得したカエルは、サソリを背負って川を泳ぐことにした。川の流れは穏やかで、サソリを背負っても何の問題もないように思えた。
 ところが川の半ばまできたとき、カエルはとんでもない激痛を背中に感じる。見るとサソリが背中に尻尾を突き立てていたのだ。急激に薄れていく意識の中で、カエルは問いかける。
「サソリさん、なぜ刺したんだい? これでは君も死んでしまうじゃないか」
 サソリは最期にこう答えた。
「ごめんよ、我慢できなかったんだ。これがボクの性(さが)なんだ」
 語り手はそのあと、こんなふうにまとめていました。
「約束がどれほど合理的に聞こえたとしても、人には変えられない本性がある。親切でいなさい、だが同時に賢明でもありなさい」

 この寓話、知らなかったのでとても感心しました。それにしても陰惨な話です。
 他人を信じたばかり殺されたカエルに何の救いもなく、本能に抵抗できず、カエルもろとも自分も死ぬと分かっていながら、刺さざるを得なかったサソリにも救いの手が伸びることはありません。物語の残す教訓は「世の中には決して信じてはいけない存在がある」「どんな言葉にもこころを許してはいけない」「もって生まれた性質には抵抗できない」――と、まるっきり身もふたもない話です。
 芥川龍之介の「猿蟹合戦」は復讐を終えた蟹とその仲間がやがて「猿殺し」で裁判にかけられ、主犯の蟹は死刑、共犯者たちは無期懲役になるというやりきれない物語でしたが、それ以上の陰惨さです。そういえば芥川には「蜘蛛の糸」という、これも救いようのない話がありました。

【どんな使われ方をしたのか】

「サソリとカエル」――初めて聞いたのでTikTokで見た外国人のオリジナルと思ったら、なんと古代ペルシャ時代からある有名な話だそうです。
 調べると対米戦争中のベトナムの子どもたちの間で流行したという説が数多くあり、ベトナム発祥の物語だと信じている人も少なくありません。サソリやカエルが何の擬人かという見立てもさまざまで、
「他国の戦争に介入してくるのは大国(アメリカ)の抗いがたい本能なのだ」
という人もいれば、
アメリカには勝てないと分かっていながら、それでも戦わずにいられないのが小国(ベトナム)の性なのだ」
と読み取る人もいます。あるいは、
「戦争では自分の身を守り敵を殺すのは人間の本能だ。だから誰も信じるな」
という文脈で話している人もいます。
 どの説が正しいのか、今のところ確認しようがありませんが、サソリはどう見ても悪役ですから、自国あるいは同民族をなぞらえることはなく、やはり大国(アメリカ)だと考えるのが妥当なような気もします。

 80年代~90年代になるとカエルを地球、サソリを人間になぞらえて、環境問題を説明する際に使う人たちが増えてきました。環境が破壊され、修復不可能になるかもしれないと分かっていながら、人間は地球を傷つけずにはいられない――という使い方です。

 「サソリとかえる」は検索するといくらでも出てくる話です。しかしそれでも私の目や耳に入ってこなかったというのは、知る人ぞ知るレベルの物語だからなのでしょう。Wikipediaには今も記述がありません。
 さらに言うとこの物語、国家だの地球だのといった大きな世界を説明するよりは、むしろ身近な人間や、人間関係を説明するのに都合がいいように思われます。

【ダメだと分かっていながらやってしまうこと】

 ダメだと分かっていながらやってしまうことは誰にでもあります。
 私なんか宿題を溜めたらきついことは、小学校の1年の時から学んでいたはずなのに、大学生になっても遊ぶことが優先されました。深酒をすれば翌日がつらい、余計なことを言えば喧嘩になる、計画的に使わなければ金もなくなる――みんなダメだと分かっていながらやってしまうことです。しかし「サソリとカエル」の寓話になぞらえるのはちょっと違うかもしれません。
 主題となっているのはもっと本源的で本能に近い欲望、絶対に抵抗できないおぞましい何かです。すぐに思い浮かぶのは、「プーチンは人を殺さずにいられない」とか「習近平は政敵を倒さずにはいられない」とか「トランプは好悪で世界を二分して、敵をたたかずにいられない」とか、そういったことです。
 あれ?
 これもやはり大げさだな。
 (この稿、続く)