カイト・カフェ

毎朝、苦みのあるコーヒーを・・・

「不眠のわけ」~老人たちの日々①

 寝つきが悪いということは少ない。
 しかし異常な時刻に目覚め、そして二度と眠れない。
 慢性的な睡眠不足と、不意の睡魔。
 老人の体の中で、何が起こっているのだろう。
という話。(写真:フォトAC)

【睡眠のサイクルとその逸脱】

 10代後半から20代にかけて結構な不眠に苦しみましたが、結婚後、というよりは子どもが生まれてから、その子の寝かせつけや読み聞かせのために添い寝をするうちに“寝落ち”の癖がついて、そこからはすこぶる寝つきが良くなっています。
 特に2年前まで、母の家で寝泊まりしていた都合12年間は、判で押したように10時20分就寝、4時20分起床の生活が続きました。4時20分というのはNHK国際ニュース(再放送)の始まる時刻です。

 それが昨年の2月から、母を施設に入れた関係で私も自宅で寝泊まりするようになり、超早寝の母の代わりに宵っ張りの妻と話すようになったら、就寝の時刻が少しずつ揺らぐようになりました。10時20分きっかりとはいかなくなったのです。
 ただしそうは言っても1時間ほど遅くなることが稀にある程度で、そのために遅くまで寝ているといったこともありませんでした。ただし寝過ごしはしませんが、起きるのはさらに早くなりました。

 10時20分に寝ても、午前2時20分には必ず起きてトイレに行く。戻って再び寝る。午前3時半前後に再び目覚めて、そして迷う。それが3時20分ならもう一度寝る。多くの場合は再入眠できます。
 3時50分なら諦めます。あと30分で通常の起床時刻ですから、その程度の揺らぎはどうということはありません。
 迷うのは3時30分から3時40分ごろに目覚めた場合で、再び眠れるかもしれませんし眠れないかもしれないと、そんなふうに迷っているのでやがて頭が冴えてきます。再び眠る場合もありますが、その時刻に目覚めると8割方、そのまま起きることになります。ただしそれも想定内のことです。
 想定と違って困るのは、2時半の目覚めのあとで再入眠に失敗することです。

【スマート・ウォッチも現象をとらえる】

 今朝も2時半に目覚めてトイレに行き、戻ってきたら部屋の空気が快適で――快適ならそのまま眠ってしまえばよかったものの、このまま窓を開けっぱなしにしたら朝は寒いかもしれない、閉めた方がいいのかな――と迷い始めたらどんどん頭が冴えてきて、ついに午前3時、諦めて布団を離れ、コーヒーを淹れ、シャワーを浴びて今に至っています。

 昨夜は少しバタバタしていて、床に就いたのが11時半でしたから、睡眠時間は3時間。その様子は睡眠中も着けているスマート・ウォッチも記録していて、
「4個の異常値を検知しました。
 心拍数:84拍/分
 呼吸数:19.8回/分
 取り込まれた酸素のレベル:90%
 睡眠の長さ:2時間47分」

 実は昨夜、寝がけ妙にアルコールが欲しくなり、ウイスキーに氷を浮かべて飲んだのです。異常値の出現はアルコールのせいもかなりあると思うのですが、飲んだ夜も朝まで寝ていられないということは、若いころには決してなかったことです。

【年寄りたちの不眠】

 老人の時間は淡々と過ぎ、苦悩などは少ないのが普通です。ですから思い悩んで眠れないということはあまりないのですが、若いころのように健康に眠るということもありません。

 日中の活動が減って十分な肉体疲労が溜まらないと、自然に眠りも浅くなります。私などは百姓仕事がありますから、そうでない人に比べると力仕事の機会も多いのですが、畑を耕すといった重労働は、1時間も続けられません。すぐ疲れてやめてしまうので十分な疲労にならないのです。
 前立腺肥大や過活動膀胱といった病気による夜間頻尿や、その他、高血圧・糖尿病・睡眠時無呼吸症候群などの持病も睡眠の連続性を妨げるといいます。ホルモンバランスが崩れて、夜は早く眠くなり、朝は早く目覚める傾向が強くなるという説明を受けたこともあります。
 しかしどんなものでしょう。そうした個別の事情ではなく、年寄りに普遍的な不眠の理由はもっと他のところにもあるような気がするのです。

【漠然とした不安】

 若くして老成した作家、芥川龍之介が自殺したのは1927年(昭和2年)7月24日のことでした。昭和元年は1926年の12月25日から31日までのわずか1週間でしたから、芥川が亡くなったのは昭和が始まってわずか8カ月ばかりたった時といえます。享年35歳。

 遺書と呼ばれるものは家族や友人に宛てた何通かが残されていますが、中でも有名なのは久米正雄宛のもので、そこにあった
『自分の死は「病気や経済上の困難のせいではなく、ただ漠然とした不安によるもの」である』
という表現は、暗黒の昭和の始まりを予見したものと考えられています。

 ただし芥川自身はそこまで社会性のある人ではなく、春に起こった金融恐慌も収まって、むしろ大正デモクラシーの雰囲気の残る時代だったような気がします(だから芥川には先見の明があったという言い方もできるのかもしれませんが)。 
 私が思うのは、芥川の言う「漠然とした不安」は時代性を帯びたものではなく、大きな仕事を成し遂げて次が見えなくなった――そういう人間の心に漂う、何とも嫌な感じ、説明しがたい澱(おり)のようなものだったのではないかと思うのです。
 それが芥川を永遠に眠らせ、私たちを眠らせない――。
(この稿、続く)