もちろん、死が目の前に迫っていることはわかっている。
しかしそれを受け入れるのは容易なことではない。
”死”自体は受け入れざるをえないとしても、
”死”のありかたは問題だ、
という話。
(写真:フォトAC)
【老人とは何か】
老人とは何か、という問いかけが一般的でも普遍的でもないことを、私はちょっと不思議に思っています。
男とは何か、女とは何か、人間とは何か。あるいは、人生とは何か、青春とは何か、生きるとは何か――哲学的な答えを求めて様々なことが主題となりえるのに、老人とは何か、老年とは何かという問いかけがないのは、結局、答えが出たところで何の役にも立たないからではないかと、捨て鉢な気持ちになったりもします。あるいは、何か恐ろしいものが出てきそうで、それで敢えて問いかけないのかもしれません。
ただ、私の中ではある程度の答えが出ています。それは、
「老人とは漠然とした不安に怯える人々のことだ」
というものです。
もちろん若い人たちが将来に対して持つ不安と異なり、私たちの不安は時間に限りがあるものです。年寄りのスローガンは、
「オレたちに明日はない」
だと言った人がいますが、ほんとうに明日はないかもしれないのです。それでいて、30年後もあるのかもしれません。しかも30年後があるとしたら、その時の自分の生活は決して幸福なものではない、おそらく今と比べると、かなり悲惨な姿だろうと想像がつくのです。
【死ぬのはわかっているのに、どんな死に方をするのかはわからない】
私たちの近未来はよく分かっています。かつてあんなにも遠くあって掴みどころのなかった“死”が、そこまで迫っています。近くまで来ているのはわかる、足音まで聞こえる、しかし近づいたと見えて遠ざかったり、いきなり目の前に再び現れたりと、まるで落ち着きません。
自分は、ある日突然死ぬのか、長く病気をした後で死ぬのか――。苦しみながら死を迎えるのか、気がつかないうちに迎えているのか――。
具体的なことを言えば、赤貧洗うがごとき状況で死ぬのか。けっこうな額の貯金を手つかずのまま残して死ぬのか、程よく使って気持ちよく死ねるのか。
病院で死ぬのか、それとも在宅なのか。
家族に見守られて死ぬのか、病院や施設のスタッフに見送られるのか、あるいは独りぼっちで、誰にも気づかれないままアパートの一室で死んでいくのか、そうしたことが全く分からないのです。
死は確実なのに、そこに至る道があまりにも曖昧。
子どもや兄弟のいない人、いても疎遠であてにできない人たちは、寂しくはあるがわかりやすい状態です。死出の準備はすべて自分で行わなくてはなりません。しかし中途半端な親子関係、親戚関係を持っている人たちは難しい計算が必要になります。
【子や孫の世話にはならない、しかし最後の姿がわからない】
先日、あるテレビ番組を見ていたら、老人が、
「老後、子どもや孫に迷惑をかけたくない」
という倫理観を持つのは日本人だけ、という話がありましたが、それはアジアの一部や特定の地域との比較であって、そうでもない場所はいくらでもあるでしょう。
それで思い出すのが映画「スパイダーマン」で、叔父夫婦に育てられた主人公のピーターは、一時の怒りと無責任な判断(強盗を見逃す)によって、最愛の、そして大恩のある叔父の死を招くことになります。ピーターはそのまま残された叔母と暮らすことになるのですが、ここで日本人の道徳観からすると、全く信じられないことが起こります。18歳になって高校を卒業したピーターはほかの子たちと同じように、決然として家を出て、一人暮らしを始めるのです。恩ある叔母は一人暮らしを始め、やがて施設に入ることが暗示されます。ほかに道はありません。これが文化の違いです。
日本では「親の恩は子に還すもの」という道徳観と、「親の愛は海よりも深い(だから返さなくてはいけない)」とが未分化で混在しているのです。だから子は「親の面倒を見るべきだ」という道徳に縛られ、親は親の矜持として「子どもに面倒を見てもらうわけにはいかない」と考えるのでしょう。
私も、98歳の母を施設にこそ入れたものの最後まで面倒を見るつもりがあり、同時に息子や娘の世話にはならないという強い意志があります。そうなると自分の最期がどうであるかは、自分の始末を考えるうえで最重要の問題です。それなのに最期の姿がわからないのです。
【死の受容の5段階説】
エリザベス・キューブラー=ロス(Elisabeth Kubler-Ross)は、「死の受容のプロセス」を五つの段階として説明しました(死の受容の5段階〈Five Stages of Grief〉)。それによると、
- 否認(Denial):「まさか自分が」「何かの間違いだ」と事実を受け入れられない。
- 怒り(Anger):「なぜ自分だけがこんな目に」「どうしてこんなことが」と周囲や運命に怒りを向ける。
- 取引(Bargaining):「もし〇〇すれば助かるのでは」「もう少しだけ時間をください」など、運命や神、医師などに交渉しようとする。
- 抑うつ(Depression):現実を理解し、深い悲しみや絶望を感じる。
- 受容(Acceptance):最終的に、死や病気を自分の一部として受け入れ、穏やかな心境に至る。
老人が抱える葛藤は、おそらくこれに近いものがあります。
(この稿、8日に続く)