驚くほどよく眠って気持ちよく目覚めた朝、
前の日の畑仕事を思い出してふと思う。
心地よく眠るには、あそこまで働かなくてはいけないのだ。
しかし毎日“あそこまで働く”力は、今の私にはもう残っていない。
――という話。
(写真:フォトAC)
【最近の生活】
ルーティーン・ワークが得意で毎日決められた仕事をきちんとこなすことができます。
現在は家庭菜園ティスト、兼主夫、兼文筆家(日曜画家と同じような意味での)ですので、農事と家事と書く仕事を等分に割り振って生活しています。半年ほど自宅にいた妻が、今月から再び学校という名の戦場に戻っていきましたので、最近はいっそう、以前のような規則正しい生活ができるようになっています。
時間に厳しいわけではありませんが、朝は4時30分に起きて入浴し、5時から7時まで仕事。食事のあとはまた仕事。この時間帯の“仕事”は、夏場は農事中心で、冬は家事と文筆(とはいってもブログの修正が中心)です。
洗濯をしたり食器を洗ったり、畑仕事をしたり庭仕事をしたり、自由ではありますが気ままではない、それが私の生活です。
【夫婦の役割分担、四角四面と行き当たりばったり】
几帳面というわけではありませんが、きちんとしたことが好きです。
台所の片づけや洗濯は私の分担ですが、食器や調理器具はきちんとそろっていないと気がすみませんし、洗濯物は干してある時も箪笥にある時も、四隅がきちんとそろって美しく見えることが大事だと思っています。箪笥の引き出しの中はユニクロの棚のようにそろっています。
部屋は機能的であることより、見栄えの美しさを優先します。ただし言うまでもなく、「機能的であることは美しいこと」という側面もありますから、ただ闇雲に整頓しているわけでもありませんし、断捨離に熱心なわけでもありません。
「行き当たりばったり」を「臨機応変」と表現する妻は、そんな私の行動を自閉症的反復行動だと思っているようです。バタバタしない分だけでも私の方がマシなような気もしますが――。
一方妻は、使用頻度の多いものは身近に、少ないものは遠くに並べ替える天才です。そうして造られた仕事場を、私は“散らかっている部屋”と呼んでいます。妻は「“整頓”はできていないが“整理”はできている」と主張して、確かに仕事場にいる間はものを探している様子はありません。あるべきところにモノがあるということなのでしょう。しかし傍目には、誰が見ても“散らかった部屋”です。
――話を自分自身のことに戻して、
これだけ決まりきった生活をしながら、これだけ四角四面でありながら、実はひとつだけ、規則正しくあるべきはずなのに規則正しくなっていない部分があるのです。睡眠です。
【しっかり眠れない】
眠れないというのではありません。いや、眠れないときもあるのですが、それよりも問題なのは“起きてしまう”ということ。
夜10時30分に床について、「ああ、気持ちよく目覚めたな」と思って時計を見ると1時半~2時半、そして2度と眠れないといったことがざらにあるのです。
目覚めたのが3時半なら諦めて寝室を後にします。1時前ならいったん起きて仕事をし、朝方、眠りたくなったらもう一度寝るようにします(それでも6時過ぎまで寝ていることはありません)。しかし1時半~2時半は微妙です。
いちおう布団の中で30分~1時間ほど我慢して、それで二度寝に成功するときもあればダメな時もあります。あきらめて起き出して結局そのまま過ごすと、体力的にはかなり苦しくなります。しかしそれでも昼寝はできない性質で、そうなると一日中ウツラツラとしていることになります。かなり不快な感じです。
そんな生活がもう2年も続いています。
【齢を取ると疲れ切ることもできない】
ところが昨日の朝は定刻にすっきり目覚めることができました。その前の夜の寝つきもよく、夜中に目覚めることもありませんでした(もしかしたら1度くらいはトイレに起きて、覚えていないだけなのかもしれませんが)。
何があったのか――実は、快眠の原因は明らかなのです。前日の昼間、けっこう日差しの強い中で、畑でタマネギの植え付けの準備をしたのです。土に肥料を入れ、耕運機で耕してマルチシートを敷く、道具の後始末も含めて3時間ほどの仕事です。プロのお百姓なら楽々やる仕事ですが、30年経っても素人の私にはけっこうな運動量でした。それが快眠に繋がったのです。
夕食直後からウツラウツラしはじめ、風呂に入って(1日2回の入浴習慣です)着替えて布団に入ると、ストンと落ちて翌朝まで昏々と眠ることができます。それが翌朝のすがすがしい目覚めに繋がる――快眠を得るためには、そこまで働かなくてはならないということです。ところが二日続きで同じ量の仕事ができるかというと、そうもいかないし小さな畑ですので実際の仕事もない。
齢を取ることは全体として悪いことではありませんが、なかなか面倒くさいことではあります。