カイト・カフェ

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「もしかしたらとんでもなく割を食った人たちかも知れない」~今月定年となる先生方へ①

 バブル経済の爛熟期に教職につき、
 最も苛酷な時代に教育の最前線に立って、
 学校の要となった終末期にコロナ禍を迎えた、
 その教師たちが今、定年となっていく。
という話。(写真:フォトAC)

【今月定年退職する先生方へ】

 今月いっぱいで定年退職される先生方、長い間ほんとうにご苦労様でした。

 先生方の大部分は、あのバブル経済で日本中が浮かれていた時代に、教職という地味で生真面目な世界を選んだ、本当に真摯な人たちです。給与や待遇面では教師よりずっと良い仕事はいくらでもありましたし、友人の多くが「接待」という名目で夜の繁華街を飲み歩いている時間に、学級経営と教科指導のための苦しい教材研究を続けることは、ほんとうに大変だったと思います。

 私は当時のことをよく覚えているのですが、教師が自費で数万円もかけて研修旅行に出かけている時代に、民間に行った若者はわずか1~2万円の出費で1週間もハワイの社員旅行に行っていたりしたのです。好きで選んだ道ですので後悔はしなかったと思いますが、社会のあるべき姿とは少し違うようで、妙にすっきりしない感じがしました。

【就職期:子どもが学ばない時代】

 浮かれた社会状況は子どもに伝染し、既存のルールや価値観にとらわれない若者文化が全国に広がって行きます。ポケベルやプリクラが流行し、ルースソックスやミニスカート、茶髪・金髪・といったコギャル・ファッションが私の住む田舎にまで浸透してきました。もはや学校は勉強をするところではなくなって行きましたが、ある意味、それも無理なからぬことでした。

 子どもたちの目から見れば、真面目にきちん勉強して大学を出て公務員になった先生たちよりも、高校で馬鹿をやって中退した隣りの兄ちゃんの方が、髪を染めてバイクを乗り回し、ときにはいい女を連れて街をのし歩いて、明らかにいい暮らしをしているのですから勉強なんかする気になれません。
 そんな時代でしたから、学校からすれば、子どもたちに勉強を教えることは今よりもずっと難しかったのです。さすがに現在では「高校を卒業するなんて馬鹿らしい」という子は少ないでしょう。しかしバブル期にはいくらでもいたのです。子どもたちが再び真面目になるためには「失われた」と言われる20年もの年月が必要でした。

【30代~40代:教師が重すぎる荷物を背負った時代】

 バブルが弾けて(1991年)長い長い平成不況がやってきたことは、学習環境という点では決して悪いことではありませんでした。“高校で馬鹿をやって中退した隣りのお兄ちゃん”の生活が、明らかに悲惨になって行ったのです。なによりその“お兄ちゃんたちが「高校くらい出ておかないと就職もできない、いい暮らしもできない、結婚もできない」と子どもたちに伝え始めたのです。下々まで浸透するのに時間はかかりましたが、一度そちらに振り子が振れると容易に戻ることもありませんでした。
 ただしそれですべてがやり易くなったかというと、また別の要素も入ってきます。

 不況が長引くとともにあれほど顧みられなかった公務員の職が、とつぜん人気の仕事となり、それと同時に公務員、特に教員には非常に高い知識・技能・道徳性が求められるようになったのです。当時の小泉純一郎首相が「聖域なき構造改革」といって公務員を締め付けても、人々は拍手こそすれ、同情したり将来を心配したりすることはありませんでした。

 総合的な学習の時間という、大学では1時間の教育も受けなかった科目を押し付けられ、試行錯誤の日々が始まったのものこの時期。今年度で定年になる先生方が30代後半から40代前半のころです。
 本来ならそれまでに学んできた教育技術や指導力をもって縦横無尽に活躍できていい時期を、総合的な学習の時間や全校学力学習状況調査(全国学テ)、教員評価・学校評価だのへの対応に忙殺されてきたのです。
「特別の教科『道徳』」「小学校英語」「プログラミング学習」「キャリア教育(職場実習やキャリアパスポート)」「ICT教育」「環境教育」「薬物乱用防止教育」「学校評議会」「地域連携」「不登校対策」「いじめ対策」・・・。

【教職最晩年:コロナ禍】

 もちろんそれらはすべて教師に平等に降りかかったものですが、どの年代で背負うかによって自ずと軽重は定まってきます。
 学校の課題に具体的に取り組んで解決するのが学年主任・教務主任級の40歳代、学校全体の方向を決めて責任を取るのがベテラン・管理職の50歳代――そんなふうに考えると、今年度末に定年を迎える人たちは、次々と降りてくる追加教育や新制度に翻弄されて40歳前後を過ごし、50歳代になってようやく最前線から身を引いて作戦本部に入ったら、そこに新型コロナという未曽有の敵が押し寄せて果てしない闘争に巻き込まれた、そんなふうに見ることもできます。

 前代未聞のパンデミックの荒波にもまれながら、日々刻々と変わる感染状況や社会状況を把握・分析し、これまでにだれもしたことのない判断や決断をしなくてはならなかった、その人たちが今まさに定年を迎えようとしているのです。そう考えると、もしかしたらこの人たちはとんでもなく割を食った人たちかも知れません。
 もちろん今年度定年を迎える人たちだけでなく、今50代後半になろうという世代全体がそうなのです。
(この稿、続く)