あれほど綿密に計画し、練習して臨んだ証書授与、
それでも事故が起こるときは起こる。
こんなことがあるんだ。それなぜ思いつかなかった?
そんな卒業式事故のあれこれ。
という話2。
(写真:フォトAC)
【マイクがない!】
絶対に事故の起きないはずの学校行事(卒業式)で起こった事件のうち、私が実際に目撃して最も驚いたのは、担任がステージ上の下手(しもて)で呼名するスタイルで行われた式で、さあ一人目を始めようという時、担任教師たちの前にマイクがなかった、というものでした。あとから確認すると計画案になく、練習でも誰も気づかなかったことでした。そういうことも起こる。
そんな場合はどうすればよいのか、いまだに正解が思いつかないのですが、そのときの学年主任はあろうことかツカツカと演台に近寄って、校長先生の目の前のワイヤレスマイクをスタンドから外し、持って行ってしまったのです。これから証書の文章を読んで1番の子に渡そうとしていた校長先生はびっくり。しかし学年主任は驚くべき冷静さで、
「1組、男子◯◯名、女子◯◯名、計◯◯名。(一番)◯◯ ◯◯!」
とアナウンスすると、また演台まで行ってマイクをスタンドに戻します。校長先生がなんとか気持ちを立て直して文章を読み、最初の子どもに渡すと、そのタイミングでまたマイクを取りに行って2番の子の名前を呼ぶ。そのあと校長先生がマイクを通して何かを言うことはありませんから、手持ちマイクをリレーで次の担任に渡し、最後まで呼名することができました。演台にはマイクスタンドが空しく置かれたままです。
翌年その場に立つことになっていた私は、心に中に強く「マイク」と書き込みました。
【困難と閃き】
もちろん一年後もマイクのことは覚えていて、一番初めに用意したくらいです。ところが一回練習をしただけで、別の、とんでもない問題が明らかになります。なんと2年間も担任しながら、私が子どもたちの名前をしっかりと覚えていなかったのです。
これは誠意の問題ではなく能力の問題ですが、例えば「優美子」という名前の子がほんとうに「優しい(または優秀な)美人の子」ならよいのですが(正反対でもいい)、そうでないと記憶になって行かない、私の頭にはそういう頑固なところがあるのです(単に「頭が悪い」と言ってもいいのですが)。日常的には姓か名前かどちらかで呼んでいますから困らないのですが、フルネームを問われると何人かは「?」。緊張してうろたえると呼び慣れた方も飛んでしまいかねません。
そこで私は一計を案じます。幸い私以外のふたりの担任は初めて卒業生を送り出す新人。そこで、こんなふうに言い含めたのです。
「卒業式本番には何が起こるか分からない。よく覚えているはずの子どもの名前が飛んでしまうこともある。だから安心のために“卒業生台帳を読む”という形式でやろう」
【卒業生台帳と卒業証書】
卒業生台帳というのは、その学校の創立以来の全卒業生の、卒業生番号と氏名、生年月日を記した台帳のことを言います。卒業証書をよく見ると最後の行の左上に番号が書いてありますがそれが卒業生番号で、台帳と一致していいなくてはなりません。右の画像は私自身の54年前の証書の一部で、これによって私がその学校の8393人目の卒業生だということが分かります。
番号の上に用紙から半分はみ出したように押してある印は「割り印」といって、二行に渡って「◯◯県◯◯市◯◯高等学校」と書いてある縦長の印の下半分です。上半分はどこに行ってしまったのかというと、先ほどの卒業生台帳の私の番号に、覆いかぶさるように押してあるのです。そのはずです。
そもそも印を押すときに台帳の上に証書を乗せ、台帳と証書の番号が同じであることを確認した上で、両方にまたがるように印を押して、卒業証書が本物であることを証明しているのです。

ちなみに印が右のような文字である場合もあって、これは「割り印」でなく「契印」といいます。書いてあるのは印相体という書体の「契」の字の下半分です。本来は数枚にまたがる書類が一続きで、差し替えられたものではないことを証明するため、1枚目と2枚目、2枚目と3枚目をそれぞれ並べ合わせて、二枚にまたがるように押すもので、卒業証書にふさわしいかというと少々疑問です。
面白いことに手元にある私自身の小中高校の卒業証書を見ましたら、一番歴史の浅い高校が「割り印」で中学校が「契印」、その時点て100年近い歴史のあった小学校は何も押してなくて、しかも証書自体が横書きという極めて新しいタイプのものでした。不思議なものです。
卒業生台帳は学校火災の際も必ず持ち出さなくてはならない最重要書類です。学校の歴史や規模にも寄りますが、いま話題にしている小学校の場合は戦後のものだけでも厚さが5cmほどもありました。過去に書かれたものだけでなく、今後書かれる予定の白紙もたっぷり入っているのでその厚さになるわけです。それを卒業式の舞台に持って立つ。
ステージ上でいつになくかしこまった礼服に身を固めた3人の学級担任が、一目で特別なものと分かる書類を広げ、一人ひとりを確認しながら呼名して終わると次の担任に引き継いでいく――自分自身のための救済のアイデアですが、我ながらなかなか粋なことを考えたものです。ページをめくるわけですからもちろん指サックも忘れません。
【フンドシと当てごとは前から外れる】
当日の準備は万端。スタンドマイクは目の前にある。音量も確認済み。指サックもきちんとつけている。私は3組の担任なので、三人の担任の最後に控え、自然と若い二人を見守るかたちになります。初任から3年目の1組の担任の呼名が始まります。
「1組、男子18名、女子17名、計35名。赤木アキラ(仮名)!」
大きなよく響く声が一人ひとりの名前を読み上げ、目はそれぞれの子どもとの思い出を振り返って愉しむように、優しく児童を見守る・・・。
そして私は突然気づくのです。「アレ? この担任、台帳を見ていない?」
嫌な予感がしました。証書授与がかなり進んでも彼は台帳の1ページもめくっていない。めくらずに呼名を続けます。そして自分のクラスが終わるとその分厚い台帳をバタンと閉じて2組の担任に渡してしまったのです。
私の背中を戦慄が走ります。今さらあの中から必要な自分のページを探すなど、とうてい不可能です。不可能ではないにしても、うろたえていることを悟られずに探すのは容易ではありません。
半分は親心から、もう半分は自分大事で2組の担任はどうするのかハラハラしながら見ていると、2組の女性教諭は慌てもせず、両手で台帳を抱えたまま、
「2組、男子・・・」
と続けます。その目の輝きは1組の担任と一緒です。
空から絶望が下りてきました。
――結局、彼女も最後まで名簿に頼ることなく、呼名し終えました。考えてみたらこの人たちは、就職超氷河期前期と呼ばれる1990年代前半の新規採用者なのです。頭のできが違う。子どもの名前が出て来ないなどといったことはあり得ないのです。
名簿番号の最初から10番目くらいまでの氏名を頭の中で繰り返し確認しながら一人ずつ呼名して、同時にそれと悟られないようにゆっくりと卒業生台帳を繰って自分の場所を探す――そんな神経質な戦いを1分近く続けて、おそらく10人か11人目の証書授与が終わったところでようやく所定のページを探し出すことに成功しました。
もうあんな思いをしなくて済む――それだけでも退職した価値はあります。