南海キャンディーズの山ちゃんの両親は、
互いに一度も会わないまま、結婚を決めた。
それが本来の人類のありかた。
弱者には「愛」について考えている暇はない。
という話。
(写真:フォトAC)
【山ちゃんの両親は、相手を見ないまま結婚を決めた】
先々週のNHK「ファミリー・ヒストリー」の出演者は、南海キャンディーズの山ちゃんこと山里亮太さんでした。
始めたばかりの話をいったん外れますが、人が歳をとるごとに信心深くなっていくことについて、若いころは「死期の見え始めた年寄りが、慌てて神仏にすがるようになるのだ」と思っていました。しかし違います。長く生きていると奇跡みたいなことにしばしば出会い、やがてそこに運命や神の差配を感じたりするようになるのです。
山里亮太さんについて言えば、母方の祖母が「小まめにネタ帳をつくって人を笑わせるのが大好き」という点で亮太さんにそっくりで、「高身長で体重が100㎏を越える」という点で山ちゃんをスターに押し上げた漫才の相方、しずちゃんとそっくりです。さらにしずちゃんの本名(山崎静代)は亮太さんの母親の結婚前の姓名(山崎文代)と一字違うだけ。つまり亮太さんを育てた三人の女性(祖母・母・相方)は、何らかの共通点で結ばれているのです。
そういった不思議が、私のような老人を信心深くします。
では運命によって強く結ばれた山里亮太さんの両親には、どんなにドラマチックな出会いがあったのかというと、実はこれが呆れるほどあっけらかんとしたものなのです。
文代さんが22歳のとき、友だちのお母さんから「いい人がいる」と紹介されたのが、のちに亮太さんの父親となる山里清美さん。ところが清美さんはそのころ都会で会社勤めていたため、とりあえず文代さんは清美さんの両親に会うことにします。会ってみるとお父さんもお母さんもとてもよさそうな人だったので、それで清美さん本人に会うこともないまま、文代さんは結婚することを決めます。清美さんのご両親も文代さんを気に入って、さっそく電話をかけ「いい結婚相手が見つかった」というと清美さんも二つ返事で了承。親が気に入っているならそれでいいやと、そんな感じだったと言います。
二人が初めて会ったのは結納の済んだあと。そこまで進むと結婚をやめるという選択肢もなくなります。
【特異な例だったのかもしれない】
番組では「昔はそういう結婚もいっぱいありましたよね」といった扱いでしたが、ふたりが結婚したのは1972(昭和47)年。第一回大阪万博の翌々年。1月に元日本兵の横井正一さんがグアム島で発見され、2月に札幌冬季オリンピックが開かれ、その直後に「あさま山荘事件」があったあの年。巷には小柳ルミ子の「瀬戸の花嫁」やビリーバンバンの「さよならをするために」が流れ、映画「ゴッドファーザー」が大ヒットした年です。
統計*1を見ると、その数年前に恋愛結婚の割合が見合い結婚の割合を越え、昭和47年には恋愛結婚が6割、見合い結婚が3割強といった感じになっています。
私も高校3年生だったのでよく覚えているのですが、当時の若者(全共闘世代・団塊の世代)はいま以上に恋愛至上主義で、見合いだの親が決めた結婚だのはハナからバカにしていましたから、「(親と会っただけで相手も見ずに決める)そういう結婚もいっぱいありましたよね」ということはありえないのです。
山里亮太さんのご両親の結婚は当時であっても例外的なもので、亮太さん自身がおっしゃるように「ぶっ飛んだ選択」――芸人山里亮太の両親にふさわしい特別な結婚だったのかもしれません。ただしそれは、長い人類史の中ではむしろ主流だったとも言えます。
*1:特-36図 恋愛結婚・見合い結婚の割合推移 | 内閣府男女共同参画局
【ひとの子の、あまりにも長い「自立」への道】
多くの弱い生き物たちがそうであるように、人間も群れをつくって生きる生き物です。何しろ生まれた赤ん坊が弱すぎて、最低でも1年は全面的な保育が必要ですし、自ら狩りをして食物を得ることを自立と考えるなら、他の動物が1年もあればできるところを人間は数年も要します。さらに現代まで下ろして「自分で働いておマンマを食べる」という比喩をそのまま自立の指標とすると、ライオンの子が半年から1年でできることを、人間の子は最低15年もかかるのです。“せめて高校まで”などと言い出したら、さらに3年の追加です。
そんな虚弱な子どもを抱えて生活しなくてはならなかった人類は、安定的で持続的な家族を構成し、それを維持することで子どもを守って生きていくほかありませんでした。そこで自然発生的につくられたのが、夫婦制度であり家族制度であり、結婚の制度なのです。
結婚制度がなく、世界中が中居正広さんみたいな人ばかりだったら、社会は余りにも不安定です。年がら年中パートナーが取り代えられるわけですから、落ち着いて生活できるわけがありません。異性にモテてパートナーを代えるたびにステージアップのできる人はいいのですが、そうでない凡人はいつパートナーを奪われるのか、奪われたあとで次が手に入るのか、いつも戦々恐々としていなくてはなりません。配偶者の存在はもう安心感の源ではなく、不安の材料です。
運よく新たなパートナーが見つかったとしても、相手が変わるたびに経済的な基盤の組み換えをしなくてはなりませんし、感情の調整をしたり、ルールのつくり直しをしたりしなければなりません。これでは子育ても農業等の生産活動もままなりません。
【弱者には『愛』について考えている暇はない】
そこで近代人間社会は、結婚を法律で支え、権利と義務を明確にし、財産分与や相続、扶養義務などの法的保護を提供するようにしました。
神の前で誓いを立て、披露宴を開いて周囲に一対の夫婦であることを示して、支援を要請するとともに一番小さな単位として夫婦で社会に貢献することを約束し、「私たちは互いに占有し合っているのだから手を出すな」と暗に訴える――それが結婚式の本来の意味です。そこに「愛」の問題はひとかけらも入ってきません。「誓い」の方が圧倒的に重要で、「愛」などなくてもかまわないのです。
考えてみれば「愛」という漢字を「あい」と読んで「愛する」だの「愛している」などというようになったのは、英語の「love」を訳す必要ができた明治以降のことです。江戸時代以前、「愛」は「愛(め)でる」としか読みませんでしたし、「惚れる」「恋する」「いとおしむ」「好く」「慕う」ということはあっても、「愛する」ことなどなかったのです。
結婚が愛と不可分になって、少しでも愛が感じられなければ結婚ができない、愛がなくなったら結婚生活を閉じるといった感じ方・考え方は、おそらくこの恋愛結婚と見合い結婚の割合が逆転した1970年代以降の、つい最近のことでしかありません。
(この稿、続く)