カイト・カフェ

毎朝、苦みのあるコーヒーを・・・

「高齢者のケガからの復帰、どこまでを望むか、どこまでが望めるか」~飲み会ひとつで始まったいくつかの事件④

 母の最期、終の棲家をどうするのか、
 長年放置しておいたこの問題に、あっさりと決着がつく。
 高齢者のケガや病気は、その度に生活の質を大きく下げる。
 質の下がった体で元の生活はできないという非情――。
という話。(写真:フォトAC)

【騅(すい)逝かず 母や 母や 汝を如何せん】

 母の最期をどう考えるか、終の棲家をどうするのかということに関しては、以前から心に決めたことがありました。
《母が自分でトイレのできる間はこれまで通り在宅で頑張る。それができなくなったら別の道を考える》

 今でも紙パンツの片づけやら濡らしてしまったシーツの面倒やらは私が見ています。しかし大便の世話はまた別です。妻はフルタイムで勤めていますし、私も日中はそばにいてやれません。そんな状況でもし午前中に便をしてしまったら、紙パンツの中に何時間も残したままになり、それは気の毒です。またそれ以上に、いくら年老いた者どうしとは言え、息子が母親の尻の始末をするということには、心理的な抵抗があるのです。母にしても息子や息子の嫁に尻の面倒を見てもらうことが楽しいはずがありません。
《だからそういう状況になったら施設に行くことを考えよう》
というのが母と弟や家族との了解事項です。ケア・マネージャーもずっとその方向を支持してくれています。
 
 母はこれまでも「オマエに迷惑をかけたくないから施設に行く」と言ってみたり、同じく「迷惑をかけたくないから、オマエの家に行く」と言ってみたり、先々についていろいろなことを言いましたが、どれひとつとっても現実感のない話で、仮に施設に入ってもあるいは私の家に来ても、数日で退屈になり帰りたいと言うに決まっていると、そんなふうに思っていたのです。
 
 したがって便の始末ができなくなったらそれなりのプロに任せるという方向は合理的でもあるのですが、さて具体的に言ってどのタイミングで次の行動に出るのか、一人で便の始末ができないというのはどういうことなのか、それが便意を感じてきちんとトイレへ行って戻ってくることができなくなるということだとしても、その前段階はどんな状況なのか、ポータブルトイレが使えるうちはひとりでできることになるのか等々、考えるとよく分からないことだらけです。私にも現実感はありません。
 
 若いころは、と言っても20代くらいまでの間は、考えても分からないことでもそのうちに答えが出てくるかもしれないと思ったり、分からないことでも考え続けることが誠意だと思ったりしましたが、大人になってからは放置するという知恵もついています(*1)。時間が解決してくれる問題もあるのです。この件はまさにそれで、なるようにしかならないと、先送りしてきた問題です。
 ところが・・・。

【どこまでを望むか、どこまでが望めるか】

 足を骨折した母の手術と入院が決まった土曜日、私と弟は看護師からずいぶん長い聞き取りと説明を受けました。
 日常の生活から食事の好み、趣味や日中の過ごし方、何ができて何ができないのか、楽しみなことは何か、困っていることは何か等々、かなり細かく訊いて記録します。その上で訊ねられたのが、
「退院後、どんな生活を望まれます?」
という話でした。もちろん、
「できれば今までの生活に戻れるのが一番です」
と答えたのですが、看護師はしばらく《今までの生活》の意味を詰めた後で、
「それがかなわなかった場合はどうしましょう」
という話に移りました。
 高齢者にとって入院は大きなリスクで、一時的に認知症が進む人もいれば生活の質を大きく落とす人もいる。この年齢での足の骨折はリハビリの効果も限定的で、なかなか「元の生活」という訳にはいかない。この病院は治療の病院なので一定期間が終了するとリハビリ専門の病院に転院し、そこでの様子次第で家に戻るかそれなりの施設に入るかを決めるのが一般的です――とそんな話でした。
 《現実》がすっと目に見えた瞬間でした。看護師は私の言った「最良の場合」にさりげなく「そうはならない場合」を対置して見せたのです。別の言い方をすれば、放置しておいた問題が、ほぼ選択肢を削られた状態で、目の前に据えられたのです。

【異口同音で先行きが決まってくる】

 土曜日に入院して、日曜日の午前中に手術をしました。
 母の担当のケア・マネージャーは土日休みなので連絡ができず、月曜になってようやく電話をして骨折と入院を報告し、デイ・サービスやヘルパーの利用を当面中止してもらうよう依頼しました。すると、
「今、申し上げることではないのかもしれませんけど」
と言いながら、二日前の看護師とほぼ同じ話をします。
《この齢で足の骨折をするとなかなか元どおりという訳にはいかない。このあとリハビリ病院に転院して、それからは施設を考える流れになるのが一般的》
 さらに2時間ほどして改めてケア・マネージャーの方から電話があり、
「いまレンタルしている介護用ベッドと歩行器、いったんレンタル会社に返却したらどうでしょう」
 自宅に戻る可能性がゼロでもないのに、あまりにも手回しが良すぎるとも思ったのですが、敢えて反対するほどの理由もないのでその通りにお願いしました。あとから考えると1月も29日ですから、早めに引き取ってもらえば2月分をまるまる支払わずに済むとの配慮もあったのかもしれません。

 その日の午後、母を見舞いに行くと作業療法士がマッサージをしているところで、しばらく待っていると施術を終わった後で、この方からも質問されます。どこまでを希望されるのか、と。そして同じ見通しを伝えらえます。

 私たちが決断しなくても、残された道はほぼ決まって来たみたいです。