カイト・カフェ

毎朝、苦みのあるコーヒーを・・・

「母がベッドの横で・・・悪魔も細部に宿る」~飲み会ひとつで始まったいくつかの事件②

 長年努力してせっかく積み上げたものが、
 一瞬で崩れることがある。
 迂闊だったわけではない、誰が悪いわけでもない。
 しかしなぜかそうなることある。
という話。(写真:フォトAC)

【悪魔も細部に宿る】

 父が死んだのが13年前。その後1年だけは母にひとり暮らしをさせ、週に1度くらいしか訪ねて行かなかったのですが、結局やって行けずに翌年から夜は母の家で過ごすようになりました。つまり母の家で夜を過ごす生活は、今年で12年になるわけです。
 
 最初は母に食事をつくってもらおうとしたのですが、元々調理は大嫌いという人ですからこれもうまく行かず、妻の協力を得て私が3食を用意するようにしました。大した内容のものではありませんが。
 それが4年ほど前から、今度は朝夕の薬もきちんと飲めず、食事自体も欠かすことが多くなって、仕方がないので、せめて朝夕だけはということで――朝、母の家に行って食事を食べさせ薬を飲ませ、それから自分の家に帰って仕事をし、夕方、母の家に行って夕食を食べさせ薬を飲ませ、とって返して自宅で自分自身の夕飯を食べ妻と話をし、ブログの予約投稿をしてから三度(みたび)母の家へ向かい、そこで話をし、母が寝たのを確認して泊り、翌朝5時前に自宅に戻って入浴し(というのは夜は忙しくて入れないので)、朝食を食べ、それから母の家に行って朝食の世話をする、そんな生活を送るようになったのです。毎日3往復。自家用車を運転している時間だけでも全部で2時間半以上。おかげで運転スキルも失わずに済んでいます。
 
 もっとも1年365日そうだという訳ではなく、飲み会で飲んでしまえば運転もできなくなり、娘や息子の家に泊りがけで行けば母の面倒も見られません。早めに食事と薬の準備をしておけばいいだけですから、大した問題ではありません。そんな日が年間で1週間から10日くらいはあります。
 しかし“悪魔も細部に宿る”、ほんの小さな隙で問題は発生します。

【母がベッドの横で・・・】

 昨日もお話しした通り先週金曜日は飲み会で、あまりにも久しぶりで飲み方も思い出せないうちにグテングテンに酔って家に帰り、それでも翌朝は清々しく目覚めて朝の食事の準備のために母の家に行きました。寝室の前を通ってふすま越しに「おはよう」と言い、居間の暖房を入れてしばらく待ったのですが母は出てきません。先ほど返事はあったのですが、返事のあとの二度寝ということも少なからずあるので部屋を除くと、母はベッドの下で布団をかけたまま横たわっていました。
「大丈夫?」
と聞くと、
「ゆうべ、ベッドから落ちたらしい。起き上がれない・・・」
「今、どこか痛いところはあるの?」
と聞くと、
「それはない」
 そう言うので、
「じゃあ早く着替えておいでよ。(紙)パンツも必ず換えてね」
 そう言って居間に戻ります。けれど十分に時間を置いてもまだ出てこないので再び覗くと、紙パンツから裸の足をむき出しにしたまま、まだ横たわっていました。
「痛くて動けない。履き替えられない。起こしてちょうだい」

 ところが手を貸して引っ張ると悲鳴を上げて、尋常な痛がり方ではありません。これではとてもではないが医者にも連れて行かれない。そこでとりあえず人手を考え、弟に電話をしてきてもらうことにしました。そしていつでも医者に連れて行けるよう、パンツとズボンの履き替えを手伝ったのですが、これがとても難渋したのです。
 母は女性ですのでこれまでパンツの履き替えを手伝ったこともなかったのです。そうした不慣れもあったのですが、やはり足を動かすときの痛がり方はただ事ではなく、1cm刻みでようやく腰まであげ、ズボンはさらに苦労して履かせることになります。
 これでは弟が来て二人がかりでやったとしても、とてもではありませんが病院まで連れて行ける気がしません。そこでようやくおっとり刀で駆けつけた弟と相談し、救急車に来てもらうことにしました。
 
 それにしてもーー、
しつこいですが年間355日以上、12年間も通い続けてきたのですよ。それがたまたま数カ月ぶりの飲み会で母の家に泊まれなかったその夜に事故が起こるなんて。
 ベッドから落ちた母はありたけの布団を引きずり降ろして自分の体に被せて横たわっていました。一晩中、寒くもあり、心細くもあったことでしょう。可愛そうなことをしました。
 人生はほんとうにままならないものです。
 (この稿、続く)