カイト・カフェ

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「正月に息子夫婦が来なかったことに、何か意味があるのかと不安になった話」~これからの夫婦、正月をどちらの実家で過ごすのか?①

 ちょうどいい人生の終わり方というものも追求しきれない。
 将来に不安があったとしても、打ち切るわけにはいかないからだ。
 なぜそんなことを考えたのかというと、
 具体的に家族関係が変化してきて、私は急に心配になってきたのだ。
 という話。(写真:フォトAC)

【わが人生のハッピーエンドのかたち】 

 西洋のおとぎ話は結婚してハッピーエンドで、日本のおとぎ話は金持ちになってハッピーエンドだ、と聞いたことがあります。白雪姫・シンデレラ・眠れる森の美女、桃太郎・花咲か・舌切り雀、なるほど。

 もっとも世の中には結婚による不幸というのがけっこうあるのに対して、とつぜん金持ちになった不幸という話はあまり聞きません。したがって西洋人はロマンチストで日本人はリアリストという言い方もできるかもしれませんが、さらに考えると西洋の「結婚でメデタシ、メデタシ」も相手はたいていがお王子様ですから、結婚によって「良き伴侶」と「金」と「権力」を同時に手に入れる欲深い話と言えば、その方が西洋人のイメージに合うのかもしれません。

 さて、再三申し上げていますが、私はいま死んだらけっこう幸せなのかもしれないと思うことがよくあります。
 天職を全うし、形ばかりとはいえ第二の職も大過なく過ごして、二人の子を育て上げ、その二人とも家族をもち、妻もこの春に長かった教員生活に終止符を打つ。もう95歳に母を除いて支えなくてはならない人もなく、これといって大きな問題も抱えていない――安らかに死ぬとしたら今が最良の時期と思うのです。母を残すのは問題ですが、100点満点の人生なんかあり得ませんから。

【これからやってくる問題】

 ところが実人生はおとぎ話でもドラマでもありません。ちょうどいいころ合いにエンドマークが出て「メデタシ、メデタシ」というわけにはいかないのです。
 この先何年も生きなくてはならないとしたら、火事だの交通事故だの、果ては殺人だの戦争だのと不幸の可能性はいくらでもあります。とりあえずありそうなこととして、昨年結婚したばかりの息子夫婦および息子の配偶者との関係づくり、そして老後、とくに私たち夫婦のいずれか1人が残った場合のことが問題となりそうです。
 
 後者については平均寿命の短い方の、かつ年長の私が先に死ぬとして、一人残る妻も可哀そうですし、それを支えなくてはならない子どもたちも気になります。
 私が炊事や買い物スキルでほとんど小学生レベルであるのと同じくらい、妻にも養って来なかった家庭人・社会人スキルがあります。私が死んでも困らないように、用意できるものは用意して妻育てもしておかなくてはなりません。
 その妻をやがて背負わなくてはならない子どもたちは、二人とも都会暮らしですから、それなりに準備しておく必要があります。遠距離介護も最小でできるよう、物心両面において準備怠りなくしておく必要があります。

【目下の急務は新しい家族問題】

 ただ、それらにはもう少し時間があります。
 現在急務なのはそちらではなく、昨年入籍したばかりの息子とたち夫婦、特に息子の配偶者との関係をどう築くかということです。あまり考えていなかったのですが、最近、“新婚だけど正月は別々に自分の実家で過ごすことに決めた”というネット記事を読んで、不安になったからです。

serai.jp

 そう言えば新婚の息子夫婦は大晦日を二人きりで過ごし、翌週、成人の日を含む三連休に息子のアキュラはひとりで私のところに来て泊り、同じ連休、その配偶者も自分の実家で家族と一緒に過ごしたらしいからなのです。

 (この稿、続く)