さまざまに細かな感覚過敏を持つ妻と、
家庭内紛争回避のためなら何でも受け入れてしまう、
極端に臆病な夫が生み出す、
奇妙な生活の物語
という話。
(写真:フォトAC)
【妻の感覚過敏(触覚編)と私の配偶者過敏】
どうやら妻には境界ギリギリの感覚過敏があるようで、生活の隅々で小さな軋みを起こしています。例えば人工の風。
本人もうまく説明してくれないのですが、ファンヒーターやエアコンといった冷暖房器具の風が苦手で両方とも滅多に使えず、冬場はファンヒーターで急速暖房をした上で止め、あとは昔ながら反射式ストーブで部屋を暖めています。あの、遠赤外線の暖かさがいいいのだそうです。
エアコンも「室温が30度以上で無風」といった状態にならないと使いません。ただし不思議なことに扇風機の風ならOKなので「一人一台扇風機」みたいな感じでそれぞれの「マイ扇風機」を、行く先行く先に持ち歩いてコンセントに差し込んで使っています。扇風機を使えば「無風」ではなくなるので、室温が32度になってもエアコンを動かすことはありません。
一方私は、反射式や対流式のストーブの火が怖い。大きな地震でも来た時に適格に対処できるか自信がないのです。また、稀に孫が遊びに来ますので、その点でも反射式や対流式は恐ろしく、ファンヒーターの方がありがたいと思っているのです。
さらに言えば、私は夏の暑さに対してはまるで根性のない「エアコン大好き人間」で、50年前の学生時代、テレビもないのにエアコンを買って夏はそれを抱くようにして生きていたのです。したがって「30度無風」は地獄なのですが、妻がいる時間帯にエアコンを使うことはありません。
「30度無風地獄」より、どんな小さなものであれ、家族の誰かが不機嫌なことの方が私にとってははるかに恐ろしい“地獄”なのです。今は夫婦二人きりですから、妻が機嫌を崩さぬよう細心の注意を払って生きています。妻はそこまでの要求をしているわけではないので、明らかな配偶者過敏です。
【嗅覚編】
妻の感覚過敏の話に戻しましょう。
膚感覚以外に、妻には嗅覚過敏もあって、女性の化粧の匂いと男性の体臭が苦手です。幸いなことに教員ですので職場で化粧の匂いに苦しむことは少ないのですが、デパートのエレベータで気分が悪くなったとか、一般的な勉強会で近くの参加者がとんでもない匂いを発していたとか、気分を悪くして帰って来たことが再三あります。
男性の体臭ついてはとりあえず私と息子が対象者でしたが、息子が高校を卒業する同時に家を出てしまい、私も朝晩二回、入浴か夏はシャワーで汗と匂いを流すことで何とか凌いでいます。
厄介なのは洗濯で、妻は芳香剤が苦手なのですが、芳香剤の入っていない洗濯洗剤などめったにないのです。「微香性」といった表示のある洗剤もありますが、使ってみると「微香」のレベルが違います。臭い、臭い・・・。
さんざんあれこれ研究して、ようやくたどり着いたのが「完全無香料」の、そこそこ高価な洗濯洗剤。使った結果は、
「本当に無香料だと生地本来の匂いしかしなくなり、過去の汚れや何とも言えない謎の匂いが残ってしまい、まったくもって気持ちが悪い」
というものでした。
結局、妻は無香料が好きなのではなく「石鹸の匂い」が好きなのです。しかし石鹸の匂いのする液体洗剤というのは、どうやら存在しないみたいなで(トイレの芳香剤にはあるのに)、仕方ないので昔ながらの粉せっけんを使うのですが、昭和の二層式洗濯機と違って令和の最新式は生地に優しく、水の使用量も水の動きも少なく、粉石鹸はどうしても溶け残ってしまうのです。夏はともかく冬は予め粉石鹸を水に溶かし、洗濯液を作ってから洗濯を始めます。それも私の仕事です。
【聴覚過敏】
聴覚過敏も、決定的ではありませんが家庭内の問題として厳として存在します。
私は子どものころに中耳炎を病んでから左の耳の聞こえが悪く、テレビやラジオの音量は大きくしがちです。しかし妻は大音量が苦手で、すぐにボリュームを下げてしまうのです。これにも臆病者の私が我慢することで対処します。要するに小さな音のまま一所懸命テレビを見て、聞こえない部分は当てずっぽうに埋めて推測すればいのです。それを36年やってきました。ところが、ここにきて妻にも加齢による難聴がやってきたので条件は似てきます。
亡くなった義母(妻の実母)もかなり早いうちから聞こえが悪かったようでしたから、遺伝的に必定だったのかもしれません。夫婦して聞こえなくなるとテレビの音量も上げざるを得ない・・・ところが実際は、そうはならなかったのです。
目の場合も、遠くのものが見えにくい近視の人が、老眼になって近くが見えなくなってもそのぶん遠くが見えるようになるわけではないよういに、両方がダメ、つまり「難聴によって小さな音はダメ」「感覚過敏によって大きな音も相変わらずダメ」といった状態になってしまったのです。
さて困った――そこで妻はどうしたのか?
【珍案特許】
BGM(バック・グランド・ミュージック)ならぬBGD(バック・グランド・ドラマ)が好きという奇想天外な妻は、驚いたことにこの課題を「日本語字幕をつける」というやり方で昇華してしまったのです。
しかし私にとってはさほどいいものではありません。
我が家の60インチテレビには、画面30インチ程度に縮小して余った部分に字幕をつけるという機能があるのでリアルタイムの放送はいいのですが、VTRの方は最新式であるにも関わらずそのような機能はついていません。したがって字幕を出そうとすればどうしても画面に被らざるを得ず、さらにバラエティ番組がよくやるように、放送局の方自体が独自の字幕をつけてしまうと、私のテレビはさらにその上(つまり画面の中段)に文字を表示するようになり、実に鬱陶しいのです。
私にとうてい我慢できる代物ではありませんが、言うまでもなく配偶者過敏ですから結局、私が我慢してしまいます。
ただこの《日本語の番組に日本語字幕》、意外な効能があったのです。
(この稿、続く)