カイト・カフェ

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「江戸の町の裸族、ふんどし男と泥人形」~ベルサイユ宮殿とふんどし②

 夏の江戸では男たちが裸像同然の姿で働いていた。
 そうして帰ってくれば泥人形だ。
 好き嫌いの問題でも道徳の問題でもない。
 とにかく洗い落とさなければ一日が終わらない。

というお話。

f:id:kite-cafe:20200701072347j:plain(「東京花火大会(イメージ)」フォトACより)

 

【18歳、東京の暑さに音を上げる】

 18歳の年に東京で暮らし始めて最初に躓いたのが東京の暑さです。夜、窓を開けても涼しくならない気候というのは生まれて初めてだったのです。

 あまりの暑さに寝付けない。2時間も3時間も布団の上でもだえ苦しんで、それでも2時、3時頃には多少楽になってウトウトし始めるのですが、わずか3~4時間で再び暑さで目が覚める。太陽はカッと暑く、しかも全身汗でびっしょりになって起きるのです。連日寝不足。

 今でこそエアコンのない部屋というのも稀でしょうが、昔の学生アパートにはそんなものはあった例がない。学校に行っても暑い(学校にもエアコンはない)、道路は照り返しで暑い、日陰を求めて路地に入ればそこにはエアコンの室外機があって熱風を当てられてなお暑い。湿気で息ができない、一日中ぬるま湯のなかで泳いでいるみたい――そのために私はすっかり前向きに生きる気力を失ってしまいました。
 
 

【裸族:江戸の男たち】

 そうした暑さは江戸時代とて大差なかったはずです。
 今と違ってビル風といったものはありませんが、その代わりに重く熱い湿気を含んだ風は遮るもののない関東平野江戸湾からまっすぐ西に向かって走ります。とにかく蒸し暑い、それが江戸の街です。

 そこで男たちは駕籠かきも飛脚も職人たちも、皆、裸同然で暮らしていました。最初からふんどし一丁の者もいれば、着てきた着物の上半身を後ろに落として作業する者もいます。映画「男はつらいよ」のフーテンの寅さんの口上に、「見上げたモンだよ屋根屋のふんどし」というのがありますが、実際に当時の屋根屋はふんどし姿で仕事をしていたのです。
 そうした様子は広重の「東海道五十三次」や北斎の「富岳三十六景」「北斎漫画」のあちこちに見られます。

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 ところでそうした姿で一日働いて帰ってくるとどうなるのか――そこが同じ17~18世紀でもパリと異なるところです。
 馬車のための石畳が敷かれていたパリとは違って当時の江戸なんて舗装道路がありません。ですから風が吹くたび、あるいは荷車が走るたびに土埃・砂ぼこりが舞い上がって汗だくの男たちの肌に張り付いたのです。風の強い日などは泥人形のようになって帰ってくることもあったのかもしれません。

 ヨーロッパの大都市と同じく水不足であったにもかかわらず、江戸の庶民に銭湯や行水が欠かせなかったのはそのためです。どんなに無理をしても体を洗わなくては部屋にも入れない。泥人形が二人も三人も部屋に入って来ては、室内はあっという間に土まみれです。
 
 

【必要がなくても文化は広がる】

 私も東京に出て初めて、夏は毎日風呂に入るという生活を始めます。もちろん銭湯です。
 一度脱いだものは洗濯をしない限り二度と身に着けなくなりました。今は当たり前ですが、子どもだったころの私は下着もシャツも3日くらいは平気で同じものを着ていたのです。白い木綿のパンツなんて、前の内側の部分に黄色いシミがついて匂うようになって初めて着替えることを考えます。
 田舎の人間は不衛生だったというわけではありません。夏も乾燥していたので着替える必要がなかったのです。汗も染みませんから汚れもつきにくく、いつもサラサラしているのです。さらに夏は水道代がもったいないといって川で洗濯をしていたような時代ですから、やたら着替えると母が大変だったということもありました。

 思えば時代は変わったものです。
 テレビを通じて東京の文化が日本の津々浦々に広がり、生活が豊かになって風呂付の家に住むようになると、自然と毎日入浴する習慣が身についてきます。洗濯機という便利な機械も入って気軽に洗濯ができるようになると「夕飯とお風呂、どっちを先にする?」みたい会話までが一般的になってきます。
 これも文化の一面でしょう。日本人の優れた衛生感覚と言いますが、入浴の習慣は主として太平洋岸の大都市で必要に迫られて始まり、やがて必要のない地方にまで広がって行ったのです。人は必要・不必要だけで文化を共有するわけではないのです。
 
 

【残された大問題】

 さて、ヨーロッパの国々との比較でもうひとつ大きな問題が残っていました。糞尿の処理です。

 もちろん高温多湿の江戸のような街で、路上に放置したらいつまでも臭いうえにハエなどがたかって不衛生極まりないこともあります。しかし日本の場合、別の事情によって人間の排せつ物が問題にならなかったのです。それについては明日のお話しします。

(この稿、続く)