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「字幕をつけてドラマを観れば、一流の俳優の凄さが分かる」~名優の見つけ方②

 大きな音が嫌い、小さな音だと聞こえない、
 だから日本のドラマに日本語の字幕を付けて鑑賞する、
 なかなか鬱陶しいやり方だがデメリットばかりではない。
 俳優たちの優秀さが、字幕を読むと鮮やかに見えてくるのだ。
という話。(写真:NHK

【字幕をつけてドラマを観れば、一流の俳優の凄さが分かる】

 聴覚過敏があってテレビの大音量が苦手。加齢による聴覚低下があって音量が少ないと聞こえない、その矛盾を、妻は「ドラマに日本語字幕をつける」という驚くべきアイデアで乗り切ろうとします。画面に文字が重なってかなり鬱陶しい場合もあるのですが、音量を上げるよりはマシという様子です。
 子どものころの中耳炎のせいでもともと聞こえの悪い私は、「音量を上げてくれないのでよく聞こえない」「字幕が被さるのでよく見えない」という二重苦に曝されることになりますが、家庭内の平和のためには我慢せざるを得ません。
 もっともフルタイム講師の妻と違って、私は「毎日が日曜日」ですので、その気になれば妻のいない時間に見ればいいのです。さほど問題ないと言えば問題はありません。それどころか字幕がつくことで新たな発見があり、場合によってはそちらの方で今までにない楽しみも味わっています。
 それは「字幕を読めば俳優さんの優秀さが分かる」という発見です。

【素人より、数段高い次元での仕事】

 生放送が中心のニュース番組ではリアルタイムで字幕を付ける作業が行われるため、文字が相当に遅れて読めたものではないのですが、ドラマの場合はあらかじめ用意された字幕が重ねられ、しかもNHKなどは文字の配置までしっかりしているのでとても読みやすくなっています。
 したがってひとつのシーンである俳優さんがセリフを言い、それに応えて次の俳優さんが口を開くと同時に(あるいはそれより一瞬早く)語られるべきセリフのほぼ全文が表示され、そこで私たちは次の俳優さんのセリフを、一瞬で読み取ることができるのです。するとびっくりするようなことが起きます。
「え? そのセリフ、そう読むの?」
ということです。私の想像とは全く異なる声の調子、強さ、大きさ。語尾の上げ下げ、ぼそっと言ってみたり、消え入るようにつぶやかれたりーー。
 あるいは、
「え? ここの間、そんなに長く取るの?(そんなに短くていいの?)」
というのもあります。私にはセリフを切り出す十分な準備がありますから、いつでも行けるのに俳優さんは言わない、なかなか言わない、私の気持ちが躓いてもまだ言わない、そして私は時めく。
ーーいずれにしろ素人の私が思い描くのとは全く異なる形でセリフが語られ、私が思ったよりは数段高いレベルで発声されると、それだけで私は酔ったような気分にさせられます。いかにもプロらしい仕事だからです。

【いま、この女優が凄い】

 最近ですと「海のはじまり」の有村架純さんが凄い。
 難しい問題や重苦しい話題を、ちょっと気合の入らないような、精神のガスの少し抜けた感じで語る口調が、素人の想像を軽く越えてしまいます。
 「光る君へ」の吉高由里子さんも尋常ではありません。何を語っても重苦しくならないという点では有村さんに似ていますが、はすっぱな口調が下品にならない不思議な魅力があります。見た目の軽さ薄さと、知性や色気がなぜ共存できているのか、不思議に思っていたのですが、巧みなセリフ回しと間の取り方によって、平安の文豪(紫式部:「光る君へ」)も昭和の大翻訳者(村岡花子:「アンと花子」)も演じ分けてしまいます。
 石原さとみという人も変幻自在で、私の知らないカードを次々と引き出しから出してきて、「ああ、こういう子、いるよな」とか「ああ、こんな子が近くにいたら堪らんな」と激しく心を揺さぶられます。それでいて「ああこの子、こんなこともできるのだ」と感心させられることもしばしばです。
 他にも綾瀬はるか長澤まさみ仲里依紗戸田恵梨香といった30代の売れっ子女優には、素人では到底及びもつかない高みで仕事をしている人がかなりいます。
 男優で言えば、菅田将暉を筆頭に佐藤健柄本佑、少し年齢的に上がりますが、藤原竜也山田孝之鈴木亮平松山ケンイチといった面々も、見かけは「普通に優秀な俳優さん」たちですが、そのセリフ内容を見ますとやはり一段も二段も高いところでプロにしかできない仕事をしています。

【さらに上の世代の人たちは・・・】

 さらにその上の世代となると、女優なら永作博美さん、斉藤由貴さん、石田ゆり子さん、木村多江さん。もうひとつ上の世代に大竹しのぶさん、キムラ緑子さん、余貴美子さん等々、すごい人たちはいくらでも数えることができます。しかしそこまでのベテランとなるとどこか「できて当然」といった感じで、才能や技術が煌いたりしません。稀に例えばNHKの「大奥」で斉藤由貴さんが演じた春日局みたいに、役者の能力を全開できてギラギラするような役が与えられる場合もありますが、普通、技は見えなくなって完成なのです。
 男優さんも、「どうする家康」の阿部寛さん(=武田信玄)や「キングダム」の大沢たかおさん(=王騎)のように時にギラギラすることもありますが、普段はむしろ役の中に役者が埋没して、エンドロールの出演者に名前を発見して、改めて「この人、出ていたんだ」と思わせるくらいが名優なのでしょう。役所広司さんなんて、主役をやっているのにエンドロールで、「あ、役所広司だったんだ」とびっくりすることがあったりします。
 
 日本語ドラマに日本語字幕、私のように日常的にそうだとシンドイですが、さまざまに新発見があり、面白い試みです。
(この稿、終了)