カイト・カフェ

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「このソーメンは何ですか?」~息子アキュラの結婚式で考えたこと①

 久しぶりに結婚式・披露宴に出た。息子の式・披露宴である。
 しかしずいぶんと様変わりしたものだ。
 ソーメンを持たされたり、ケーキを食べさせられたり、
 愛を渡され、育てることを約束させられたり――、
 という話。(写真:SuperT)

【久しぶりの結婚式】

 昨日は息子のアキュラが、1年先延ばしにしてあった結婚式をようやく挙行したというところから話を始めました。先延ばしの理由は「コロナその他」としましたが、正確に言うと「事情があって式・披露宴を先延ばしにした」のではなく、「事情があって入籍を極端に急いだ」ので式までの時間が空いたのです。

 どういう事情かというと、息子たちが知り合ったのが5年前の九州熊本。3年前にアキュラが東京本社に戻って続けていた遠距離恋愛を昨年解消。結婚することになったので妻となるサーヤ(もちろん仮名)を東京に転勤させるため、実績作りとして体裁を整える必要があったのです。結婚する男女がともに手放せない仕事を持っている場合によくある作戦で、アキュラの親である私たちも、35年前の9月に籍を入れ、異動2年目の私より4年目の妻の方が動かしやすいということで翌年4月、妻の方が私のアパートに入る形で同居が始まったのです。
 
 ところがアキュラの場合はあに計らんや今年の4月、熊本の支社でサーヤの代わりが見つからず異動に失敗。別居婚が据え置きになってしまったのです。アキュラの姉に当たるもう一人の私の子・シーナによると、そんなカップルは今日ザラで、同居をめざして入籍したものの2年も3年も別居のままという夫婦などいくらでもいるのだそうです。
 計画では4月から同居して結婚式や披露宴の計画をじっくり練るつもりでしたが、最後までリモート相談会議ばかりで、なにかと大変だったようです。
 
 私たち古い人間からすれば、「半年程度ならまだしも、1年も経ってからの式や披露宴はもうやめたら?」ということになるのですが、当人たちが同居していない新鮮さもあって、最後は私たちも「やはりやってよかったな」という気持ちにもさせられました。
 
 私は定年退職で公的に呼ばれるということがなくなってから結婚式自体が久しぶりで、考えてみると9年前のシーナの式以来です。結婚式のやり方も披露宴の内容も、コロナ禍を経た9年間に変化したことは多く、アキュラたちが独自に行ったこともあったり、あるいはそのどちらとも分からないこともあって、戸惑ったりトンチンカンだったりすることがけっこうありました。
 列挙してみます。

【で、何なん?】

 式の前に新郎新婦と両親で短いリハーサルがありました。バージンロードの歩き方とか新郎への新婦の引き渡しだとか、そういったことの練習です。今回はここに初めて衣装に着替えた新郎新婦と対面するという場面も置かれました。係の方から、
「新郎新婦のたっての希望で、お父様・お母様方には手で顔を覆い、見えないようにしてお待ちください」
と言われて顔を隠します。そして二人が入ってくる気配があり、
「それでは手を下ろして目をおあけください」
と言われたときの目の前にいた新郎新婦が、あまりにも普通の新郎新婦だった――。
(な、なんの演出もないんかい!)
 反応に困りました(もしかしたら新婦の両親には感慨があったかもしれませんが)。

【あれはどうなったの?】

 「植樹の儀」とかで、来賓がペンキで塗りたくった植木鉢にオリーブの木を植え、それぞれの地元から持ってきた水を注ぐ儀式が行われました。

 水道水でいいと言われていたのですがせっかくのこと、わざわざ地元の大きな川まで行って石ころだらけの河原をけっこう歩き、ペットボトルに清水をとって当日も忘れないように気を遣いました。それなのに式では故郷の川どころか、地元の水だという説明もありません。司会者に促されて横に置かれた二本のデカンタから水を注いだだけです。私の持って行ったあれは、どうなったのでしょう?

【このソーメンは何ですか?】 

 説明がなかったと言えば披露宴の最後に新郎から母親(つまり私の妻)に渡された「新郎の出生体重と同じ重さの米」についても説明がなく、何となく「夏だからソーメン」と思い込んだ妻は、
「なんで今、ここでこんなに重いソーメンを持たされなくちゃならんのだ?」
と悩んだこと。

【ファースト・バイト=親は手本にならんだろう】

 披露宴の中で行う「ファースト・バイト」。互いにケーキを食べさせるあの「ア~ン」の儀式。だんだんエスカレートして、それぞれの母親が自分の子に食べさせる場面が加わるようになったパターンは知っていました。しかし10年余りの間に「親が手本を見せる」というところまで悪(ワル)成長したようです。
 サプライズだったので断り切れずにやりましたが、どう考えたって私たちがやれば「介護の練習」にしかならない。
《やがて、こういうこと、いっぱい増えていくよね》
 その哀愁を読み取った人も少なくなかったと思います。

上着を着せるだけの仕事】

 新企画と言えば式の最初に、新郎の父親が上着を着せる「ジャケット・セレモニー」、母親がその胸に小さな花束をつける「ブートニア・セレモニー」というのも加わっていました。ただ着せて花をつけるだけです。
 それではつまらないので、闘牛士が布を振り回すようなパフォーマンスをしたうえでジャケットを着せようと練習までしたのに、当日、家族全員の猛反対にあって諦めざるを得ませんでした。残念です。

【この愛は誰が育てるのか】

 故郷の水をかけられたあのオリーブの木は、夫婦が別居している状況でどうなるのでしょう?
 アキュラはある意味で徹底した合理主義者で、自分にできないと考えると見栄も外聞もなく人に(特に親に)に任せることのできる子です(その代わり自分がやると決めたら頑固でなかなか引いてくれない)。
 式の一週間ほど前にかかってきた電話でジャケットセレモニーや「故郷の水」について話したついでに、
「父!(とアキュラは私のことを呼びます)、お願いがあるのだけど、植樹の儀のオリーブの木、家に持って行ってくれないかな」
 とりあえず置いておいてほしいという話だと思ったので、同じ都内のシーナの家に届けようかと答えると、少し迷って、
「ウ~ン、今後のことを考えると、やっぱり父の方がいいかな?」
 どうやら本格的に預けて育ててもらおうという腹みたいです。植物を育てるとなると、シーナもあまり信用のできる子ではありません。

 かくしてオリーブの木は田舎の我が家に居つくことになり、二人の愛は私が育てることになったのです。
 確かにその方が間違いは少なそうですが――。
(この稿、続く)