カイト・カフェ

毎朝、苦みのあるコーヒーを・・・

「学問は暇に任せてするものだけど・・・」~今日は大暑だそうです

 今日は二十四節気のひとつの「大暑」。
 これから立秋までの期間にはさまざまな呼び名がある。
 しかし今の教師にそれをゆっくり調べる時間はない。
 教員の質の低下と言うなら、まずこちらを心配すべきだ、
という話。(写真:フォトAC)

【そもそも大暑・土用・暑中ってなんだったっけ】

 今日、2024年7月22日は「二十四節気(にじゅうしせっき)」*1のうちの「大暑(たいしょ)」だそうです。二十四節気というのは1年を春夏秋冬四つに分けたそれぞれをさらに六ずつに分けて特徴づけたもので、これに「雑節(ざっせつ)」*2と呼ばれる「節分」だの「彼岸」などを合わせて季節の変わり目の目安としました。二十四節気を頼りに農作業などは進められて行ったのです。
*1:立春・雨水・啓蟄(けいちつ)・春分清明穀雨立夏小満芒種(ぼうしゅ)・夏至小暑大暑立秋処暑・白露・秋分・甘露(かんろ)・霜降(そうこう)、立冬小雪・大雪・冬至小寒大寒
*2:社日(しゃにち)・節分・彼岸・土用・八十八夜・入梅半夏生(はんげしょう)・二百十日・二百二十日

 「夏至」(今年は6月21日)から約一ヵ月。梅雨が明けて快晴が続き気温も上がり続けるころ、また一年で最も夏の暑さが盛んになる時期のため「大暑」と名づけられています。大暑のひとつ前の節気は「小暑」(今年は7月6日)、ひとつ後ろが「立秋」(今年は8月7日)で、この期間はさまざまに切り取られ、いくつかの名前が重複してつけられています。
 
 ひとつは「暑中」。小暑から立秋の前日までのおよそ30日間を言います。ただし「暑中見舞い」は小暑ではなく、大暑(または梅雨明け)から立秋前日までの間に出すのが一般的で、立秋以降は「残暑見舞い」という言い方になります。
 
 立秋前の18~19日間(7月19日が『入り』だった今年は19日間)を「夏の土用」と呼び、農作業などで土を動かす行動を避けるべきとされています。昔は井戸を掘るような仕事も避けられました。
 この土用の期間中にある「丑の日」には「う」のつく黒いものを食べると精がつく、無病息災で暑い期間を乗り切れると言われ、現在も「ウナギ受難の日」と決まっています。今年は7月24日 (水)と8月5日 (月)の二日間です。
 ただしこれは江戸末期、暑い日が続いて脂の乗りの悪くなったウナギが売れなくなり、困ったウナギ屋が平賀源内に相談したところ「土用の丑だ、ウナギを食べよう」みたいな宣伝文句を考えてくれたのが始まりだと言われています。栄養価の高いウナギが夏バテに良いのは確かですが、土用の丑とウナギになんの関連もなく、味は一年のうちでもっとも落ちる――要するにまったく関係のない、火のないところに煙を立てたわけですから、今日も業界ではキャッチ・コピーの手本とされているそうです。
 
 今日は大暑ですが、今日から立秋前日までの期間も「大暑」という言葉で表すことがあるようです。土用と重なる期間が大部分ですが、大暑の方がやや短いということになります。

【教養豊かな子を育てたい】

 私はしばしばこんなふうにブログに季節ネタだの時事ネタだのを書きますが、それは心の隅に、
《朝、この記事を読んだどこかの先生が教室に行って、何かの拍子に思い出してこの話題で話してくれたらいいな》
という思いがあるからです、

 初任のクラスが荒れに荒れて、そのとき山ほどのアドバイスをいただいた中に、
「毎朝、良い話をしなさい」
というのがあって、学級担任をしていた20年間は子ども相手に話し、管理職になってからの10年間は職員を相手に文章で、毎日必ず「良い話」をするようにと心がけ実際にやってきました。このブログはその延長上にあります。
 
 今日が「大暑」であるというそのこと自体は「良い話」ではありませんが、話し方によっては一部の子の興味を引くでしょうし、教養としては知っているべき話です。英語学習が小学校から行われるようになって、仮に日本人の英語力が急激に高まったとしても、話す内容が薄っぺらではどうしようもありません。それを、英語で、
「ああ、そう言えば今日は日本では二十四節気の『大暑』と言われる日で、今日から本格的に暑くなるという、そういう日なんですよ」
などと話し始めれば、相手の膝もグンとひとつ近づいて来ようというものです。そうした教養ある子を私は育てたいのです。

【新任ではなく、中堅・ベテラン教師の質が下がって行く】

 さて、二十四節気や土用について、あれこれ調べたり確認したりしながらここまで書くのに、私はおよそ2時間を要しました。今は夏休み中ですし昨日は日曜日でしたので、現職の先生たちもその気になれば同じことはできるでしょう。しかし学期中はムリです。
 現役時代の私にできたのは、それが昭和だったり平成も最初の方だったりしたからで、今のような忙しさの中で、毎日、あれこれ調べたり考えたりするなどとうてい無理な話です。
 
 学問というのは、本来あり余る時間の中でこそ可能なものです。本一冊を読むにしても、今日の続きが明日になるのか三日後なのか、はたまた1週間先になるのか分からないようでは安定的に取り掛かることはできません。
 教員採用試験の競争率低下で教員の質も下がるのではないかと心配されていますが、忙しさのために勉強できない現状が続くなら、今いる内部の先生たちの質が率先して低下していくはずです。それに従って子どもたちの質も落ちていくに違いありません。宮沢賢治を担任に頂くような幸せ、子どもたちが憧れて「いつか私も学校の先生に――」と思えるような教師は、まもなくいなくなってしまうはずです。