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「忠臣蔵と流星群」~仮名手本とはなにか、なぜ流星群はふたご座なのか

 今日12月14日は赤穂浪士の討ち入りとふたご座流星群の日として頭に入れやすい日です。

 講談では「時は元禄15年12月14日・・・」で始まる忠臣蔵ですが、当時は日の出を待って日付の変更としました(だから新年の「二年参り」はとても楽だった)ので、実際の討ち入りがあったのは現在で言えば15日未明ということになります。また太陽暦に換算すると1703年1月30日に当たる日で、そう言われるとむしろ季節感は合ってきます。

 赤穂浪士事件を題材とする「仮名手本忠臣蔵」は竹田出雲らの脚本による人形浄瑠璃に始まった芝居で、歌舞伎の重要な演目となっています。私は若い頃、「忠臣蔵」には漢字のものと仮名で書かれた平易なものがあり、後者の方を「仮名手本」と言うのだと勝手に思っていましたが、実はそうではありません。ひとつには「平仮名の手本」である「いろは四十七文字」と四十七士の連想から、武士の手本となる偉業なので「仮名手本」なのだという説、もうひとつは「いろは」を7文字ずつ区切ってそれぞれの行の最後の文字を並べると「咎(とが)なくて死す」になるからだという説(昔、『柿本人麻呂いろは歌の謎』という本でも使われました)の二つがあるようです。

 「忠臣」は四十七士のこと「蔵」は討ち入りの主人公大石内蔵助の「蔵」だというのが一般的ですが、劇中で志士の支援をする大商人天川屋利平のあだ名が「蔵」だという説、さらに実は脚本を書いた竹田出雲のパトロンが「蔵」と呼ばれる大商人で、自分のことを勝手に芝居に入れさせたのだとか、諸説紛々です。
忠臣蔵」および「赤穂浪士討ち入り事件」については若い頃、かなり熱心に調べたので話したいことも山ほどあるのですが、現代では「忠臣蔵」自体がマイナーでトリヴィアも役に立ちませんのでこれくらいにしておきます。ただし日本の有名な暗殺事件はすべて雪の日に起きる(赤穂浪士事件、桜田門外の変二・二六事件)のは、いつ考えても不思議です。

 もうひとつ。
 今夜は、ふたご座流星群の良く見える日です。ふたご座流星群は1月のしぶんぎ座流星群、8月のペルセウス座流星群と並んで三大流星群と呼ばれるもののひとつです。近年は個数も増えて明るさも増し、ペルセウス流星群よりずっと良く見えるという話もあります。

 何しろ夜が長く空気の澄んだ季節の流星なので条件はとてもいいのです。またこの時期のふたご座は宵に東からのぼり真夜中に天頂に達するので、深夜だと真上から流星が振る感じになって見ごたえもあります。年による数の差が少なく、毎年1時間あたり20個から30個の流星が見られるといいます。

 今年のふたご座流星群は、今日の午後8時にピークを迎えると言われています。ただ南の空に上弦過ぎの月が残っていて午前0時ごろまで空にありますから、暗い流星まで見たいということになると未明まで待たなくてはなりません。

 流星は放射点と呼ばれる中心点から出てきます。しかしその放射点付近が一番たくさん見えるというわけではありません。全天に広がりますので月を避けてみるのが良いでしょう。ここは周囲を山に囲まれているので、ある意味かえって観測しやすいのかもしれません。

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