カイト・カフェ

毎朝、苦みのあるコーヒーを・・・

「なぜ人間は地球の覇者となりしか――つるむ者が進歩する」~隣り百姓と集団脳③

 いよいよ人類は火星移住を目指すまでの進歩を遂げた。
 しかしなぜ、私たちだけが進歩の道を歩き続けることができたのだろう。
 ネアンデルタール人ではだめだったのか?
 そこに私たちホモ・サピエンスの特性がある。集団脳だ。

という話。

(写真:フォトAC)

 

【なぜ人間は地球の覇者となりしか】

 4月24日(日)のNHKスペシャル▽ヒューマン・エイジ人間の時代 プロローグさらなる繁栄か破滅かは、いよいよ人類が地球を出て、火星に向かうという壮大な物語から始まります。一通り宇宙工学の現地点を紹介した後、話題は一気に30万年遡り、人類の誕生から見直します。主題は、
「なぜ人間だけが短期間にここまで進歩できたのか」
です。

 短期間というのは地球誕生の今から45億年前、生命誕生の40億年前、そして生命が海を出て陸上に進出した4億年前と比べて、人類誕生の30万年前はほんの目の前、人類がアフリカを出て(出アフリカ)世界に広がってからの6万年間は一瞬と言っていいほどの短さだという意味です。その中で人類は地球脱出が夢でなくなるほどの進歩をとげた、人類だけがそれを果たした、なぜ私たちだけにそれができたのか、NHKスペシャルの主題はそういう問いかけです。

 ここで「人間だけが」の前に「ゾウではなく」とか「ライオンではなく」といった言葉を入れると謎が謎でなくなってしまいます。そうではなくて、主題をこんなふうに書き換えると俄然、興味がわいてくるはずです。
ネアンデルタール人ではなく、なぜホモ・サピエンスだけが短期間にここまで進歩できたのか」


ネアンデルタール人は進歩しない】

 ネアンデルタール人ホモ・サピエンスの比較研究はかなり行われてきました。そもそも知能のレベルに違いがあったのではないかという仮説もありましたが、脳の大きさはほぼ同じです。言葉を使う能力や火を起こす能力も比べましたが、大きな違いはないとみられています。そこで研究者たちが目をつけたのが道具の違いです。

 ネアンデルタール人の使っていた石器はどれも形が似ていて、狩りにも料理にも同じような道具を使っていたのに対し、ホモ・サピエンスのそれは実に多種多様で、用途に合わせて大きさも形も違っていたのです。ネアンデルタール人が25万年ものあいだほとんど同じような道具を使っていたのに対して、私たちの祖先は次々と新しいものを生み出していった。そしてこうした技術革新は今日まで休みなく続けられ、車やテレビ、火星に届くロケットなどに繋がっていくのです。
 NHKスペシャルの課題はここで一歩前進し、文言も書き改められなくてはなりません。
「なぜ私たち(ホモ・サピエンス)だけが技術革新を成し遂げられたのか?」

 

【つるむ者が進化する】

 ハーバード大学の人類進化生物学者、ジョセフ・ヘンリック教授はそれを集団の大きさで説明しようとします。1900年代初頭にオセアニアで行われた調査を分析すると、太平洋の島々で暮らす民族の、人口の規模と漁に使っていた道具の種類に相関関係があったからです。
 具体的に言えば、人口1100人の島では道具が13種類、3600人では24種類、17500人では55種類と、集団が大きくなるにつれて生み出す道具の種類が増えているのです。

 同じ法則がネアンデルタールホモ・サピエンスにも当てはまるとヘンリック教授は言います。石器が変化しなかったネアンデルタールが家族単位の小集団で暮らしていたのに対し、ホモ・サピエンスは血縁を越えて150人規模の大集団を築いていたと考えられるからです。
 では集団が大きいとなにが違うのか。

 

【集団脳】

 とりあえず人数が多いと、中に一定の割合で新たなアイデアを思いつく人が出現します。そのアイデアは大集団に共有されて次の世代に伝えられますが、そこで技術が陳腐化するとまた新たなアイデアを思いつく人が出て、同じことが繰り返されるのです。つまり技術革新が連鎖するわけです。

 ところが集団が小さいと、とりあえず内部にアイデアを思いつく人が出現する可能性が減ります。出現したとしてもそれを共有する人間が少なすぎて普遍化しない。次の世代への伝承も難しくなり、しばしば道具は逆戻りしてしまいます。

 “世代を越えて知識やアイデアを積み重ねる中で、技術が革新し行動になっていく”、大きな集団の中で生まれるその働きを、ヘンリック教授は「集団脳」と呼びます。教授は言います。
「私たち人間が次々と技術革新を生み出せるのは、個々人が賢いわけでも一握りの偉大な天才のおかげでもありません。何世代にもわたって技術が累積するからこそ、高度な技術革新が生れるのです」

 番組の紹介だけで長くなってしまいました。
 “少人数では進歩に翳りがみられる”といった現象は、10人未満の学級担任をしたときにも感じることですが、その話も改めてしましょう。
 今は隣り百姓と集団脳の問題です。これについては明日も考えていきたいと思います。

(この稿、続く)