「優しさの学習」~ハーヴとイーツに起こったこと①

 ストレスだ、どうにかしろと家族に訴えたら、
 娘のところから孫たちの動画が送られてきた。
 それを見ながらふと、
 人はどんなふうに優しさを身につけるのだろうと考える気になった。

という話。

【孫たちの動画が送られてくる】

「コロナ事態で人にも会えない飲みにも行けない、子どもに会えない孫にも会えない、ストレスじゃ~~~」と家族LINEで大騒ぎしたら、娘のシーナが孫たちの動画を何本か送ってくれました。息子のアキュラからは何も言ってきません。これはいつものことです。

 その動画の一本に、大号泣する長男のハーヴというのがありました。なぜ泣いているのかはのちほど説明しますが、ここで注目すべきは1歳8カ月になった弟のイーツの方です。

 ソファに座っていたイーツは兄が泣いているのに気づくとスタスタとテーブル伝いに近づいてきて、床に降りると兄を見上げ、そのお腹あたりを両手で優しくトントンと叩き始めたのです。もちろん慰めるしぐさです。
 恥ずかしかったのかハーヴが背を向けると、今度は背後から腰のあたりをそっと抱きしめます。何とも微笑ましいしぐさです。f:id:kite-cafe:20210203072408j:plain
 写真でハーヴの頭の上に乗っている手は母親シーナのものですが、兄を慰めるイーツの様子を微笑んでみて、そのあと抱き上げることになります。

【イーツは何ゆえに兄を抱きしめたのか】

 しかしイーツが思いやりのある子だとか、あるいは優しい子だとかいた話ではありません。1歳8か月の幼児に人を思いやる心がないことは科学的に確かめられています。そもそも他人の心を推察するということができないのです。1歳8か月はおろか、5歳を過ぎても多くの子どもができません。(*1)


 これについては面白い話があって、今年も正月の特別番組で楽しませてもらった「はじめてのおつかい」のスタッフたちは、経験的に5歳3か月までの子どもたちが周囲に無関心であることを知っています。
 5歳3か月までの子どもは周囲に奇妙な人がたくさんいて、中にはカメラを構えている人がいても気に留めたりしません。稀にスタッフに声をかける子もいますが、それはたまたま目の前の人に興味を持っただけで相手がどう思っているかなどまったく関心がないのです。だからカメラマンもあんなふうに無防備に後をついて歩けます。(*2)

 イーツが大泣きするハーヴに近づいて体をトントンやったのも、背後から抱きしめたのも、ですから兄を思いやってのことではありません。号泣している人がいたらそうするものだと思い込んでいるからです。
 兄が泣いているときには母親や父親がいつもそうしているし、自分が泣いた時もそうしてもらっている。保育園では先生たちが大泣きしている友だちにそうしている、だからトントンしたり抱きついたりするのです。

 ところが真似しただけのことなのに、そのあと母親か父親か、あるいはそれに代わる大人が微笑んでダッコしてくれたり、頭をなでてくれたりします。それが心地よい――そこで、誰かが泣いていたら行ってトントンするか抱きつけばいい、そうすればあとでとても気持ちの良いことがある、そんなふうに条件づけられたのです。ここまではイヌやサルが基本的生活習慣や芸を覚えるのと同じです。
 しかし人間の脳は他の動物の限界を越えて成長し続けます。

【親のため、先生のために優しくなる】

 やがて子どもは明確な意図をもって人に優しくしたり親切にしたりするようになります。意図というのは多くの場合、親や担任の先生に誉めてもらうことです。ご褒美は優しい言葉や笑顔で十分です。

 6歳を過ぎて小学校にあがるころには、たいていの子どもは学校で誉められるとそのことを覚えておいて、家に帰って報告するようになります。先生に誉められて家でも誉められる、二重の褒賞を堪能するわけです。
 ここで重要なことは、その子が“誉められたことを家に持ち帰って報告すると親が喜ぶ”という他者の心に気づいている点です。他人の心が読めるようになるわけです。
 ちなみに発達障害の検査の場では、この「保育園や小学校の低学年のころ、学校で誉められたことを家に帰って報告しましたか?」は基本的な質問事項となっています。

 しかしこの時期の子どもは、親や先生の誉め言葉や微笑みのためにひとに優しくしたり親切にしたりしているわけですから、まだまだという感じも否めません。
 では人はいつごろから、ご褒美なしでも他人に優しくできるようになるのでしょう?

 そのあたりはよく分からないのですが、私は9歳・10歳(小学校3・4年生)の葛藤期を越えたあたりから、次第になる人はなっていくように感じています。
 1・2年生の子どもたちは親や先生がすべてで、子ども同士のトラブルには「だって先生が言ったじゃん!」がすぐに出て来ます。しかし5・6年生はそんな言い方はしません。むしろ友だちの方が大切で、大人が鬱陶しくなるのはこの時期からです。
 だから親や教師に誉められるために何かをするということはほとんどないのですが――しかしそうなると、優しい子どもはどういう動機から優しい行動をとり続けることができるのでしょう?

【優しさの学習】

 一番多い動機は、「それをしないと不快だからだ」と私は思っています。
 相手からの感謝の言葉や周囲の賞賛が欲しいわけではく、朝、顔を洗わなかったり歯を磨かなかったり、人と会って挨拶をしなかったりすることが不快なように、困っている人を見て何もしないことや、助けられるときに助けないことが不快なのです。

 合理的に考えれば顔を洗うことも歯を磨くことも、挨拶をすることも人に優しくすることも、生きていくうえで必要不可欠なことではありません。実際にそのうちのいくつかを欠いたまま生きているひとはいくらでもいます。
 しかしそれにも関わらず、しないと気が済まない人は洗顔や歯磨きと同じように、優しい行いや親切が習慣化しているのです。そうだとしか考えようがありません。

 では、いったいいつからそうした習慣化の学習を始めたらよいのでしょう?
 シーナの送ってくれた動画は、その答えのひとつを教えてくれたように思うのです。

 ところで最初に戻って、兄のハーヴはなぜ号泣していたのか。
 実は夕飯が食べきれず、そのためにデザートも食べられなくてそれで泣いていたのです。これについても思うところがあるので、明日、お話しすることにします。

《参考》
(*1)
kite-cafe.hatenablog.com

(*2)kite-cafe.hatenablog.com