カイト・カフェ

毎朝、苦みのあるコーヒーを・・・

「ブランコはどこへ行くのか」〜公園から遊具のなくなる日

f:id:kite-cafe:20181130184906j:plain  娘のシーナが孫のハーヴ(まもなく3歳半)を連れて東京から里帰りをしました。何人かで集まって友人の結婚式の計画を立てるとかいった仕事もあるみたいです。

 

【再挑戦】

 シーナがいろいろやっている間のお子守は私の仕事です。孫に限らず乳幼児と遊ぶのは大好きですから預けられるのは大歓迎なのですが、生粋のビビリのハーヴをどこに連れて行くかを考えるのは、けっこう大変なことです。

 経験的に大丈夫と分かっている科学センターやデパートのキッズコーナー、近くの児童公園等を一通り回るとそろそろ手がなくなます。しかたないので今回も一度訪ねた私の母(ハーヴにとっては曾祖母)の家にまた行こうとして、その道すがら、途中でふと寄り道をすることにしました。

 今年の夏、小学生に怯え、遊具に怯え、噴水に怯えて全く楽しめなかった大型の児童公園も、今なら噴水もなければ人出も少なそうですから案外楽しめるのかもしれないと思ったからです。

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 そして案の定、朝の肌寒い児童公園には親子連れが数組いるだけで全く空いていて、ビビリのハーヴには取っ掛かりやすい雰囲気でした。
 いったん取り掛かりさえすれば、後は何とかなるのです。

 

【都会にはない・・・】

 大型遊具の高いところまで何度も登って、苦手だったローラー滑り台もにも挑戦し、小一時間ほど遊んで最後に見つけたのが普通のブランコ。
「これ、やる」
というので座らせると、まだ自分でこぐということができないので私が手でゆっくりと揺らしてやります。ハーヴは何やら神妙な顔でじっと前を見つめています。  もういいと言うまで揺らしてやろうと思ったのですが、なかなか言わない。言わないまま、5分、10分・・・そのまま20分以上も飽きず、黙って揺らされているのは驚きました。少しも楽しそうじゃないのに。

 家に戻ってシーナに
「なんであんなのが良かったのだろう。ただ20分以上も揺らされているだけなんだよ」
と言うと意外な答えが返ってきます。
「ブランコがレアな遊具だから」

 意味が分からず戸惑っていると、
「都会の児童公園にはブランコがないの。少なくとも私たちが歩いていける範囲の児童公園には一つもない」
 シーナの家から行ける範囲の児童公園というのは私も制覇していますが、言われてみるとブランコに乗った記憶がありません。そこで思い出したのがその日ハーブの隣でブランコをこいでいた小学校4年生くらいの女の子の話です。

 

【子どもと教師を遊び方が追い詰める】

 その子もお祖父ちゃんらしい人と一緒に来ていたのですが、ブランコをこぎ始めていくらもしないうちにいったん止まり、
「いけない、いけない」
 そう言って着ていたパーカーのチャックを引き上げ「じいじ」に話しかけます。 「ブランコをするときはチャックをしめないといけないんだよ。ホントは帽子も被ってないといけなくて、帽子をかぶった上にフードのついた服を着ている人はフードを被るの。先生がそうしなさいって。一年生はみんな黄色い帽子被っているからいいけどね」
 なるほど、今、学校ではそんな指導も行われているのです。

 紐のついた服で遊んではいけません、ブランコなど危険な(!)遊具で遊ぶときは服装を整え、特に頭はしっかりと保護して行うこと、危険な遊び方はしてはいけません、等々。
 「きまり」というのはつくったら守らせなくてはなりませんから先生たちの何人かは休み時間も屋外に出て、一緒に遊ぶふりをしながら全体を監視しているに違いありません。

 私が現職のころは休み時間になると、「さあ外に遊びに行っておいで!」と言って教室を空にし、その間に日記を読んで感想を書いたり宿題のチェックをしたりしたものです。それを外に出て監視しなくてはならないなんて、今の先生たちはいつ日記を読んだり宿題を見たりするのでしょう。
 教師の多忙化というのは、こんなふうに積み重なっていくのです。

 

【13年前の危惧】

 勤務する学校から次々と遊具が撤去されたと嘆いたのはもう13年も前のことです。

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 子どもたちが夢中になって遊んだ回旋塔空中シーソーがなくなっただけではなく、三本の丸太平均台まで撤去されたのには、呆れると同時に本当に哀しくなりました。

 丸太平均台というのは不用になって払い下げられた木製の電柱で、早起き野球の大人たちもベンチ代わりに使っていたものです。落ちたら危険と言えばそれまでですが、わずか30㎝の高さから落ちてケガをすることを怖れるようだったら、学校教育の多くができなくなってしまいます。組体操などもってのほかで、鉄棒もハードルも走高跳もさせられません。  

 13年前の記事でも私は、
 危険といえばブランコも登り棒も危険ですから、全ての遊具が校庭からなくなってしまう日も遠いことではないのかもしれません。何でも学校に責任を負ってもらおうという時代ですからしかたないのかもしれませんが寂しいことです。 と書きました。

 幸い学校のブランコは先生たちの献身的な努力によって死守されていますが(なにしろ休み時間にやるべき仕事を他に回しているのですから)、児童公園からはなくなりつつあるのでしょう。  それでいいのか――。

 

【ブランコはどこへ行くのか】

 そんなふうに考えると、面白くもなさそうな顔をしながら20分間もブランコで揺られているハーヴの姿が、なんだか黒澤明の「生きる」に出てきた初老の公務員の姿に重なってきます。

「生きる」の主人公は雪の中で、歌を口ずさみ、ブランコをこぎながら死んでいきますが、ハーヴの成長していく教育環境は、生き生きと躍動する人間を生み出す力を失っているかもしれないのです。