カイト・カフェ

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「ならぬことはならぬという学び」~ハーヴとイーツに起こったこと③

 大人になって融通を利かせるにしても、
 子どものうちは絶対に守らなくてはない社会的ルールがある。
 それを身につけさせることで、“何かのために何かを我慢する力”をつける、
 それが小学校にあがる前にやっておかなくてはならないことなのだ。

という話。
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【小学校では、遅すぎる】

 初任で中学校に勤め、10年中学校教師をやって自信も誇りも意欲も十分についたころ、わざわざ通信教育で免許を取って小学校に異動しました。なぜ今さら小学校にと訝る人もいましたが、中学校で教員を続けるのに一度行って見ておきたいというのが唯一最大の理由でした。

 新たに中学校の入ってくる生徒を見るたびに、97%、いや98%の子どもはいいにしても、のこり2~3%に関して、「小学校はどうしてこんな子を6年間も放置できたのか」と不思議でしかたなかったのです。もう少し仕上げて卒業させられなかったものか――。

 そこで2~3年のつもりで小学校へ移ったのですが、私はたいへんな思い違いをしていました。小学校へ異動するには小学校教員一人分の席が空けばいいのに対して、中学校に戻るには「社会科教師」の席が空かなくてはならなかったのです。言うまでもなく中学校は小学校の半分の数しかなく、社会科教員の席はさらにその十分の一程度の狭き門です。

 結局、毎年のように中学校への異動願を出しながら、結局は戻ることができませんでした。あまりしつこく異動させろと言ったら怒った校長先生が、職員室の隅にいた若く優秀な先生を遠く指さして、
「あの先生でさえ中学校に希望を出して通らんのだぞ(オマエに行けるはずがない)」と言われて少し傷つきました。

 しかしおかげで学年をどんどん下げて最後は小学校1年生の担任までさせてもらい、当初の謎、「なぜあんな子どもたちが中学校にあがってくるのか」を十分に理解することができました。
 答えは、
「小学校では、遅すぎる」
です。


【小学校に持ってくるべきもの】

 小学校に入学するに際して、ひらがなやたし算なんか勉強してくる必要はありません。ましてや英語なんてまったくやってくる必要はなく、それよりも日本語――先生の言うことをきちと聞くことのできる子を育ててきて欲しいのです。

 45分間席を離れず、担任の言葉に耳を傾けることのできる子、それさえ寄こしてくれれば、あとは先生たちがいかようにも育ててくれます。しかし座っていること自体が難しい子、教師の話をたびたび聞き漏らすような子をきちんと育てるのはなかなか難しいのです。
 話を聞いてもらえないのでは何も始まりません。

 ではどういう子が45分間きちんと話を聞いていられるのか――いうまでもなくそれは「我慢強く、情緒の安定した子」です。
 シーナの家の鉄の掟、「完食せざる者、デザートを食うべからず」はその意味の重要だと思うのです。

 

【ならぬものはならぬという学び】

 人間社会には鉄の掟がたくさんあって、それには無条件に従わなくてはなりません。大人になって多少融通を利かせたり、場合によってはルール自体を変えたりすることはあっても、少なくとも子どもの間は絶対に守らなくてはならない約束事が、かなりの数、あるのです。

 例えば赤信号ではどんな場合にも絶対に止まっていなくてはなりません。大人になって車が一台も来ない深夜の交差点でちょっとズルをすることがあるにしても、子どものうちは守らなくてはならない。
 同じように、小学生になったら学校へは時間どおりに来なくてはなりません。チャイムが鳴ったら席に着かなくてはなりませんし、授業が始まったら私語をせず、45分間、きちんと話を聞いたり作業したり、そのほか先生の指示に従ってすべきことをしなくてはならないのです。

 それは自分のためだとか、友だちに迷惑をかけないためだとかいろいろ説明の仕方がありますが、とりあえず”掟(無条件で従うべきルール)“だからと言っておきましょう。その方が面倒がなくていいですから。
 ハーヴがデザートを諦めなくてはならないことにも、同じ意味があります。

 実は子どもたちはかなり早い時期からこの“掟”の訓練をしてきています。例えばジャンケンがそれです。何かを賭けてジャンケンをするとき、相手のパーにこちらがグーを出してしまったらどんなに欲しいものであってもあきらめなくてはなりません。鉄の掟ですから。
 あるいは滑り台やブランコで遊ぶときのジュンバンコやカワリバンコも絶対に守らなくてはならない“鉄の掟”です。他人を押しのけたり、遊具を独占したりすることは厳しく糾弾されなくてはなりません。
 子どもたちはこうした遊びを通して徐々に社会的ルールを身につけてきていきます。だから家庭内のルールも鉄壁でなくてはならないのです。
 会津の「什(じゅう)の掟」にいうように、「ならぬものはなりませぬ」でいいのです。

 

【ただし・・・】

 子どもの成長を幼児期まで遡って考えると、ここに厄介な問題が現れてきます。それは生来の気質というものです。「子どもは真っ白な心で生まれてくる」などと言う人がいますが、まったくそんなことはありません。生まれながら持ってくるものが山ほどあるのです。
 例えば私のところのハーヴとイーツ。同じ親から生まれて顔も似ているのに、性格や行動はまったく違います。
 ハーヴは生来の臆病者で、ハイハイの時期、畳の部屋から床に降りる4㎝の段差が怖くて、必ず後ろ向きになって移動していたほどです。ロボット掃除機のルンバが怖くて、動き出すとヒーヒー言いながら高速ハイハイで逃げ回っていました。きちんとしゃべれるようになっても、「ルンバは怖いんだよ」とか言っていましたから相当なものです。
 屋外を歩くときは必ず大人の方に手を伸ばして握ってもらい、危険なこと、無茶なことは一切しません。総じてとても育てやすい“良い子”だったのです。

 ところがイーツの方は、送られてくる写真や動画を見るといつもどこかに絆創膏を貼っていたり目の周りを真っ黒にしていたりしています。
 ついこのあいだの1歳半のときには、上の写真の右の方に見える自動車で階段の最上階から一番下まで一気に駆け下りたといいますから相当なものです。目が離せない。

 この二人を同じように育てるわけにはいきませんし、同じように育つこともなさそうです。ですから「小学校にあがるまでに45分間きちんと座って話を聞ける子に育てましょう」と言っても、かける時間もエネルギーも、子によってかなり違ってきます。

 動きの激しいお子さんをもった親御さんの大変さは重々承知しています。ですから何が何でも「きちんと話を聞ける子」に育ててこないといけないとは申しません。しかしそれでもなお、努力は続けるしかありません。


【最後に】

 家庭内に鉄の掟を持つことと情緒の安定した子を育てることの間には強い相関があるように感じています。
 これについても書こうと思ったのですがまた話が長くなります。その件については改めてお話ししましょう。

(この稿、終了)