「肉体労働者、職人教師、職業作曲家、映画やコンサートを支える人々」~私のアリアナ体験④

 世の中には自分の領域を厳しく限定し、
 その中で完璧を期すプロフェッショナルがたくさんいる。
 彼らすべてが一流であるわけではないが、
 すべてが誇りをもって仕事にあたっている。
という話。

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【肉体労働者:生頼範義

 昨日、イラストレーターの生頼範義に話が及んで、
 生頼範義については2年前に詳しく書いたのでこれ以上触れませんが、
と記して2018年1月23日の記事にリンクをつけておきました。kite-cafe.hatenablog.com  気になることがあって、夕方、改めてリンク先の記事を読んだら、我ながら酷い引用をした悪い記事だと気づいて本当に悔やみました。

 そこでは、
 私はおよそ25年の間、真正なる画家になろうと努めながら、いまだに生半可な絵描きにとどまる者であり、生活者としてはイラストレーターなる適切な訳語もない言葉で呼ばれ、うしろめたさと恥ずかしさを覚える者である。
という文章を引用して、
 この文章は30年以上も前に書かれた書籍にもあった言葉で、当時の私が激しく心を揺らされたものです。その小さな自己卑下と自嘲、自戒、ある種の決意と誇りは、当時の私の置かれていた状況をよく説明してくれるものだったからです。
と書いているのです。

 よく読めば1980年ごろ、当時20代後半でまだこころ揺れ動いていた私が、生頼の文章を読んで自分の状況をよく理解し決意した――と分かるのですが、一読しただけだと“生頼範義もまた人間的に未熟なままであった”みたいな捉え方をされかねない、それこそ未熟な文です。

 昭和を代表する偉大なイラストレーターの文章から引用するなら、その誇り高い部分こそ記しておかなくてはなりませんでした。若い時期の私がこころ動かされ、“自分もまたかくありなん”と決意した文章なのですから、落としてはいけなかったのです。
 それは例えばこんな部分です。

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 寄せられる仕事は可能な限り引き受け、依頼者の示す条件を満たすべき作品に仕上げようと努力する。私に描けるか否かは、発注の時点で検討済みであろうし、その期待を裏切るわけにはいかない。主題が何であれ、描けないと云うことは出来ない。生活者の五分の魂にかけて、いかなる主題といえども描き上げねばならない。

 私は肉体労働者であり、作業の全工程を手仕事で進めたい。定規、コンパス、筆、ペン、鉛筆とできるだけ単純、ありきたりな道具を使い、制作中に機械による丸写しや、無機質な絵肌を作ることを好まない。一貫して、眼と手によって画面を支配したい。習練を積むことで手は更にその働きを滑らかにし、女の肌から鋼鉄の輝きに至る無限の諧調を描きわけてくれるだろうし、眼はその手の操作を充分に制御してくれる筈だ。この事と眼に対する絶対信頼は原始的信仰の如きものであり、過酷な時間との競争、非個性的な作業の連続を耐えさせてくれる。

【職人教師:私】 

 いま改めて読むと、職業人としての私は、思いのほかこの文章に支配されていたのかもしれません。
 実際に教員になってからは仕事を断るということはありませんでした。ほとんどの仕事は私にできると判断されてから来るのです。それを「できない」と断るわけにはいきません。どんなに忙しい時でも「その忙しさの中でできるはずだ」と思っていただけるから来る仕事です。
 稀に“誰もやりたがらないから”という理由で私のところに回ってくるものもありますが、それは私の能力ではなく男気に期待してくれてのことでしょう。ですからどんなにつまらないものでも断ることはできなかったのです。

 与えられた仕事はできるだけ丁寧にやろうと心がけました。それが私にとって精一杯だったからです。
 教員のなかには天才的な人がたくさんいて、芸術的な授業を展開できる人もいれば野性的な勘と行動力で生徒指導の神様みたいな扱いをされる人もいます。大したことをしているように見えないのに生徒の心をしっかりつかんで見事な学級経営を行う先生もいれば、全校集会などで一瞬にして全員の目と耳をくぎ付けにできる人もいます。具体的なことを言えば、部活動で全国大会に行くような先生は皆、どこか神懸っていました。
 しかし私はそのいずれでもありません。普通の教師で、できることには限りがありました。

 もっとも教職には職人芸に似た側面があって、よほど才能に欠ける人でない限り、誠実に努力を続けていけば到達できる領域というのがあるのです。私はそれをめざしました。
 生頼の言う、
作業の全工程を手仕事で進めたい
一貫して、眼と手によって画面を支配したい

という気持ちで向き合うにふさわしい領域です。

 具体的には、引き継ぎ書類だけは完璧なものをつくろうとしました。書類づくりの全行程を自分の手仕事で進めたい、自分の力だけで引き継ぎ書類全体を支配したい――。
 以前も申し上げましたが、翌年おなじ仕事を割り振られれば引継ぎ相手は自分、したがって楽ができます。そうではなく他人に引き継がれるようなら、きっと誉めてもらえます。

【職業作家:筒美京平

 こうした「自分の領域を狭く規定してそこから一歩も出ず、しかしその内部を丁寧に耕す」という生き方はけっこうあります。
 例えば先日亡くなった作曲家の筒美京平もその一人で、彼の決めた領域は「裏方」「職業作家」でした。

 Wikipediaにも、
 匿名性が比較的強い作曲家であり、その生前にマスメディアに登場することはあまりなく、プロの職人として裏方に徹するというスタンスを貫いた
とあるようにほとんど表に出て来ませんでしたから、記録としての生き方や言動があまり残されていません。

 それでもやはりネット社会、調べると出てくるものです
 70年代は、1つの作品をリリースするまでには作る人と売る人の役割分担がはっきりしていて作詞家、作曲家、アレンジャー、売り手が一体となって、一つの「会社」みたいな感じでやっていましたね。一人でやる方よりもチームワークでやった方が何倍も強いものだったんですよ、不思議ですけど。当時はよく冗談で言っていましたが、僕らは「日本歌謡会社」に勤めているサラリーマンなんですよ、って(笑)。

 とにかく曲をつくる時は、中ヒットであろうが大ヒットであろうがベスト10に入らないといけないと思っている

 ポップ・ミュージックを作るには街とかメディアにアンテナをはって自分の音楽と人の音楽が闘っているみたいな緊張感を持っていないとダメなんです。僕らみたいな職業作家は自分の好きな音楽を作ることが役割ではなく、ヒット商品を作るのが使命ですから。
「作家で聴く音楽」第二回 筒美京平

 自分の使命は好きな歌をつくることではなく、ヒット曲をつくること――そこにひとつのプロの在り方が示されています。もちろん、だからと言って同じ生き方をしても誰もが筒美京平ほどのヒット曲をつくれるわけではありませんが・・・。

【映画やコンサートを支える人々:無名士】

 私は映画館でエンドロールを最後まで見る人間です。ただ眺めているのではありません。できるだけ読もうとします。
 それは一本の映画が制作されるためにどれほどたくさんの人がかかわっていて、その一人ひとりに人生があり、意気があり、誇りがあることを感じたいからです。

 コンサートのビデオを観るときも、ダンサーやコーラスの一人ひとりに目を凝らし、あるいはステージバックのあちこちに目をやり、大道具や小道具、照明や衣装の一つひとつに心を寄せてその背後にいる人間を思い浮かべると、漫然と眺めるのとはまた違った楽しみが発見できるものです。
 ビデオだったら何度でも観ることができますから、そのつど観点を変えてみるのも一興です。