明日はハロウィン。
土曜日が重なるなんて、そうあることではない。
本来ならたいへんな騒ぎになるところだがこのコロナ禍、
どうぞ若者が家でおとなしく過ごしてくれますように。
どうぞ渋谷に出てきたバカ者が、その愚かさにふさわしく、
全員アマビエでありますように――。
という話。
土曜日が重なるなんて、そうあることではない。
本来ならたいへんな騒ぎになるところだがこのコロナ禍、
どうぞ若者が家でおとなしく過ごしてくれますように。
どうぞ渋谷に出てきたバカ者が、その愚かさにふさわしく、
全員アマビエでありますように――。
という話。
(写真:オーダン)
【ケルト人】
ハロウィンというものがどうにもこうにもわからず、ずいぶん調べたことがあります。
もとはケルト人のお祭りということですが、その「ケルト人」がわかっていないので全体がわからなかったのです。
今でもたぶんよくわかっていないのですが、確実なところで、ケルト人とは紀元前5世紀ごろにはアルプスの北部に広く住んでいたヨーロッパの原住民で、現在はケルト語と総称される似通った言語を話し、ケルト文化と総称される類似の文化をもった人たちです。
「総称される」「総称される」と繰り返したのは、言語にしても文化にしても元々高い統一性を持ったものではないからです。
たとえて言えば鎌倉・室町時代の日本。住んでいるのは基本的に日本人で日本語を喋っているはずなのに、おそらく津軽のオジイと博多のオバアは会話にならず、気候や互いの距離を考えれば文化的な統一性もかなり怪しい、日本人が日本民族らしくなったのは江戸時代の参勤交代以降、文化的に繰り返しかき混ぜられてからのことだと思うのです。
ケルト人という言い方はしてもケルト民族と言わないのは、そんなふうに歴史として統一性の高いケルト文化が見えてこないからでしょう。
もとはケルト人のお祭りということですが、その「ケルト人」がわかっていないので全体がわからなかったのです。
今でもたぶんよくわかっていないのですが、確実なところで、ケルト人とは紀元前5世紀ごろにはアルプスの北部に広く住んでいたヨーロッパの原住民で、現在はケルト語と総称される似通った言語を話し、ケルト文化と総称される類似の文化をもった人たちです。
「総称される」「総称される」と繰り返したのは、言語にしても文化にしても元々高い統一性を持ったものではないからです。
たとえて言えば鎌倉・室町時代の日本。住んでいるのは基本的に日本人で日本語を喋っているはずなのに、おそらく津軽のオジイと博多のオバアは会話にならず、気候や互いの距離を考えれば文化的な統一性もかなり怪しい、日本人が日本民族らしくなったのは江戸時代の参勤交代以降、文化的に繰り返しかき混ぜられてからのことだと思うのです。
ケルト人という言い方はしてもケルト民族と言わないのは、そんなふうに歴史として統一性の高いケルト文化が見えてこないからでしょう。
【大陸のケルト、島のケルト】
ヨーロッパ大陸のケルト人たちは紀元前1世紀ごろまでにゲルマン人に押し出されて西のフランスやスペインに移動し、やがてローマ帝国の侵攻を受けて次第に同化し始め、中世にはゲルマン系のフランク人に吸収されてフランス人となっていきます。けれどそれですべてが消えてしまったわけではありません。
ケルト人の一部は海を隔てたグレートブリテン島やアイルランドで生き残っていたのです。
イギリスは正式名称を「グレートブリテン・北アイルランド連合王国」と言いますが、そのグレートブリテンはさらにイングランド・スコットランド・ウェールズの三つに分けられます。そのうちのウェールズと北アイルランドの人々がケルト人の子孫で、ケルト語はウェールズ語・アイルランド語として形を変えて残っていたのです。
現在イギリスには四つの公用語(英語・スコットランド語・ウェールズ語・アイルランド語)があるということを忘れていると理解できない部分です。
ケルト人の一部は海を隔てたグレートブリテン島やアイルランドで生き残っていたのです。
イギリスは正式名称を「グレートブリテン・北アイルランド連合王国」と言いますが、そのグレートブリテンはさらにイングランド・スコットランド・ウェールズの三つに分けられます。そのうちのウェールズと北アイルランドの人々がケルト人の子孫で、ケルト語はウェールズ語・アイルランド語として形を変えて残っていたのです。
現在イギリスには四つの公用語(英語・スコットランド語・ウェールズ語・アイルランド語)があるということを忘れていると理解できない部分です。
【ケルト文化】
ケルト文化というのも分かるような分からないような、奇妙なものです。ケルト模様だとかアイリッシュダンスだとか、ケルト音楽だとか、言われてみればイングランドやスコットランドあるいはヨーロッパ大陸諸国のものとは確かに違うな、という気はするのですが、これと言った決定打はありません。強いて言えばケルト文化というのは雰囲気なのかもしれません。
私の理解では、私たちがイギリスだと思っているものからキリスト教を引いて、イングランド的なもの(シェイクスピア・ロック音楽・球技スポーツなど)を引いて、スコットランド的なもの(ウイスキーやバグパイプ、タータンチェックなど)を引いて、残りから北欧的なものを摘まみ出すとケルト文化になります(余計わからないか――)。
「アーサー王物語」に出てくる魔法使いや妖精の世界、魔力を持つ生首、騎士道、そんなものがケルト的なのかもしれません。
私の理解では、私たちがイギリスだと思っているものからキリスト教を引いて、イングランド的なもの(シェイクスピア・ロック音楽・球技スポーツなど)を引いて、スコットランド的なもの(ウイスキーやバグパイプ、タータンチェックなど)を引いて、残りから北欧的なものを摘まみ出すとケルト文化になります(余計わからないか――)。
「アーサー王物語」に出てくる魔法使いや妖精の世界、魔力を持つ生首、騎士道、そんなものがケルト的なのかもしれません。
【ハロウィン】
ケルト人の一年の終わりは10月31日。長い冬の始まりでこの日の夜には死者の霊が家族を訪ねて回ると信じられていました。また同時に悪霊や魔女も街を跋扈するために、人々は敢えて同じような扮装をして悪霊や魔女に混ざり、人間とは分からないようにして身を守ったと言います(諸説あり)。
これは後に入ってきたキリスト教徒からすれば好ましからざる異教徒の祭りで、特に“敢えて悪魔の姿を借りる”という部分は許しがたいものでした。もちろん先住民の大切な儀式ですから無碍に潰そうとすれば大きな抵抗にあいます。そこでこのケルトの祭りを取り込みにかかるのです。
どうやったかというと元々5月13日にやっていた聖母と殉教者のための祝祭を11月1日に持ってきてしまったのです。これを「諸聖人の日」と言います。かつて「万聖節」と言ったものと同じです。そしておかげでケルトの祝祭はその前夜祭になってしまったのです。
「諸聖人の日」は英語で「ソレムニティ・オブ・オール・セインツ(Solemnity of All Saints)」。略して「オール・セインツ(All Saints)」と呼ばれるほか「オール・ハロウズ(All Hallows)」「ハロウマス(Hallowmas)」とも言われます。
「諸聖人の日」の前の晩は「ハロウ・イブ(Hallow Eve)」と呼ばれ、それが訛って「ハロウィン(Halloween)」となったのです。
「諸聖人の日」はイギリスやカトリック国で今もきちんと祝われているようです。
ハロウィンを「諸聖人の日」とほとんど関わりない「子どものおやつ集め」にしてしまったのは19世紀のアメリカ人、それをさらに宗教色のない大コスプレ・パーティにしてしまったのは日本人の仕業でした。
これは後に入ってきたキリスト教徒からすれば好ましからざる異教徒の祭りで、特に“敢えて悪魔の姿を借りる”という部分は許しがたいものでした。もちろん先住民の大切な儀式ですから無碍に潰そうとすれば大きな抵抗にあいます。そこでこのケルトの祭りを取り込みにかかるのです。
どうやったかというと元々5月13日にやっていた聖母と殉教者のための祝祭を11月1日に持ってきてしまったのです。これを「諸聖人の日」と言います。かつて「万聖節」と言ったものと同じです。そしておかげでケルトの祝祭はその前夜祭になってしまったのです。
「諸聖人の日」は英語で「ソレムニティ・オブ・オール・セインツ(Solemnity of All Saints)」。略して「オール・セインツ(All Saints)」と呼ばれるほか「オール・ハロウズ(All Hallows)」「ハロウマス(Hallowmas)」とも言われます。
「諸聖人の日」の前の晩は「ハロウ・イブ(Hallow Eve)」と呼ばれ、それが訛って「ハロウィン(Halloween)」となったのです。
「諸聖人の日」はイギリスやカトリック国で今もきちんと祝われているようです。
ハロウィンを「諸聖人の日」とほとんど関わりない「子どものおやつ集め」にしてしまったのは19世紀のアメリカ人、それをさらに宗教色のない大コスプレ・パーティにしてしまったのは日本人の仕業でした。