カイト・カフェ

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「生頼範義という生き方」〜展覧会場で思い出したこと

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【生頼範頼を知っていますか】

 イラストレーターの生頼範義についてどれほどの人が記憶に留めているか、いまでもものすごく有名な人なのか、知る人ぞ知る伝説の人なのか、ちょと想像のつかないところです。
 しかし知らない人のために説明すると、彼は「スターウォーズ 帝国の逆襲」のポスターを描いて世界に知られた人で、さまざまな映画ポスターや小松左京平井和正のブックカバーなどで一斉を風靡した人です。

 しかしいま東京上野の森美術館で開かれている展覧会では、入場口に列ができるわけでもなく、開催期間も一か月弱という短いものですから、人気のほどもその程度、ということなのかもしれません。来館者は珍しいほどに男性中心で、年齢層も私の前後、つまり中年から初老にかけての人々と、あいだを置いていきない若い二十歳前後人たちで、ゴジラのフィギュアなどに1万円〜2万円と支払っていきますから、そのスジ(ヤクザではない)の方たちと思われます。よく言えば根強い人気があるということでしょうね。

 展示内容は「ゴジラ」「スターウォーズ」を始めとする映画ポスターおよびその下絵、小説「宮本武蔵」や「三国志」の挿絵・新聞広告、小松左京平井和正の小説のブックカバー・挿絵、織田信長から尾崎将司にいたる肖像画、その他注文とは別に個人で描いていた油絵など、多彩で多様な2百数十点です。単純に、量にも圧倒されます。

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【最初の出会い】

 私が生頼を知ったのはもちろん「スターウォーズ 帝国の逆襲」なのですが、まず驚かされたのは中世ヨーロッパふうの服装の人物と宇宙・バトルシップ・地球といった取り合わせです。それはスターウォーズの世界観であると同時に、生頼範頼の独特の世界を形作ります。
 たとえば、旧約聖書でサムソンを陥れたデリラの肖像の背後にはガスマスクで完全武装したアメリカ兵が亡霊のように立っていたり、舞踏のほうびとして預言者ヨハネの首を所望した舞姫サロメの母親へロディアの背後で、銀盤に乗せられた首はロボットアームで運ばれてきます。

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 見ているだけで心臓が高鳴るような光景です。

 生頼の作品に心動かされる第二の理由は、その超絶技法です。
 今でこそコンピュータグラフィックスを使えばどうとでもなる表現も、30年前はそういう訳にいきませんでした。経験と修行によって培われた尋常でない技術があって初めて、写真のような画面はできあがるのです。しかも近づいてよく見ると、細部まで丁寧に書き込んでいるというのではなく、かなり荒く乱暴なのです。
 戦闘機の機体番号などはレタリングさえされていない生の手描きで、小さく描かれた人物などは近寄りすぎると何が描かれているの分からなくなります。それでいて離れると表情まで浮かんできます。
 30年前の私はそれこそ食い入るように画集を見続けたものです。

【30数年ぶりの邂逅】

 そんな生頼範義ですので、今回、展覧会のあることを知って、矢も盾もたまらず出かけました。今までもほとんどなかった生頼の展覧会ですから、今後私の生きている間には二度とないかもしれません。あの感動を、本物の絵画で味わいたいと心躍らせながら出かけたのです。

 ところが実際に見てみると驚くほど感動がない、悪くはないのですが昔ほど心が動かされない、「うまいなあ」「すごいなあ」とは思うのですが、魂が揺り動かされるといった激しい情動が起こらないのです。
 何が違ったのでしょう?

 ひとつには生頼の始めた表現方法が、後発の人々によってありふれたものにされてしまったからです。宇宙・地球・戦争・古代や中世の人々といったイメージを一箇所に集めるやり方はこの30年間、繰り返し取り上げられたもので、もはや陳腐とさえ言えます。
 アイデアが勝負の作品は、賞味期間も短いのです。マグリットがつまらないのと同じです。

 第二に、コンピュータグラフィックスによって、超絶技法の価値が下がってしまったということ。
 通常目にすることの世界を、ほとんど現実のように描き出して見せるのはCGの得意技です。コンピュータにできないことはありません。
 そのCGを超えるメッセージを込めようとしたら、技法だけでなく、ダリの持つ何ものかと同じ特別なものがなければなりません。そしてたぶん、生頼範義にはそれがない。
 生頼は彼自身が言うように、芸術家ではなく職人だからなのかもしれません。
 

【思い出したこと】

 今回の展覧会の公式パンフレットの巻頭言に、生頼は次のように書いています。

 私はおよそ25年の間、真正なる画家になろうと努めながら、いまだに生半可な絵描きにとどまる者であり、生活者としてはイラストレーターなる適切な訳語もない言葉で呼ばれ、うしろめたさと恥ずかしさを覚える者である。
(中略)
 絵を描くことは肉体労働に他ならぬと考える日銭生活者の私は、仕事が選べるほど優雅ではない。寄せられた仕事は可能な限り引き受け、依頼者の示す条件を満たすべき作品に仕上げようと努力する。

 この文章は30年以上も前に書かれた書籍にもあった言葉で、当時の私が激しく心を揺らされたものです。その小さな自己卑下と自嘲、自戒、ある種の決意と誇りは、当時の私の置かれていた状況をよく説明してくれるものだったからです。

 あると信じた、あるいはあって欲しいと願った己の才能に見切りをつけ、しかし今できることに誇りもち、精一杯努力しようとする姿勢は、そのころの私そのものでもあったのです。

 広い展覧会場を回ってヘトヘトになりながら、私はそれを、突然思い出したのでした。

 生頼は小松左京平井和正の信頼を得て最期までカバーや挿絵を描き続けましたが、生涯一度も二人に会うことはなく、電話で話すことさえしなかったといいます。生頼の自己韜晦をうかがわせるエピソードです。

 *「生頼範義展」1月6日 (土) 〜 2月4日 (日) 10:00〜17:00
 上野の森美術館(〒110-0007 東京都台東区上野公園1−2)