カイト・カフェ

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「70年代――オイルショック後の世界の、宇宙とオカルトと古代文明」~私のアリアナ体験③

 私が青春を送った1970年代、
 高度成長の終わった73年以降は曖昧で不安で先の見えない暗黒の時代だった。
 そんな中で私たちは宇宙やオカルトや古代文明に逃げていたのかもしれない、特に私は。
 それを思い出させたのが、アリアナ・グランデの「God is a Woman」だった。

という話。

f:id:kite-cafe:20201028073602j:plain(写真:フォトAC)

 

【私がそこそこ心病んでいたころ】

 タイムマシンで半世紀前に戻ったら私がまず最初にやるのは、高校生の自分を探してぶん殴ることです。
「なにをオマエやってるんだ! 世の中けっこう甘いぞ! ウジウジしていないで、自分のやりたいようにやれ!」
ということです。さように私は臆病で、ウジウジした少年でした。

 そのころ私が好きだったものは、「My favorite things」風に言えば、
 キリコとダリの不安な絵画
 タンジェリン・ドリームヴァンゲリスシンセサイザー音楽
 誰もいない夕暮れ時の体育館の、つめたく冷えた空気
 足の折れた木製の椅子
 天井で揺れる裸電球


――いやはや本当に心病んでいたものです。

 化学の時間に原子の雲の話なんかを聞いていると、
「ああオレって雲の集積なのか?」
とボンヤリ考え、地学の時間に宇宙の話になって、
「宇宙は閉じているとしたら馬の鞍の形をしていて、開かれているとしたら球の形をとる」
などと言われると、
「アレ? オレって外側からも固められないのか?」
と絶望的な気持ちになってボーっと生きていました。
 絶望「的」というのは「絶望していたわけでない」という意味で、チコちゃんに叱られる程度だったとも言えます。
 
 

【70年代――オイルショック後の世界の、宇宙とオカルトと古代文明

 私が青春を生きた1970年代は始まりこそ高度成長の爛熟期で未来は光り輝いていましたが、大学に入学した73年にオイルショックが起こり、あとはバブル経済の始まる1986年まで、ほぼ10年以上続く暗黒時代でした。

「良い高校から良い大学、そして良い企業へ」と言えば今では嘲笑されますが、高度成長期は親と同等かそれ以上の生活をしようとしたら親より高い学歴は必須で、しかも良い高校や良い大学に進めば必ず高収入に結び付く保証があった――少なくともそう信じられた時代でした。
 それがオイルショックとともに完全に消えてしまい、その後どういう生き方をしたらよいのかという生涯モデルも作れない、不安な時代でもあります。

 1999年の7の月に人類が滅びるとする「ノストラダムスの大予言」や日本だけが海の藻屑と消えるSF小説「日本沈没」が大ヒットしたのが73年というのは、もちろん偶然ではありません。

 この時期は第一次オカルトブームとも言われる時代で、ホラー映画「エクソシスト」(1973)がヒットするとともにネッシーだのツチノコなどが本気で追いかけられ、ユリ・ゲラーがスプーンを曲げたり甲府で小学生が宇宙人と遭遇したり、街を口裂け女が疾走し、人間とチンパンジーの間に生まれた(らしい)オリバー君がVIP扱いで来日し――。
 そんな中でジョージ・ルーカスは映画「スターウォーズ」(1977)の第一作で、宇宙とバトルシップ古代ギリシャ風の服装を融合させ、富田勲はアルバム「バミューダ・トライアングル」(1978)で“バミューダの海底に沈む巨大なピラミッドの古代人たち”と宇宙人の交信といったテーマを扱いました。
 宇宙やオカルトや古代文明が結びつきやすかったのです。

 そして1980年、日本のイラストレータ生頼範義が「スターウォーズ」の第2弾「帝国の逆襲」の国際版ポスターを手掛けるのです。
 

生頼範義アリアナ・グランデ

 「スターウォーズ/帝国の逆襲」が上演された1980年、私はすでに20代の後半に差し掛かっていましたが、相変わらず生活は曖昧なままでした。
 自分の足元や現実を見て生きるのは辛く、どこか遠いところばかり見ていたように思います。そんな私に、宇宙だとか古代ギリシャだとか、あるいはバトルシップだとかいった荒唐無稽は、むしろしっくりくるのです。
スターウォーズ」は物語が子どもじみていて好きになれませんでしたが、そこに描かれる風景は好きでした。そして生頼範義のイラストは、そんな私の気持ちにさらにぴったり合うものだったのです。
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 生頼範義については2年前に詳しく書いた(*)のでこれ以上触れませんが、例えば上のイラスト「へロディア」では、実の娘のサロメが舞踏のほうびとして所望した預言者ヨハネイエス・キリストの出現を預言した)の生首が、銀盆に乗せられてロボットアームで運ばれてきます。
 一片の現実性もありませんが、それでいて違和感のない、完結した世界が描かれています。
 私はこういう世界が好きでした。そしておそらく、今も好きなのです。

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 30代になって結婚して二人の子どもが生まれ、仕事の方も軌道に乗って面白くなって以後、現実の世界で足元ばかりを見て生きてきました。
 しかし今もなお、気を許せばふっと現実感を失い、あらぬ方向を見ながらさまよい出しかねない部分があるのかもしれません。
 アリアナ・グランデの「God is a Woman」のライブ映像を見て、思い出したのはそういうことでした。