カイト・カフェ

毎朝、苦みのあるコーヒーを・・・

「文はどこへ行った」〜思い出せないことの幸せ

 私のブログのアクセス・カウンタは土日を除くとほぼ110〜120、多くて130越えるかどうかといった数を示します。

 大部分がリピータの方で、私が日課のように書くのを、日課のように見に来てくださる、そんな印象を持っていたのですが案外そうではないのかもしれません。ときおりとんでもなく昔の記事に“拍手”がついたりするからです。そして場合によってアクセス・カウンタもグンと加算される。
 昨日などもその典型で、夕方の時点でカウンタが140を越え、何事かと思ったら古い記事に“拍手”が二つもついていたのです。

kite-cafe.hatenablog.comという記事です。

 これが再三拾い上げられ“拍手”をいただけることには、ひとつの理由があります。それは「あとみよそわか」を検索にかけると、YahooでもGoogleでも、私の記事が一番上に来るからです。他にもヒットする記事はあるのですが感想や教訓が語られる例が多く、「あとみよそわか」そのものを説明している記事は私のものをおいて他にあまりありません。
 そこで私は首を傾げます。「あとみよそわか」はそんなにマイナーな話題か? ということです。

 横浜の学校でも都内でも、教室内に掲示されたこの言葉を見たことがありますから学校社会でマイナーということはなさそうです。しかしそれにも関わらず、少なくとも私が記事を書いて以来10年もの間、これについてさらに書く人がほとんどいないというのは一体どういうことなのか、もっと大勢が心動かされてネット記事にしてもよさそうなものなのに――それがひとつの謎です。

【文はどこへ行った?】

 もうひとつの謎は(妙な話ですが)、いったい私は何に準拠してこの記事を書いたのか、ということ――。
 ネット上に私のブログ以上の具体的な記事がないのですから参考にしたはずがありません。しかし今、私の手元にあるテキスト(「幸田文 しつけ帖」《平凡社 2009》)がタネ本でないことも確かです。私が記事を書いたのは2007年、「しつけ帖」は 2009年の初版だからです。

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 さらに言うと「しつけ帖」に『あとみよそわか』という一章は確かにあるのですが、どうも2007年に私が読んだものとは違うようなのです。「しつけ帖」には父親の露伴が文(あや)の才能に見切りをつけ、
「おまえは学問や芸術には向かない、お金を稼ぐ人になるのも覚束ないだろう。そうなれば、あとは並みの家庭を築いていくしかない」
と言ったという話が出てきません。

 2007年の私自身によると、
「あとみよそわか」は幸田文が繰り返し書いた父親・幸田露伴の話の中に出てくる言葉です。
 だそうですから、幸田文が何回か使いまわしている「あとみよそわか」の、別の文章を参考に書いたものかもしれません。
 しかしそれにしても文(「あや」または「ぶん」)はどこへ行ってしまったのか?
 

【東大生の話】

 話は変わりますが、40年以上も前の学生時代、私は東大医学部の学生と麻雀を打つという、あとから考えるととんでもない体験をしたことがあります。
 別にやりたかったわけではないのですが面子が足りないからということで、同じアパートのほとんど見ず知らずの住人から誘われてしまったのです。私の部屋からはいつでも麻雀の音がしていたからでしょう。私はひとり、向こう東大医学部が三人です。

 その勝負が始まってからの最初の20〜30分したころ、ひとりが切った牌を別のひとりがじっと眺めながら言います。
「それさ、先々月の3日にやった時の第6試合東2局で、ほとんど同じような状況なのに○○切ったよね。今日はどうしてそれを切るわけ?」
 聞かれた相手は(もちろん手の内は知られないように気を遣いながら)、
「ああ、あれはね・・・」 と滔々としゃべり始めます。  私は怖気を奮ってその場を逃げようと思いました。
(そんなことまで覚えてんのか? !  コイツらとは絶対、麻雀、できん・・・)

 私なんかつい3分前の捨牌すら覚えていません。どんなに運を引き寄せても、この人たちに勝ち続けることはとてもできそうにない、そう思ったのです。
 

【覚えていられない幸せ】

 さて話を戻しますが10年前の自分自身の記事「あとみよそわか」、何を参考したのか全く思い出せません。しかしさりとて苦になる話でもありません。
 著作権その他で問題であれば、どこかからそう言ってきますから待っていればいいようなものです。

 確かに、自分の書いたもの、自分が書いたこと、その時参考にしたもの、その時の気分――、それらを覚えていて得られる幸せもあります。けれど忘れてしまう幸せだってあります。

 とりあえず私のブログには2700以上の記事があるのです。
 今はとにかく、古い記事は何を読んでも新鮮。書いた私自身が自分の文章から、新しい知識を手に入れていたりするのですからほんとうに幸せです。
 

【ところで】

「あとみよそわか」にはときどき集中的にアクセスが入ります。集中的に何かあるのでしょうね。

 何でしょう?