カイト・カフェ

毎朝、苦みのあるコーヒーを・・・

「悪人がしゃべりすぎの『モモ』、隆明は語らなかった」~『100分 de 名著』の愉しみ

 Eテレ「100分 de 名著」を楽しみに観ている。
 毎回たった25分だが、
 自分が子どものころ、こんなふうに教えてもらっていたら、
 勉強も人生も、ずっと違ったものになっていたことだろう。

というお話。

f:id:kite-cafe:20200820064237j:plain(「100分 de 名著」NHKサイトより)

【悪人がしゃべりすぎの『モモ』】

 最近気に入って見ている番組のひとつはNHKEテレ「100分 de 名著」(毎週月曜日/午後10時25分~10時50分 <再>水曜日/午前5時30分~5時55分、午後0時~0時25分)です。

サイトの説明によるとこんな番組です。
「一度は読みたいと思いながらも、手に取ることをためらってしまったり、途中で挫折してしまった古今東西の“名著”。
この番組では難解な1冊の名著を、25分×4回、つまり100分で読み解いていきます。
プレゼン上手なゲストによるわかりやすい解説に加え、アニメーション、紙芝居、コントなどなど、あの手この手の演出を駆使して、奥深い“名著”の世界に迫ります。
案内役は、タレントの伊集院光さんと、安部みちこアナウンサー。
偉大な先人の教えから、困難な時代を生き延びるためのヒントを探っていきます!」

 今月の「名著」はミヒャエル・エンデの「モモ」で、今週(第3回)は主人公のモモが「時間の国」で時を過ごすうちに、モモの住む街がすっかり変わってしまったというところまで進みました。
 私はこの本を同じエンデの「はてのない物語」に続いて、20代の半ばくらいに読んだと思います。面白い話でしたが「はてのない物語」に比べるとスケールが小さく、ちょっと残念な気がしたという記憶があります。

 特に時間泥棒「灰色の男たち」のひとりが、前半でモモに自分たちの陰謀をべらべらとばらしてしまうところなどは、なんとなくあっさりしすぎていて違和感を持ったのです。わざわざあんなにしゃべらなくてもいいのに――。

 ところが今回、「100分 de 名著」で教えられたのは、この小説の冒頭から、廃墟「円形劇場」の住人であるモモが「聴く人」として登場しているということです。いわば街の小さなカウンセラーで、誰でもモモの前では自分のことを語りたくなる――。
 だからモモと深くかかわりあった灰色の男の一人は、ぺらぺらとしゃべってしまったのです。
 私の読みが浅かった――。



 【隆明は語らなかった】

 先月の「100分 de 名著」は吉本隆明の「共同幻想論」でした。
 これは私より上の世代、いわゆる全共闘世代の必読書で、学生運動(スポーツではなく政治運動)を進める以上は是非とも読んでおかなくてはならないものだったのでした。
 私自身は「遅れて来た青年」で、学生運動には間に合いませんでしたから読む必要もなかったのですが、それでも先輩たちの遺志を継ぐ者として(そんな意欲があった)、是非とも教養を深めておかねばならないと考え、古本屋に何冊もあるうちの一冊を買い求めて読み始めたのです(古本屋に何冊もあったのは、みんな飽きちゃったからかもしれません)。
 ところがさっぱり分からなかった――。

 人生で私の気持ちを大きく揺り動かした本は何冊もあるのですが、「共同幻想論」は自信を喪失させたという点でマルクスの「資本論」(150ページくらい読んだ)と双璧をなすものでした。
 重要な概念である「共同幻想」や「対幻想」は何となくわかる、しかし最も重要そうな「個人幻想」だけは、ヌエのようにつかみどころがなく、理解できない、先輩たち(全共闘世代)はみんな分かるのに、私には分からない――。

 ところが先月の「100分 de 名著」のゲスト、日本大学教授・先崎彰容先生はひとことでこれにケリをつけてしまうのです。
「実は吉本隆明は『共同幻想論』の中で、個人幻想について十分に書いていないのです。だから『個人幻想』については、他の著作や講演記録から考えて行かなくてはならないのです」
――ナンジャ、そう言うことかい?

【おぼれる者に知恵の浮き輪を】

 私は傲慢なのか恥ずかしがり屋なのか、いずれにしろ他人にものを訊くということが苦手です。訊けば1分で済むことを訊けないばかりに、どれほど時間を図書館で過ごし、棒に振ったことでしょう。
 「共同幻想論」が分からないなら、どこかで話題にして知っている人に訊けばよかったのです。その人が知らなくても、その友だちは知っているかもしれません。その友だちも知らなくても、知っていそうな誰かを紹介してくれるかもしれません。そうやって渡り歩いているうちに、いつか答えにたどりつきます。

 私のような素直でない子、分かっていないくせに偉そうな顔をして、頑として質問に来ないような子は学校の教室にいくらでもいますよね? 
 そんな子には先生の方から気付いて、声をかけてやれるといいです。

「オイ、オイ、オイ、そりゃあ確かに『#(シャープ)が三つも四つもついても、大切なのは右端のひとつだけ』とオレは言ったよ。だけど一番右の#が大切なのはイ長調だのロ長調だのを決めるときだけで、他の#を全部無視したりしちゃいけないだろ。#のついたところ全部、演奏の時は半音あげるんだ、全部!」

「英語で“a”が出てきたらとりあえず“ア”と読んでおけば何とかなるだろう、というのはダメだ。“a”で一番多い発音は“エイ”だ。とりあえずやっておくのだったら“エイ”と発音してみる、その次が“ア”だ。“ア”にもいろいろ種類があるがとりあえず2番目は“ア”ということにしておく。
 同じく“i”は“イ”じゃなくて“アイ”で考える。
 “S”を“エス”と発音するのはローマ字として並んでいるだけだって気がついていたかい? 単語の中の“s”の発音は“ズ”か“ス”、そう考えてやってみよう」

「あ・の・な・あ、オマエ、満州事変を起こした“関東軍”って、日本の首都を守っている軍隊だと思っているだろう? それが違う。だから分からなくなる。
 “関東軍”の“関”は『箱根の関』じゃなくって中国の『山海関(さんかいかん)』。その東はいわゆる“満州”だから“関東軍”というのは“満州軍”と同じなんだ。正確に言えば遼東半島の先端にある関東州に駐留した日本の軍隊で、後に実質“満州軍”になった軍隊のことだ。
 もしかしたらオマエ、小学生のころに広島や岡山のあたりを指さして『日本になんで“中国(地方)”があるんだぁ』と大騒ぎした口じゃないのか?」

 これらはすべて私自身が子どものころ、訊いてみるか教えてもらえば恥をかいたり時間を無駄にしたりせずにすんだことです。

 勉強は自学自習が基本。
 それはもちろんですが、つまらぬところ引っ掛かっていつまでもおぼれているような子どもを一刻も早く発見して、知恵の(浮き)輪を授けてやってほしいものです。