カイト・カフェ

毎朝、苦みのあるコーヒーを・・・

「時間はどこに消えたのか?」~私の近くに「モモ」の灰色の男たちがいるらしい

 2学期最初の一週間、ご苦労様。
 新型コロナで教師の仕事はさらに増えた様子、たいへんなことだ。
 それに比べたら私の生活の、なんとゆとりある、豊かなものなのだろう。
 ――と言いたいのだが実は時間がない。
 職場に行かなくなって浮いたはずの私の時間は、どこへ消えてしまったのだろう?

というお話。f:id:kite-cafe:20200821075657j:plain(「英数字の時計」 フォトACより)

【最初の一週間、ご苦労様でした】

  今週から2学期の始まった先生方、いかがでしたか? 
 例年だとまだまだ夏休みの学校が大半でしょうし、寒冷地など夏休みの短い地域でも、これほど暑い中での2学期は今まであまりなかったことでしょう。今年は梅雨明けが8月にずれ込んだ分、暑さのピークが今ごろになってしまいました。
 いかに冷房のある教室が多くなったとはいえ、肉体疲労もことのほかと思います。

 先日のNHKニュースで紹介された中学校の先生は、これまで80時間程度だった月の残業時間が100時間にもなっていると言っていました。
 以前と違うのは、まず放課後の消毒作業。生徒一人ひとりの机をアルコール消毒するほか、人の手に触れそうなところはすべて拭き取っていきます。本来は生徒がやるはずのトイレ掃除も、感染のリスクが高いとかで先生たちの仕事になってしまいました。

 少なくなった授業時間を補うため、宿題もいつもよりずっと丁寧に作らなくてはなりません、出した宿題は翌日チェックしなくてはならない。そうした今までにない取り組みの積み重ねが、月100時間の残業なのです。

「より丁寧な宿題を出せば、生徒もそれに応じて頑張ってくれる。だから力を入れざるを得ない」
 そういった発言がありましたが、いつの時代も教師の考え方は変わらないですね。
 ただし今は特別な時です。ご自身の過労が免疫力の低下となって、あれほど注意しているはずの防疫の壁を、自ら崩してしまわないよう、どうぞご自愛のうえ、がんばって乗り切ってください。

 

 【マイ・ルーチン】

 さて、私はと言えば、これも忙しかった。
 定年退職後の第二の職業も振り捨てて、完全な在宅生活を始めて2年半。
 忙しいと言えば退職後もバリバリと働いている弟などは、「何が忙しいんだ」と冷やかしますが、やはり忙しい。なぜか忙しい、何が忙しいか分からないがとにかく忙しい――。

 母のところで朝4時半に起きてコーヒーを飲みながらメールやサイトのチェックをし、自宅に戻って畑でひと働き。
 日によってはゴミ出しに行ったりジョギングに出たりで午前6時から朝食。現職の妻はすでに出勤。
 食べ終わると台所のシンクを掃除しながら食洗器に皿や茶碗を入れ、スイッチ・オン! 続いてペットの世話をする。

 そのあとコンピュータの前に座り、一晩たつと違った目で見られる自身のブログをもう一度校正。ミラーブログにコピー。ツイッターに更新記録を送る。
 そしてまた畑。

 私は朝風呂派なので昨夜の残り湯に加熱することもなく入り、汗と汚れを流し落とします。
 出てから洗濯、風呂掃除をする。
 前日、室内に取り込んだままになっていた洗濯物をハンガーから外して、丁寧にたたんでからタンスの中へ。そして新たな洗濯物を掛けて屋外に干す。

 新聞に目を通し再びコンピュータの前に座る――その時点で時計を見ると、もう10時を過ぎていたりすることもあります。
 そしてほどなく昼食。

 昼の食器は水に浸して食洗器から朝と前の晩の食器を出し、食器棚に整理して入れる。気が向けばそれから室内清掃。ふと時計を見ると2時。
 そこから翌日のブログ記事を書いたり本を読んだり、ネット記事を確認したりして4時。ヤレヤレまだ暑いがもう一度、畑に行ってがんばろうと勇気を出して しばらく作業をしているとやがて妻が帰宅。
 食事をつくるのは妻の仕事なので手を出しませんが、そのあと6時か7時に夕食。また台所の片づけ。ブログの仕上げと更新。
 母の家に向かう。

 それが私のルーティーンですが、その間にしょっちゅう母や妻から臨時の仕事が入る。
 特に妻からは夕食の終わったくらいの時刻に、「明日までにお願い!」と思いつき仕事を託され、そんな仕事はたいていがコンピュータに関わるもの(例えば音楽CD を一枚編集してくれとか)で、明日までと言ったって母の家に行くのにあと1時間ほど。ネット環境はこちらにしかありませんから、ここでやるしかなく、必死の作業になります。
 イソガシイ、イソガシイ、イソガシイ・・・

 

【床屋のフージーさんと私】

 昨日お話しした「100分 de 名著」の「モモ」では、第二回で床屋のフージーさんが取り上げられます。店の評判も良く、お金持ちではないものの幸せに暮らしていたフージーさんは、ある日ふと、こんなふうに考えるのです。
「俺の人生はこうして過ぎていくのか。はさみと、おしゃべりと、せっけんのあわの人生だ。死んでしまえば、まるでオレなんぞもともといなかったみたいに人に忘れられてしまうんだ」
 そこに時間貯蓄銀行の外交員を名乗る灰色の男(実は時間泥棒)がやってきて、
“あなたは膨大な時間をムダにしてきた。これからはおしゃべりをやめて、30分でやっていた仕事を15分で済ませ、節約した時間を私の銀行に預けなさい。余裕が増えれば全く違った人生が開けてきます”
 そういった話をするのです。

 生活に不満を感じ始めていたフージーさんはさっそく口座を開き、そこからどんどん時間を節約し始めるのですが、お金も十分に稼ぎ、使うのも十分で、よい服装も着始めるのに、一方で不機嫌な、くたびれた、怒りっぽい顔をしたトゲトゲしい感じの人間になってしまうのです。
 実際にフージーさんには時間的余裕がまったくありませんでした。なぜなら節約して貯蓄銀行に預けた“時間”は、灰色の男たちによって盗まれてしまっていたからなのです。

 ところで、私は現職の時代には朝6時に家を出て、夕方も6時前に帰ることはまずありませんでした。それがもっとも短いサイクルで、長いサイクルの時代は朝の4時半から夜の9時まで学校で働いていました。
 ですから退職後は毎日最低12時間は自分のために使えるはずで、その余った時間で、買ったきり書棚に入っている本や、若いころ感動してまたいつか読もうと思っていた本を読み、週に2回は映画館に行き、保育園以来やったことのない「お昼寝」を日課としよう、そんなふうに考えていたのです。
 ところが、時間は、まったく、ない。

 1日12時間、週(月~金)に60時間、年間約3120時間。その時間はどこへ消えてしまったのでしょう?