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「1941年秋、日米戦は勝てる戦争だった」~太平洋戦争開戦記念日に考えた①

 明日は80年目の太平洋戦争開戦記念日
 真珠湾攻撃で大勝して、その日から破滅の道を一気に歩み始めた。
 80年前の日本人は何とおろかな選択をしたのか――。
 しかしあの時点で、日米戦は勝てる戦争だったのかもしれないのだ。

という話。f:id:kite-cafe:20211207075843j:plain(写真:フォトAC)

【太平洋戦争開戦記念の日】

 明日12月8日は太平洋戦争の開戦記念日です。80周年ということで今年はテレビの特別番組も多く放送されていますが、例年は比較的あっさりとやり過ごされてしまう日です。終戦(敗戦)の8月15日と違って、昭和16年12月8日は高揚感に満ちた日でしたから、この日一日に焦点を当てて扱うことが難しいのでしょう。

 昭和に入ってからの戦争を「満州事変」「日中戦争」「太平洋戦争(第二次世界大戦)」と三つに分けて学習するのは、すでに70年以上の歴史をもつ常識的なやり方です。しかし歴史は大きくうねるひと繋がりの流れですから、学び手が三つの戦争を別々の事象のように感じないよう、教える側は最大限の努力を払わなくてはなりません。

 太平洋戦争だけを抜き出して学習すれば、どうしてあんな巨大な国と戦おうとしたのか、まったく理解できません。今の自衛隊が米軍に喧嘩を仕掛けるなど、絶対にありえないことですが、昭和16年の日米だって似たようなものでした。3年数か月後、日本はもてる軍艦のほぼすべてを失い航空戦力も壊滅状態だったのに対し、米軍は開戦時を上回る軍艦・航空機を残して戦争を終えています。破壊されるよりもつくる速度の方が速かったからです。
 なんてバカなことをしたのか。

 しかし実を言うと開戦時には、そんなオバケ大国と戦っても勝てる、戦うしかないと考えられるたくさんの理由があったのです。

【1941年秋、日米戦は勝てる戦争だった】

  1. 中国での戦争がすでに10年以上も続いていて、英米の干渉や中国軍支援を断たなければ終わる見通しがまったくつかなくなっていたこと。
  2. 同盟国のドイツは破竹の勢いでヨーロッパを席巻し、東部戦線でもソ連領内に深く侵攻して首都モスクワに迫る勢いだった。
  3. 日米開戦となれば、ドイツもまたアメリカに宣戦布告することになっていたため合衆国は二面作戦を強いられる。日本に対しては十分な戦力を割けないだろうとの見方ができた。
  4. とりあえず米軍が太平洋に配備した艦船だけを見れば、空母8:3など日本が圧倒していたこと。
  5. ABCD(米英中蘭)包囲網によって石油が止められたため、やがて備蓄がなくなって艦船・航空機が運航できなくなり、戦わずして負けるのは明らかだったこと
  6. 日米交渉ではアメリカ側から、日本軍の中国からの全面撤兵を含む「とうてい飲めない条件」が提示され、切羽詰まったこと。
  7. 日清・日露だって超大国相手の戦争だったが勝った。両戦争とも敵国首都まで攻め込んだわけではなく、日露戦争など敵地に一歩も入ることなく勝つことができた。日米戦も早期の局所戦で終わることができると考えられた。

等々。
 1941年秋の情勢だけを見れば、対米英戦は勝っても不思議のない戦争で不可避でもあったと、そういう見方もできるわけです。

【時代は変わっていた】

 もちろんそれは間違った考えです。
 戦争の仕方・考え方は日清・日露と全く違っていて、日本がいきなり真珠湾を攻撃できるようにアメリカ軍もいきなり東京を空襲できる時代になっていたのです。戦争は遥か遠くの最前線で行われるものではなく、それを容易に乗り越えて、互いの領土を直接襲える時代に変わっていたのです。
 いったん長引けば工業力で圧倒的なアメリカには絶対に勝てない――そうした状況にあっては、政府はどんな無理難題を吹っ掛けられても粘り強く交渉を続けるしかありませんでした。国民の命を賭け事のテーブルに乗せてはいけなかったのです。 

 それをやってしまった当時の政府・国民は、本当に愚かだった――。
 太平洋戦争だけを学習すると、結論はそういうところに落ち着きそうです。しかしそれもまた違うと私は思うのです。

(この稿、続く)