カイト・カフェ

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「ロシア兵の気持ちも分かる」~戦争は始まったらおしまいだ① 

 ウクライナの首都キーウ周辺で、大勢の民間人の遺体が見つかった。
 拷問され、あるいは焼かれた遺体も少なくないという。
 世界はロシア軍の戦争犯罪を厳しく糾弾している。
 しかし、戦争とはそういうものなのだ。
という話。

f:id:kite-cafe:20220406073047j:plain(写真:フォトAC)

 

【ロシア兵の気持ちも分かる】

 ロシア軍の去ったキーウ近郊の村々に多くの住民の虐殺遺体が残されており、世界の非難を浴びています。これでロシアは半世紀以上も世界ののけ者にされざるを得ないでしょう。
 ウクライナ政府は戦争犯罪に関わった可能性のある1600名もの兵士の名簿を公開したそうですが、これからのロシアは国家としても個人としても、責任を追及され続けることになります。当然の報いと言えばそれまでですが、善良なロシア人も騙されたままのロシア人もいます。その人たちには気の毒な結果でもありましょう。行く末を見て行きます。

 もちろん私はロシアの肩を持ったりロシア兵に同情したりする者ではありませんが、それでいてロシア兵の気持ちも分からないのではないのです。

 歓迎されると聞いていたウクライナに一歩足を踏み入れると住民の大半は抗議の声を上げ、「ファシスト」と罵ったりします。航空機の十分な支援のない中を進む戦車隊はしばしばウクライナ軍の格好の餌食となり、対戦車ミサイルに次々と破壊され、仲間が死んでいきます。
 一日の行軍はいつ殺されるか分からない凄まじいストレス続きで、しかも食料や弾薬・燃料といった基本的物資が不足し、銃後に強力な支援があるとはとても思えない――そんな状況をもう一カ月以上も続けているのです。いやベラルーシとの共同訓練に出発した日から数えると数カ月にも及びます。

 

【親友が無残に殺されても平気でいられるか】

 私は子どものころから心身軟弱な博愛主義者で、とてもではありませんが戦場で働けるような人間ではないと思っていました。前線に出されて敵と向かい合っても銃など絶対に撃てない。うっかり撃ってこちらの居所がバレ、反撃されるのが怖いから引き金を引くこともできない。おそらく私は戦争に行っても役立たずで、結局なにもできずに帰ってくるだろう――戦争が起こるなどまるで考えられない時代を生きてきましたから、気楽さもあってそんなふうに考えてきたのです。
 ところがある時期から考えを改めました。こんな私でも敵をしっかり憎み、何の躊躇もなく相手を殺せる日が来るかもしれない、そう思い始めたのです。

 戦場で同じ釜の飯を食った仲間が殺されたら、きっと私は敵を殺そうと思うに違いない。つい昨日まで仲の良かった戦友の頭が、スイカのように弾かれるのを見ても、なお博愛主義者でいられるとしたら私は人間ですらない、そんなふうに思うようになったのです。
 たとえ相手が民間人であっても女性であっても、彼らは敵の仲間なのです。さすがに子どもまでは撃てないにしても、怒りと恐怖と興奮に煽られたら動くものはすべて撃ち、情報を取るために拷問し、犯す、そういうこともできるかもしれません。
 兵隊たちは戦場に向かう前に、何十時間も戦場を映した映画を見せられると聞いたことがあります。血しぶきが飛び、肉片がちぎられる風景に慣れさせるためです。私もきっと戦場に向かうころには慣れ切っているはずです。
 そんな兵士に鍛え上げられた私は、復讐心に燃えて限りなく残虐になれるに違いありません。

 

【戦争は暴れ馬】

 そうした荒れ狂う兵士の心を抑え、民間人の虐殺などの戦争犯罪を防ぐ方法がないわけではありません。軍の統率です。
 軍の犯罪行為が明らかになれば、その後の戦略にも戦後の外交にも重大な支障をきたします。ですからいきり立つ兵士を制御するのは上層部の重大な責務となります。
 今回のロシア軍は統率の面でも最初から問題があり、指示が通らないために将校が前面に出ざるを得ず、そのためにたくさんの将校が戦死したと言われています。
 虐殺の事実が明らかになれば国際政治上のとんでもない大問題となるのは分かっているのに、それでも抑えることができなかったのは、兵士がまったく制御できていなかったことの証なのかもしれません。

 もちろん、だからロシア兵の暴挙もやむを得なかったというのではありません。
 戦争は始まってしまうとほとんど制御できない暴れ馬のようなものです。だから始めてはいけない、そういうものなのです。
(この稿、続く)