「生きていることが不要不急、新型コロナは人を選ぶ」~それぞれの新型コロナ②

 視点がどこにあるかによって、事態の見え方は異なる。
 私や私の周辺の人間にとって、
 新型コロナは胸が苦しくなるほどには深刻な話でない。
 しかし今のこの時間を、息を詰めて見つめている人たちもいるのだ。

というお話。

f:id:kite-cafe:20200819073146j:plain(「【東京都】二子玉川周辺の兵庫島公園」 フォトAC より)

 【生きていること自体が不要不急な人々とある種の呑気さ】

 では都会の年金生活者たちはどうかというと、私の知る限り似たり寄ったりが大部分です(とは言っても数人だけですが)。緊急事態宣言が発出したときは思いっきり緊張したものの、実際に日常を過ごしてみたら驚くほどいつもと同じだった、そういう人ばかりです。
 都会と言っても私の友人はほとんどが郊外の人たちで、最初から引き籠っているか、勤めを持っている人たちもリモートワークに入ると普通の田舎人みたいになっていたようです。
 案外、余裕だった――。

 私のように他県の田舎にいて、ニュースで毎日、
「今日の東京都の新規陽性者は300名でした」
などと聞くとかなりビビりますが、東京の人口は都内だけでも930万人、300名はその0.005%にすぎません。場所によっては感染者が広がっているような感じがまったくしない――例えば立川市の昨日までの感染者は88名、羽村市に至ってはたった6名です。もちろん面積や人口が違うとはいえ、これより感染者の多い地方都市はいくらでもあります。そう考えると実感のないのも無理はありません。

 実感がないと言えば特別区の学校に勤務している婿のエージュも同じで、保護者からも感染の情報が来ない、もちろん同僚にもそんな話はないということで、感染予防には徹底的に気を遣っているものの、緊張感という意味では一時期のような厳しさははまったくなくなっているようです。

 しかしそんな呑気なことを言っていられるのは親戚にも友人にも、医療関係者や旅行・飲食といったコロナ禍を直接に浴びている人が、一人もいないという私自身の事情があるからでしょう。そうした知人が一人でもいれば、私だって心穏やかではいられません。

 

【新型コロナは人を選ぶ】

 これまでパンデミックを扱った映画や小説では、「ウィルスは人を選ばない」のが前提でした。
 吸血鬼ドラキュラのように処女の血しか飲まないといった変種はあったにしても、アメリカ人の大好きなゾンビ映画で相手を選んで襲う怪物というのはちょっと思い出せないところです。大昔の日本映画「復活の日」でも、人類が滅びそうになったのは、ウィルスが老若男女を区別しなかったからです。

 ところが今回の新型コロナウィルスは実に不公平で、高齢者や基礎疾患がある人、免疫抑制剤抗がん剤を用いている人は、まるで狙い撃ちにされているように重症化していきます。選択的に殺すのに用いるのは無鉄砲な若い層で、ペストのネズミ、マラリアのハマダラカよろしく、元気なまま街に放たれて無自覚のまま感染を広げていく構図になっています。

 さらにその周辺被害として飲食や観光・娯楽、あるいは輸出産業には手痛い打撃を与えながら、他方で食品の宅配業やスーパー、コンビニ、衛生・健康関連企業やネット通販などの業種の一部を潤わせています。

 私は今回の事態を通して、大げさに言えば「一流の歓楽街を中心に5軒の店舗を経営し、毎月の売り上げが1憶20万円、支払いは1億円(なんだ月収は20万円カヨ)」みたいな人が大勢いることを知りました。
 また演劇や音楽といった分野では、華やかな舞台の裏で辛抱強く文化を支えている人がたくさんいることも、改めて浮き彫りになりました。。
 そんな冒険心と夢に溢れた人たちも、今回は経済的に狙い撃ちされています。

 とにかく厄介なウイルスだと、夏休み中、あらためて思っていたりしたのです。