「外見で人を判断するな、禁止するからやりたくなる」〜タトゥーと校則問題4

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 【子どものアホな説明を受け入れる】

 小学校の教員になった時最も衝撃的だったことのひとつは、子どもたちの対応に何の飾りもないということです。飾りがないと何がいけないのかというと、ホンネだけのやり取りになるので多くの場合は取りつく島がなくなるのです。

 具体的に言えばこうです。

「なんであの子をイジメたの!?」―「だってイジメたくなったんだモン」

「どうして宿題やって来なかったんの?」-「だってやりたくなかったんだモン」

「なぜそんな酷いことを言ったの」―「だって嫌いなんだモン」

 次の言葉が出ません。

 

 これが中学生だとあれこれ屁理屈・小理屈・言い訳・逆切れ等々するのでかえって切り込みやすくなります。

 例えば先日お話しした、「プールの塩素にやられた」「妹にコーラをかけらた」「お母さんの髪染めシャンプーを間違えて使った」等々の“事故”による髪の変色は、いちいち嘘を暴くのも大変ですからまずは信じてやることにします。

 その上で、

「それは大変だったね。でも、そのままだと不良の子がわざと髪を染めているのと見分けがつかない。キミみたいにいい子が不良と思われて他のクラスや後輩から怖れられたり、逆に先輩から睨まれたり、あるいは街で本物の不良に仲間扱いされても可哀そうだし心配だ。

 だから先生からお母さんに言ってあげる。少しお金はかかるけど黒に染め返して、心配がないようにしようね」

とそんな感じです。

 

 しかしその段階を越えて公然と、あるいは決然と食ってかかる子もいます。

 彼らは小学生ではありませんから、

「だってやりたかったんだモン」とか「こっちの方がカッコいいじゃん」とか「こういうのがいいんだモン」とかは言いません。

 その場合、

「先生は外見で人を判断するんですか?」

とか、

「先入観で見るのは良くないと思います」

とか、

「校則で禁止するから余計やりたくなっちゃう」

とかいった言い方になります。

 

 

【外見や先入観で人を判断してはいけないのか】

 もちろん外見や先入観で人を判断してはいけません。しかし外見や先入観はよく当たるのです。

 

 例えば学校内で重大な器物損壊があって誰も名乗り出てこなかったとき、500人もいる生徒をただのっぺりの眺めて、“全員が容疑者”みたいな調べ方をするのは非効率ですし実際になかなか解明に至りません。そうではなく、その時期そんなことをしそうな、気持ちの揺れている生徒を思い浮かべるだけで、さまざまな証拠や状況がスーっと近づいていって結びついてしまうことが少なくありません。普通はそうなります。

 

 また外見についても、学校生活や状況に適応している子、満足している子は、容易にそれをいじろうとしませんから、服装や髪型に変化のある子は何らかの問題を抱えていると想定してほぼ間違いありません。これを「服装の乱れは、心の乱れ」と言います。

「心が乱れると服装に現れやすいから注意してみていなさい。そして怪しい場合はすぐに駆けつけ、その子を助けてあげなくてはいけない。それが教師の務めです」

 そういった意味です。

 

 ただし「先入観や外見でお前を怪しんだ」と言えば相手も素直になれませんからそうした言葉遣いは避けます。

 その上で、

「外見と人間の中身は違うということ?」

ととりあえず念を押します。

「東大に行く人にだって茶髪だったり変な服装をする人はいます。外見は変でも中身は真面目だったりしっかりした人はたくさんいる」(←なぜかこの論法は繰り返し出てきます)

 そこで、

「大切なのは中身、外見ではないということだね」

と論点をすり替えます。

「そう。外見はどうでもいい」

「そっかー、じゃあその“どうでもいい外見”、元に戻さんか? どうでもいいなら」

 これで相手は詰まります。詰まったところで指導に進展があるわけではありませんが、少なくとも「東大生にも茶髪はいる」みたいな不毛な会話からは逃れられます。

 

 

【校則で縛るからやりたくなるのか】

「禁止されるからやりたくなる」というマヌケな論理も、これがゾンビのように繰り返し現れることに私は大きな疑問を持っています。そんなバカなことはないと、これほど明らかなことはないと思うのですが――。

 

 だって「禁止されるからやりたくなる」が事実なら、これまでに教師によって、校則は爆発的に増えてきたはずです。

「始業時間より前に登校してはいけない」

「廊下は静かに歩いてはいけない」

「学校の備品は大切にしてはいけない」

「給食を完食してはいけない」

「掃除はきちんとやってはいけない」

「家庭学習はしてはいけない」

 生徒がそれできちんとした学校生活を送り学習に励んでくれるなら、校則なんて何百項目あったってかまいません。

 ただしそうなると当然「校則が多すぎて覚えきれない」という話が出てきますがそれは別問題。覚えられるよう教師が努力します。

 しかし現実にはそんな校則はできた試しがない。つまり「禁止されるからやりたくなる」なんてことはないのです。

 

「いや、そうじゃない、“禁止されるからやりたくなる”はファッションに関することだけだ」

――そうなら実験してみればいい。

「学校にチョンマゲで登校してはならない」

 それでみんながチョンマゲにしてくるようなら、そのときはじめて私は「禁止されるからやりたくなる」説を信じるでしょう。

 

 実際に“やりたくなる”のは“そのとき世間で流行っているものだけ”という限定的な話です。そうなると学校が禁止しようがしまいが、やりたい生徒はやりたがる、それだけの話じゃないですか。子と妻のためにタトゥーを入れたなどというのも、結局彼がそれをカッコウいいと考えたからにすぎません。

 

                        (この稿、終了)