カイト・カフェ

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「校則は、くだらなければくだらないほどいい」~東京都議会ツーブロック問題② 

 「ツーブロック」といったざっくりした枠で禁止することには、
 もう一つ重要な理由がある。
 それは指導の最前線をどこに置くかという問題だ。
 児童生徒が安全・安心に生きるためには、前線は遠ければ遠いほどいい。
 それが「ツーブロック一括禁止」の理由だ

というお話。

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(「背筋を伸ばす外国人男性1」 フォトAC より)

 

【指導の最前線をどこに置くか】

 ツーブロックといってもかなり広い定義の髪型なのに、学校がこれを一括して禁止としてしまうことについて、昨日は「きめ細かく規定すると面倒なことも多く、具体的にはものさしをつかって計測をした上に、さまざまな条件闘争に巻き込まれるからだ」といった説明をしました。
 しかしそれはひとつの側面でしかありません。
 もうひとつの側面は「指導の最前線をどこに置くか」ということです。

 私は昔、中学校2年生になるまでに荒れに荒れまくったクラスを3年生で引き受けたことがあります。校則に縛られることを嫌い、校則を守ることは恥だと思っているような連中が何人もいました。だから生徒の何人かはしょっちゅう名札をはずして校内をうろつき、私も他のクラスの担任からよく叱られたものです。
「先生! 先生のクラスの〇〇と△△、今日も名札付けていない。何とかしてよ!」

 他のクラスの担任もギリギリのところで生徒指導をしているのです。自分のクラスの生徒に名札のないことを注意するたびに、「T先生のクラスは名札をつけていないのに、なぜウチはしなくてはならないんですか」みたいなイチャモンに、いちいちつき合うのが面倒だったのです。
 そうした事情が分かっているので、私もその都度「申し訳ありません」と頭を下げていましたが、腹の中では舌打ちもしていたのです。
 ウチのクラスはそんなレベルじゃないんだ! 名札がついてるついていないでアイツらとは喧嘩はしたくない、そんな些末なことで勝負をしてエネルギーを使い果たしたくない、かろうじて保っている“会話のできる関係”を崩したくない。
 生徒との人間関係は最後の切り札で、この子たちに家出をさせない、社会人男性の家に居つかせない、妊娠させない――、そのためには絶対、今の状況を守らなくてはいけない、そんなことも分からないのか!

 そんなふうに思っていたのです。

 そのクラスの担任に決まったときすでに、 “このまま一人も妊娠せずに卒業させたらオレの勝ちだ”と思い、実際にひとりも妊娠しませんでしたので卒業させたときにははっきりと “勝った”“やり遂げた”という気持ちがあったくらいです。
 
 

【子どもを危険から、できるだけ遠い場所に置いておく】

 いくら何でも、「中学生であっても母親になる権利がある」「中学生でも父親になるかどうかは本人の決意次第」などという人はいないでしょう。その年齢での妊娠出産は、将来ある中学生の可能性を著しく制限してしまいます。
 人生の可能性の多くを最初から放棄するような選択を、たかが14~15歳の子どもに任せてはいけません。自分で決めなさい、しかし責任は全部自分ひとりで取りなさいでは、中学生には酷です。
 できればそういうことがないまま、高校卒業くらまでは選択の幅を広く持たせたい、そう考えると腹に力も入ります。

 私の場合は担任したときにすでに危険水域にあったわけで、だから仕方ないという面はあるにしても妊娠するかしないかといったきわどい位置で勝負をすることはとても気苦労の多いことでした。
 生徒指導は必ずしも100%成功するとは限りませんから、ときには生徒の方が指導を乗り越えてしまうことがあります。私のクラスの場合、その失敗は生徒の妊娠という形で現れるかもしれないのです。
 しかも私は、失敗の責任を取らなくて済む――。

 その気になれば私は“教師として良い経験をした、次はもっとうまくやろう”と成長の糧にもできます。しかし生徒の方は、赤ん坊か大きな心の傷か、どちらかを抱えて生きていくしかありません。
 私の方は一年足らずで彼らから離れ(3年生ですから)、新しいクラスで新しい学級担任として気持ちよく出直せばいい、しかし生徒の方はそういうわけにはいかないのです。
 そんな不公平な危険に子どもを晒してはいけません。本来はそんなきわどいところで勝負をするのではなく、名札がついているのいないのといったレベルで戦っていればいいのです。
 そこで失敗したところで、生徒に何の実害もありません。
 最前線が遠いので、乗り越えられてもまだ、生徒は安全なのです。

 もうお分かりと思いますが、学校が「ほとんどモヒカン・ツーブロック」を指導のボーダーラインとせず、ツーブロックといった低いレベルで禁止するのはそのためです。
 「ツーブロック」かどうかなんて本当は学校にとっても子どもにとっても大した問題ではないのです。たとえ指導を乗り越えられたところで、生徒の将来にほとんど影響がありません。
 そしてそんな低いレベルでもみ合っているうちに、生徒のエネルギーは燃焼しつくしてしまい、その先へと進みません。
 
 

【校則はくだらなければくだらないほどいい】

 中高生の一番の関心は差別化と同質化です。
「その他大勢と一緒はイヤ」「だけど自分一人はムリ」ということです。

 だから同じ学校の他の生徒と同じ髪型からは差別化を図りますが、決して昔のマッシュルーム・カットだとかさらに大昔のチョンマゲとかにに向かう子はいません。みんなツーブロックという同質性に向かっていくのです。
 しかしそれが進んで学校中がツーブロックになってしまったらどうなるでしょう。

 最も先鋭な子どもたちは、そこからさらに差別化と同質化に向かわざるを得ません。一段高いレベルで、他の生徒と違った服装、違った活動をしようとし始めるのです。その先はかなり危険な場所かもしれません。

 教師が「ツーブロックは不可」を死守しようとしている限り、差別化と同質化のエネルギーは、その地点で教師ともみ合って消費されつくします。一部の生徒が諦め、一部が突破してツーブロックになり、それで終わりです。次のエネルギーがたまるまでには、相当時間がかかりそうです。
 どうでもいい場所で戦わせて、それ以上危険なところには近づかないようにさせる。それが「ツーブロックがダメ」なもう一つの理由です。

 そう考えると、校則はくだらなければくだらないほどいい、ということになりますが、まったくその通りなのです。

(この稿、続く)