「自然災害の禍福」〜災害と復興の国 3

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【畑が流れりゃ三年コヤシはいらない】

 まだ義母が生きていたころの話です。
 台風がらみの大雨で義母の実家近くの川が氾濫し、河川敷の畑をすべて洗い流してしまうということがありました。実家では義母の弟にあたる人が今も畑をやっていることを知っていたので、
「〇〇さん(義母の弟)、たいへんですよね」
と話しかけたところ、義母はぽつんと、
「だが、畑が流れりゃ三年コヤシはいらんというからね、それもまたいいや」
 意味を問うと、
「畑が大水で洗われると、確かに作物は大変な損害を被るけれど、そのとき上流から大量の肥えた土が運ばれて残るから、向こう三年くらいは肥料なしで作物がつくれる。だからそれもまた悪くない」
ということだそうです。

“百姓はスゲエや、したたかだ”
というのがそのときの感想です。私も祖先は農民で“百姓”という言葉に特別の誇りを持っているのでこういった話は大好きなのです。
 しかし今考えるとそれは単にしたたかな話というだけでなく、今年の収入が減るとか、自家用の作物がなくなるとかいった悲しみや困惑はあったはずで、それはどんなふうに処理されていたのか、聞いておけばよかったと思います。

 昔の地域共同体は堅牢な組織でしたから案外、「そんなもん一年くらい、別のところに畑を持っている家からもらっていればいい(代わりに別のものでお返しをする)」といった簡単な話だったのかもしれませんし、「仕方がないから学校を休んで私が働きに出た」といった深刻な話になったかもしれません。ただしどちらにしても泣いて騒いで絶望して、というふうではなかったろうと思います。日本人は災害に慣れていますし、中でも農民はその被害に最もあいやすかったからです。
 百姓は私たちが思うより、はるかに強くたくましかったはずです。

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【自然災害の禍福】

 しかしそれにしても、「洪水は作物を丸ごと持って行ってしまうが豊かな土をもたらす」という事実は、この国のあり方を如実に示しています。災いと幸福が背中合わせなのです。

 台風や梅雨、秋の長雨がもたらす大量の水は、農業生産に不可欠のものです。山々の急峻な島国ですからこれくらいの降水がないと水はあっという間に海に流れて消えてしまいます。
 その高い山には冬の間にたっぷりと雪が降り積もり、しばしば町を孤立させたり雪崩となって山腹の村々を押し潰したりもしますが、春から水枯れの夏に向けてゆっくりと雪解けを提供し、川を枯らすことがありません。

 雷によって起こる空中放電を「稲の妻=稲妻」と呼ぶように、古来、雷が多い年は豊作になると言われてきました。「稲妻ひと光で稲が一寸伸びる」とも言います。
 宮沢賢治は花巻農学校の教員時代に、雷が空中の窒素を分解し、それを雨が地中に溶かし込んで土地を肥やす仕組みについて感動的な授業をしていますが、一方で人を撃ち、建物を燃やす雷は、他方で農業生産の重要な要因です。一方的に悪者扱いしたら雷神に失礼です。

 火山爆発は、しばしば人々に致命的な打撃を与えます。しかし平穏な時期は豊かな温水を湧出し、地熱で田畑を温め、個性的な景観を生み出します。噴火が怖いからといって日本中の温泉を手放す気にはなれません。

 地震津波がもたらす幸福というのはちょっと考えにくいところですが、それとて宿命です。私たちがこの国土から受け取る全ての“善きもの”の代償として、これらも受け入れざるを得ないでしょう。

【災害が国を守る】

 天正13(1586)年1月18日、近畿地方から東海・北陸にかけて巨大地震が襲い、若狭・駿河の両湾では津波が起こって海岸沿いの村々を洗い流してしまいました。これを「天正地震」と言います。その様子をルイス・フロイスの『日本史』は次のように記しています。
 ちょうど船が両側に揺れるように震動し、四日四晩休みなく継続した。
 その後40日間一日とて震動を伴わぬ日とてはなく、身の毛もよだつような恐ろしい轟音が地底から発していた。

 若狭の国には、海に沿ってやはり長浜と称する別の大きい町があった。揺れ動いた後、海が荒れ立ち、高い山にも似た大波が遠くから恐るべきうなりを発しながら猛烈な勢いで押し寄せてその町に襲いかかり、ほとんど痕跡を留めないまでに破壊してしまった。
 潮が引き返すときには、大量の家屋と男女の人々を連れ去り、その地は塩水の泡だらけとなって、いっさいのものが海に呑み込まれてしまった。
 怖かったでしょうね。

 1543年に種子島にたどり着いたポルトガル人たちはそれまでにセイロン島やマレー半島を席巻し、マカオにも橋頭保を築こうとしていました。しかし日本には武力をもって制圧しようといった様子はまるで見られません。
 もちろん当時の日本が戦国時代で軍事政権乱立状態、そう簡単に攻め込める状況になかったことが最大の理由ですが、日本が植民地としてまるで魅力がなかったというのも理由のひとつです。
 何しろ最初に上陸したのが九州。火山もあれば地震もあり、おまけに繰り返し台風の襲う場所ですから、とてもではありませんがヨーロッパ人の安心して暮らせる場所ではなかったのです。
 13世紀のモンゴル来襲と同様、自然災害が外国から日本を守った例として挙げておくべきかもしれません。

【どううまく逃げるか】

“自然の猛威も時には必要だ”という話も、しかし程度というものがあります。今回の西日本豪雨のようにあまりにも多くの人命が失われるとなると、私たちの受忍限度を越えます。
 無理な宅地造成だとか脆弱な護岸工事だとか、あるいは情報の周知徹底の問題だとか様々に意見はありますが、基本は予想をはるかに越える降水量だったということでしょう。災害に想定外はつきものです。

 だとしたら“想定外にどう備えるか”が課題となりますが、“想定外”なんて天井知らずですから備えようがありません。そうなるとできるのは“逃げる”ことだけです。ですから「どううまく逃げるか」が第一課題で、それについてもう一度考えておく必要があるでしょう。

 逃げるのは恥ではなく、最も重要なことです。

*二週間ほど前に気づいて数え始めたのですが、今日でブログ記事も3000回目の投稿です。年200回で15年の計算になりますが、ほぼそんなペースです。年齢的に次の15年はなさそうですから、できるところまで頑張っていこうと思います。