「日本人と自然」〜災害と恵みの狭間で

 九州北部の集中豪雨では昨日までに死者30名、今も連絡の取れない人が19名という大きな災害になってしまいました。

 あの日、5日5時55分(あ、「5」並びだ)まず島根県西部に大雨特別警報が出て、たまたま朝のニュースを見ていた私はその扱いの大きさにとてもびっくりしてしまいました。警報が出た瞬間、ニュースキャスターがまるで緊急地震速報のような勢いで警戒を呼び掛けたからです。
 今まさに地震で揺れているから机の下に潜り込めというのと、尋常でない大雨が近づいているから避難の準備をしろというのとでは、緊急の度合いが違うだろと思いながら、しかしそのくらい大げさに扱うことはやはり必要かもしれないと、思いなおしたりもしました。
 しかし過ぎてみればあの時の警告は大げさでも何でもなく、それでもまだ足りなかったと言いたくなるほど大きな被害を出してしまいました。

 もしあの時特別警報が出ていなかったら(昔だったら出ません)さらにどれほど大きな被害になってしまったのか、そしてあれほど強い警告が出ていたにもかかわらずこんなに大きな人的被害が出てしまう自然災害の恐ろしさ――それらを考えると改めて背筋の寒くなる思いがします。

 もっとも、災害現場の映像を見るとどんなに警告されても逃げようのない場所というのもあることも分かります。深い谷間の村だったら逃げるにも限界があります。また、どれほど強い警報が出ていても日ごろは深さが20cmにもならない川が、幅10m深さ3mの濁流となって襲いかかってくるなど、想像しろという方が無理でしょう。自然災害には人知を越えたものがあるのです。

 今回の災害について言えばほんとうにもう人間の対応力の限界近くまで行っていて、どうしても避けたいなら「少しでも危険のある地域には住まない」といった選択肢しか残っていないのかもしれないと思ったりもします。

【日本人と自然】

 日本人は昔からこの国の自然と共存し、自然と戦ってきました。

 梅雨のもたらす大量の雨は今回の九州北部の場合のように時にたいへんな災厄ですが、同時に水田を潤し、豊かな実りを保証する天の恵みです。
 台風は一瞬にして川を氾濫させ、すべてを川下に運び去ってしまうこともありますが、それとともに上流から肥沃な土を運び込み(私の義母に言わせると)「畑が洗われると向こう3年、肥やしはいらない」と言われるほどの豊かさをもたらしました。

 火山もしばしば人間を含むたくさんの生き物の命を奪い、森を焼き、田畑をつぶしましたが、その一方で豊かな熱を継続的にもたらし、私たちは温泉によって体を休め、傷を癒し、病気を克服することができました。そもそも古代において私たちがいつまでも竪穴式住居にこだわったのも、地熱という自然エネルギーを手放せなかったからです。高床式などといった大陸の建築は、そうとうに無理しないと我慢のできないものでした。

 戦国時代の末期、ザビエルを始めとしてヨーロッパ人が次々とこの地を訪れるようになったのに、日本はなぜスペイン・ポルトガルの植民地にならずに済んだのか――。
 コショウや絹のような魅力的な産物がなかったとか、国内が武装集団だらけで最初から武力支配が考えられなかったからとか、いろいろ言われますがもしかしたら「地震や台風が怖くて、とてもではないがいられなかった」というのが本当のところなのかもしれません(たぶんそうでしょう)。

 どんなに頑張っても自然には勝てない、人間の限界というものがあります。そのことは6年前、とんでもなく大きな犠牲を払って心底思い知らされたことです。
 しかし私たちはその限界ギリギリのところまでは頑張れるし、頑張らなくてはいけないし、頑張ることで私たちの祖先はこの国に繁栄をもたらしてきたのです。
 そう考えるとやはり、改めて勇気がわいてきます。
 それも、子どもたちに伝えておきたいことです。