カイト・カフェ

毎朝、苦みのあるコーヒーを・・・

「したたかな人々の子孫」~百姓の裔②

 10月の最後に「自分が百姓の子孫であることに非常に誇りを持っている」と書きました。今日はその続きです。

 日本の集落の形態のひとつに「隠田百姓村(おんでん・ひゃくしょう・むら)」というのがあります。これは人里はなれた山の中にある集落で、平家を筆頭とする落人伝説があったりする場所です。ところが平家の落人伝説のある集落は全国に132箇所もあるそうですから、とても信じられるものではありません。なにしろ10人で最初の村をつくったと考えても、1320人もの武者が壇ノ浦の戦場を抜け出して生き残った計算になるわけですから。では、何だったのでしょう。

 私はそうした集落のひとつを見に行ったことがありますが、山奥だというのに気候と水に恵まれ、平地こそ少ないながら棚田や段々畑をつくればいくらでも自給自足できそうなところでした。

 つまり、そういうことなのです。

 江戸時代の農民なんてとにかく十分に食えればいいのです。映画が見に行けない、ショッピングができないなどと文句を言う人は一人もいません。生涯その村から一歩も出たことがないという人が、いくらでもいた時代です。妙に町に近い場所で、高い税を取られたり苦役に駆り出されたりするより、山奥に住んで無税で生きるほうがよほど楽なのです。

 そしてうっかり川でお椀だとか箸だとかを流し(そういうこともけっこうありました。洪水で家数軒分の資材が流れてきたりすることもあります)、物好きの探検家たちに発見されたら、平家の赤旗を振って「ハイ、私どもは平家の落人の子孫で・・・」と、そこから税を払うようにすればいいだけです(もしくはその土地を捨てて、さらに山に入る)。

 私たちの祖先には、そういう狡猾でたくましいしい人たちがたくさんいたのです。

 ところで、江戸時代の農民は家康の言ったように「生かさぬよう、殺さぬよう」という過酷な政策の下、300年に渡って虐げられていたといった見方をされがちですが、そんなことはありません。一個の独立した人間として、あの手この手で常に為政者と対決していたのです。

 それはたとえば「年貢の納め時」といった言葉にも表されています。年貢は時期が来たからといって素直に出すべきものではなく、「納め時」があるというのです。

 テレビの時代劇を見ていると、徴税の最前線にいる代官たちはいくらでも乱暴ができたように描かれていますが、そういうわけにはいきません。刀を持っているとはいえ村内では圧倒的な少数派です。一揆でも起こされたら真っ先に命を取られます。また、一揆を起こされると領主(殿様)も管理能力がないとみなされ、よくて領地替え(より小さな藩への転封)、悪ければお家断絶です。お家断絶というのは「超不況下での大企業倒産」みたいなもので、数千人が一気に路頭に迷ってしまう(これが浪人)。一揆を起こした側もただでは済みませんが、農民と領主の差し違えは結果、農民の圧勝という場合も少なくないのです。そしてそこに、領主と農民の交渉の可能性が出てきます。

「さて、どうしてもそれだけ払えと言うなら一揆も起こすぞ」そんなふうに匕首をチラつかせながら交渉し、交渉し尽くしてこれ以上追い詰めたらヤバイ、というところまで代官を追い込む。それが「年貢の納め時」です。

 私たちの祖先は、そういうしたたかな人たちだったはずで、それが私の誇りなのです。