「今年の畑」〜新米百姓、癒しの農業

 今年も畑仕事のヤマを越え、ひとつひとつが終末へと向かっていきます。

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 今年度作った作物は以下の通り。
 ミニトマト(二種)、トマト、ピーマン、ナス、カボチャ(二種)、キュウリ、ルッコラ、小松菜、べんり菜、モロッコインゲン、ズッキーニ、ブロッコリ、オオバ(青じそ)、モロヘイヤ、オクラ、大根、二十日大根、ニンジン、長ネギ、ジャガイモ(二種)。

 特に苗を植えたり種をまいたわけでもないのに毎年採れるもの――イチゴ、アスパラ、ミョウガ

 果樹はブラックベリーがかなり取れるのですが、サクランボとプルーンは毎年鳥や虫にやたらにやられてしまうので、ここ数年は諦めて放置したままです。

 柿がたくさん取れるのですが、今年は春に枝をバンバン切ったらほとんど実をつけませんでした(来年に期待)。

 以上、ざっと並べると大農園地主みたいですが、実はたった1a(アール)のミニサイズ。正方形だと10m四方に相当する広さですから大したことはありません。

 ひとヤマ越えた今の状態はどうかというと、
 ピーマンやナスはけっこうな数が収穫できるのですが、夏の暑さにすっかりへばってしまい、多少の追肥では実が大きくなりません。
 オオバやモロッコインゲンは枝やツルが傷んで、そろそろ終了です。
 今から間に合うのは大根や葉物で、今日もべんり菜やルッコラ、二十日大根の種を蒔いたところです。

 畑をしない人たちは案外気づかないのですが、例えば大根は十か所に種をまくと10本ほぼ同時に収穫期になってしまいます。多少長持ちする大根とはいえ、夫婦ふたりで10本を食べきるのは容易ではありません。
 ですから5本ぐらいずつ、順次日を置いて収穫できるよう種をまく時期もずらせばいいのですが、それがなかなか面倒です。プロの農家だと一気に100本くらいできても全く困らないのですが、家庭菜園はそうはいかないのがたいへんです。

【二人の新米】

 今年は私の周辺で、二人の新米百姓が生まれました。「新米百姓」と書くとコメ農家みたいですがそうではなく要するに農業初心者です。

 ひとりは東京に住む大昔からの友人で、応募したら抽選で区民農園が当たったとかで、向こう3年間、毎年7000円の賃料で貸してもらえるみたいです。
 その広さ10平方m。
 混同しないでください。私の家の畑は1a=10m四方、要するに100平方m。友人の畑はその十分の一の10平方m=およそ3m四方です。

 馬鹿にしているわけではないのです。
 それしかないのに「連作障害(*)を避けるにはどうしたらいいんだ?」と訊ねられて、答えられなかったことを今でも気にしているのです。
*同じ作物を毎年作ることで、収穫量が減ったり病害虫に対して弱くなること

 基本的には同じ場所に同じ作物を作らないということですが、3m四方でどう作物を回せばいいのか・・・・。

 連作障害といえば商品作物をつくるプロの農家はいつだって同じ作物を作っているわけで、ほんと、いったいどうしているのだろう(何年かにいっぺんの割合で土を全て入れ替えるという話も聞いたことがありますが)。

 友人には「ま、接ぎ木した苗は連作障害に強いというから、少し高い苗を買ってみたら?」とお茶を濁しておきましたが、こいうこともきちんと勉強しておけばほんとうは役に立つはずです。

 もう一人の新米は婿のエージュ。
 教員ですが、ずっと小学校高学年の担任をしてきて、今年初めて2年生のを担当することになったのです。そこで初体験となったのが「生活科」。
 農業に堪能な学年主任に教えられながら、ナスやキュウリ、ミニトマトといった基本的な作物を作ったようですが、そこに市の農業指導員みたいな人まで入ったのでそうとううまくいったようです。

「保護者からも手紙が来て、『おかげで食べられなかったナスも食べられるようになりました』って・・・」
 この最後の「・・・」には意味があります。エージュは結局、いまでもナスが食べられないのです。
 スポーツも選手ができるようになればいいのであって、監督が同じようにできる必要はありません。エージュも1、2年生の担任をしている限り、これからも自分は食べられないままたくさんの「ナス嫌い」を救っていくことでしょう。


【癒しの農業】

 私はこれまでたくさんの方々から含蓄深い、大切な言葉をいただいて来ました。そのうちのひとつは、
「百姓は、心を病まない」
というものです。

 同僚のひとりが精神的な問題で休職したとき、実家で畑の手伝いをしていると聞いて尋ねたらその家の軒先で、お茶を飲みながら彼の父親が言った言葉です。

 農業従事者に精神疾患が少ないかどうかは知りませんが、日が昇るとともに仕事に出て日が沈むと帰り、雨の日は外に出ず、しかし無理をしなければならないといは多少の無理をする――。
 ある意味、努力が単純に反映する世界。肥料をやれば多くの実をつけ、やりすぎれば枯れる。しおれた作物には水をやる、しかしやりすぎてはいけないものもある――。
 夏の日照り、突然の寒さ、洪水、台風、病害虫――天災にはひとたまりもないが、それとて理不尽な人間社会と比べたらはるかに分かりやすく、諦めもつく――。
 そういうものが悪かろうはずがありません。
 農業というのは、元は野生であった私たち人間にとって、もっともふさわしい生き方なのでしょう。

 人生のスタートラインに立つ子どもたちに農業体験をさせたくなるのも、定年を過ぎてゴールが見えてきた私たちが農業に向かっていくのも、農業のもつそうした性質によるものなのかもしれません。