カイト・カフェ

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「3・11:私たちが何者であるかを知った日」~悲劇の中にも救いはある

 11回目の東日本大震災の祈念の日。 
 あの日、東北の地では筆舌に尽くしがたい悲劇が続いていた。
 しかしその中にも救いはあった。
 あの日、私たち日本人は自分たちが何者かを理解したのだ。

という話。f:id:kite-cafe:20220310194308j:plain(写真:フォトAC)

【11回目の祈念の日】

 3月11日、東日本大震災11回目の祈念の日です。あの日を知らない子どもたちにも簡単に事実を知らせ、ともに黙とうを捧げるようにしたいものです。「子どもたちは納得しなければ動かない」という言い方がありますが、世の中には納得を仲介しなくとも畏まらなくてはならないこともあるのです。

 11年前のあの日に起こったことはとんでもない悲劇ですし、東京電力福島第一原子力発電所の事故は取り返しのつかない大きな失敗でした。しかしその中からも私たちはたくさんのことを学び、今日につなげてきました。
 それは例えば多くの人たちに見られた、悲劇に打ち負かされたり運命を呪ったりするのではなく、事実を受け入れ、事実の上に立って新しい時代に立ち向かっていこうとする前向きな態度です。「しょうがない」は私たちにとって諦めの言葉ではなく、運命を受け入れて前に進もうとするときの決意の言葉なのです。
 2011年3月の東北の人々も、そして私たちの遠い遠い祖先たちも、災害に遭うたびにそのようにしてきました。

【災害と共存する宿命の民】

 考えてみればこの国は、有史以来つねに災害と向き合わざるを得ない宿命を背負ってきました。大きな地震津波、台風や洪水、火山噴火に土砂崩れ、山津波――。しかしそれにもかかわらず祖先がこの国に住み続けたのは、災害の源が常に天の恵みと裏腹だったからです。

 台風や大雨がもたらす大量の水はこの国を潤し、豊かな緑を生み出しました。冬の山に降り積もる雪は春から夏にかけてゆっくりと溶けだし、夏の渇水から私たちを守ります。ときおり訪れる洪水は、時にはすべての作物を押し流しましたが、あとに大量の肥沃な土を残し、翌年以降の豊穣を生み出します。火山の近くでは地熱によってより多くの作物が育ち、温泉は人々の心と体を癒しました。
 四方を海に囲まれた国土は、しばしば多すぎる降水や津波に悩まされましたが、豊かな海の幸の源であると同時に、外敵からも私たちを守りました。もしかしたら16世紀、ポルトガルやスペインが本気で植民地にしようとしなかったのが、足掛かりをもっとも自然災害の多い九州に求めてしまったからなのかもしれません。
 ですから私たちには、災害の多いことを嘆くのではなく、災害とどう共存していくかが問われるのです。そのことを子どもたちに伝え、子どもたちと考えていきたい。

【3・11:私たちが何者であるかを知った日】

 東日本大震災を知らない子どもたちに伝えたいことが、もうひとつあります。それはあの未曽有の大災害の中にあって、私たち日本人が自分たちの底力を知ることができたということです。
 災害や恐怖に対する対処の仕方にはその人の個性や民族性が深くかかわります。2011年3月11日の直後から、ニュース映像やコメントとともに全世界に広がって行った日本人の姿は、驚嘆や感動、奇異や不可思議、尊敬の念をもって人々に迎えられました。やがてそれはさまざまなかたちで日本に戻ってきます。私たちはそこで初めて、自分たちが何者であるかを知り、誇りを持ったのです。

 以下はまだ全体像が分かっていない被災直後、私が新聞などから拾い上げた海外の反応の一部です。これが震災当時の私たちの姿であり、震災を知らない子どもたちも目指すべき日本人の姿です。そのことも、子どもたちに伝えておきたいものです。

  • 今回の大地震で惨事のなかでも他人に迷惑をかけず、落ち着いて行動する日本人の姿を見て、日本人は人としてすばらしく尊敬に値すると思った。
  • 迷惑をかけないという日本の精神を見ながら、彼らの毅然(きぜん)とした姿に驚いた。災害が起きると犯罪や略奪、無秩序な暴動、買い占めが横行するが、彼らは長い列を作って自分の順番が来るのを静かに待つ。
  • スーパーでは列に並び、会社員は自分の仕事を最後までやり遂げる。私は感動以上に、底力を感じた。
  • 「重要なのは、ほかの国ならこうした状況下で簡単に起こり得る混乱や暴力、略奪などの報道がいまだに一件もないことだ」
  • 「防災訓練を受けていても怖いはずなのに、誰もパニックに陥る人はいない。自分の仕事に集中し、連絡を取り合っていた」
  • 震災当日の11日、公共交通が止まってサラリーマンが帰宅の足を奪われた東京でも「人々は互いに助け合っていた。レストランや商店はペットボトル入りの飲料水を無料で提供し、トイレを開放した」と驚きをもって伝えた。
  • 地震発生の11日の東京都内の状況に注目。電車が止まったために多くの人が徒歩で帰宅することになったが、「きちんと順序よく歩き、騒ぎはなかった」、「道路は渋滞したが、クラクションを鳴らす自動車はなかった」として、「巨大な無声映画を見ているような感じすらした」と報告し た。
  • バス乗り場でも数百メートルの行列ができたが、「係員の仕事は列の最後尾の場所を教えることぐらい」「『列に並ぶように』などの強制はまったくなかったにもかかわらず、すべての人が行列してバスを待った」と報じた。
  • 地震後の東京は異様な雰囲気で、通りにいる人々はとても静かだった。東京のインフラは災害のために良く準備されており、またこのような苦難の中でも人々は信じられないほどマナーが良く、礼儀正しく助け合っていた」
  • 「震災で家族や親友が命を奪われた場合でも、日本人は大声で泣くことが少なく、静かに運命を受け入れる」、「自分が救出された場合、『ありがとうございました』と言うのではなく『申し訳ありませんでした』と言う人が多い」と紹介し、「他人に迷惑をかけてならないとの精神が強くあらわれるのだ」との見方を示した。
  • 1人の女性が本棚の下敷きになり足首を骨折しながらも、救急救命士に迷惑をかけたことを謝罪し、自らの救助より優先すべきことがあるかを尋ねたというエピソードを報じた。危機のとき、このような礼儀正しい振る舞いは国を共に支え、結びつきを高めると述べている。

 あの時の私たちは、ほんとうによくやった。そしてたぶん、いまもできるはずです。