「災害が人を育て、災害が国を守る」~自然災害と日本人 

 大雨の日
 なぜかくも九州ばかりが叩かれるのだと思いながら
 だから九州は人を育ってるのかもしれないと思い
 同時に日本全体のことも考えた

というお話。

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 記事はいつも前の晩に作成するので、2019年7月4日、つまり本日の分を書いている現段階では、九州の豪雨がどいう状況になったのかは分からないままで心配です。
 特に今年は息子のアキュラがそちらに転勤したばかりなので気になりますが、息子に限らず、大きな被害が出ないことを心より祈っています。
 
 

【災害ハイウェイの民】

 半世紀も前、謎の作家イザヤ・ペンダサンは名著「日本人とユダヤ人」の中で、ユダヤ人との日本人を「ハイウェイの民」と「別荘の民」に譬え、ヨーロッパとアジアの要衝でさまざまな民族に蹂躙されたユダヤ人に比べ、日本人は東洋の果てで別荘の民のように安全に暮らし続けたと嘆きました。しかし自然災害について言えば、日本人はユダヤの人々よりもはるかに激しく、はるかに多く痛めつけられた歴史を持っています。

 日本のポンペイと呼ばれる場所は国内にいくつかあると思いますが、同じ群馬県の黒井峯遺跡と鎌原村はそれぞれ古墳時代・江戸時代に一か村まるまる火山灰に沈んだ跡です。黒井峯遺跡から1kmほど離れた金井東裏(かないひがしうら)遺跡からは2012年に、鉄製鎧を身につけたかなり状態のよい人骨一体が発見されて話題になりました。

 鎌倉大仏は1243年の開眼以来、台風のためのに二度倒壊したあと、新たな大仏殿が明応地震(1495年)の津波によって流され、以後建てられることはなかったと言われています(異説あり)。そうだとすると現在露天であること自体が、災害の証明だと言えます。

 その他、全国いたるところに津波・火山・台風・洪水・大規模火災等々の記念碑があって、日本人がいかに多くの災害あってきたかを示しています。

 特に九州は慢性的な台風の通過点ですし、活火山も多く、有史以来日本で最も多くの台風災害・噴火災害・地震災害に襲われてきた土地です。

 鹿児島県の半分以上と宮崎県の15%以上を覆うシラス台地は典型的な火砕流台地で、雨にも地震にも弱く、また台上はほとんど吹き曝しで大風にも弱いという三重苦を背負っています。水田もできなければ他の作物も育ちにくい。
 だから多くの偉人が育ち、神々の里とされるのかもしれません。
 
 

【災害が日本人を鍛える】

 災害は日本人を強くしました。
「仕方ない」は字義通りだと「どうすることもできない」「ほかによい方法がない」「打つ手がない」といった絶望的な言葉ですが、その「仕方ない」が日本人の口から出るとき、あるのは絶望や怒りではなく、事態を粛々と受け入れようとする強く静かな意志だけです。さらには「さあ、時が来たらもう一度立ち上がって前に進もう」といった前向きな気持ちの萌芽も見えます。

 私たちはそのように生きてきたのです。

 270年に渡って幕府の基盤を支えてきた江戸は、繰り返し災害に見舞われた町です。
 大火災や大地震といった災害が起こるたびに整備され、火除地・広小路と呼ばれる空間がつくられ、延焼を防ぐようにしました。大名屋敷は火事に強い瓦ぶきが中心となり、土蔵造りや塗り屋(外部に土を塗った建物)、貝の粉末を焼いて塗った黒壁などの耐火建築も発達します。

 一方、庶民の住居はマッチ箱のように華奢につくり、いったん火災が起こった時には簡単に破壊・撤去して応急の火除地が広げられるようにしました。簡単に壊してしまう代わりに、幕府は大量の材木在庫を用意して、いつでも再建できるようにしていました。
 いずれも災害が授けた知恵です。
 
 

【災害が国を守る】

 災害の多さがこの国を守ったという側面もあります。
 モンゴル襲来において2度までも風が味方したことは有名ですが、ポルトガルやオランダが版図を広げていた16世紀~17世紀、南蛮人・紅毛人と呼ばれるヨーロッパ人が繰り返し日本にやってきたにも関わらず、この国を植民地にしようとしなかった理由のひとつが災害の多さだったと言います。
 彼らの主たる活動の地が九州だったことが、国防という意味では幸いしたとも言えます。

 1854年、ペリーの再来航の年、ロシアはプチャーチンを代表とする使節を送り、日本に通商を迫ります。
 ところがその12月、安政東海地震と呼ばれる大地震があり、プチャーチンの船は津波に襲われて大きく破損してしまいます。船は2年後、修理のために曳航されている最中に今度は大風に遭って座礁、沈没してしまいます。
 有名な安政地震はその間に起こっていますから、おそらくプチャーチンも体験したのでしょう。その後しばらくロシアは日本史の舞台に出てきませんが、そのことも関係があったのかもしれません。外国人が暮らすには、あまりにも条件が過酷ということなのでしょう。


 この国の人々は常に災害と共にあったのであり、歴史は災害と切り離して考えることはできません。
 今もつらく不安な時を過ごしておられる方々にはほんとうに申し訳ないのですが、遠くから祈ってます、是非とも身の安全を第一に、この難局を乗り越えるようにしてください。