カイト・カフェ

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「ネット依存52万人の恐怖と希望」~私たちにできることがある

 ADHDアスペルガー症候群といった発達障害の概念が降りてきたとき、私たちは一種の解放感に包まれたことを覚えています。
 あの理解しがたい子どもたち、これまで集積した指導法がまるで通用しない子どもたち、私たちが教師として深い自責の念をもって卒業させていった子どもたちが、実は躾けのせいでも教育のせいでもなく、また私たちの無能のせいでもなかったという安堵、そして発達障害という概念からアプローチすれば、新しい、確かな解決策が見つかるかもしれないという希望に満ちた感覚、それがあの時の解放感でした。

 夏休み中の8月1日、厚生労働省がインターネット依存に関する調査結果を発表しました。
 それによればパソコンやスマホでゲームや電子メールなどに夢中になりすぎてやめられないネット依存症の中高生は、全国に約51万8000人、割合で言うと中学生の6%、高校生が9%にあたるそうです。男女別では女子が10%、男子が6%。

 どのレベルから依存症というのか分かりませんが、実態よりやや少ないような気がします。しかしこのニュースに接して最初に感じたのは、先に書いたのと同じような安堵と希望でした。何かが変わるかもしれないという感じです。

 依存症という言葉が出てくると何が変わるのかというと、これまでの教育的アプローチが一応キャンセルされます。依存症は病気ですから治療的アプローチに替えなければならないのです。もちろんその中にはこれまでの対応と重なる部分もありますが、取り合えず一切を基本から組み替えます。

 具体的に言えば、依存症となればこれまでの「一日何時間と時間を決めて」といった指導は無意味になります。そんなふうにコントロールできるのは依存症ではないからです。アルコール中毒麻薬中毒のように一度は全部、体から洗い流さなくてはなりません。めざすは「ネット断食道場」のような試みです。

 厚労省も来年度から、今回の調査・研究で依存症と認定された子どもを対象に、公共の宿泊施設を活用た「ネット断食」を開催してネット依存の症状や処方箋を探ると言います。

 ただし厄介なのは、ネット依存の子どもが「道場」に行ってくれるかどうかという問題です。これが麻薬中毒のような場合なら否応ありませんが、アルコール中毒やニコチン中毒のように犯罪のからまない依存症の場合は、本人がその気になってくれなければなりません。

 生活に困難があり本人にも不適応感があり、何とかしたい、依存から脱却したいと真剣に思わないと、ネット依存の問題は解決しないのです。そしておそらく、この部分に私たちの仕事があります。

 ネットやゲームに耽溺することがどういう不利益を生むのか、それがどれほど苦しいことか、そして依存症を続けることが社会的にどういう意味を持つのか、それらを辛抱強く、組織として教えられるのは日本の場合、学校を置いて他にないからです。

 今から、ゆっくりと丁寧に取り組んでいきたいと思います。