カイト・カフェ

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「薬物乱用防止教育が難しい」~誤学習の話

 「薬物乱用防止教育を充実するように」という通知が
 文科省から繰り返し出されている
 しかしこれには人権教育や性教育よりも危険な側面がある
 授業自体が危険薬物のようなものだ よくよく注意して扱うしかない

という話。

f:id:kite-cafe:20191108080004j:plain(「麻薬中毒」 PhotoACより)

 

田代まさし、捕まる】

 タレントの田代まさし覚せい剤取締法違反(所持)の疑いで逮捕されました。薬物では5回目だそうです。


 人柄はいいみたいで支援する人はいつでも何人でもいたのに、繰り返し裏切って繰り返し薬物に戻ります。そんな所業に呆れるという段階はとうに過ぎ、田代個人も忘れられ、今回については「覚せい剤というのはかくも恐ろしいものなのか」という驚きが一般的なようです。

 こんな形で人々の記憶に残ることが、ある意味、自らの体と人生と友人を犠牲にして行った、田代の唯一の社会貢献となるかもしれません。

 

【タバコ、アルコールと薬物とでは授業の扱いが違う】

 薬物については30年ほど前、当時の教頭で生徒指導の専門家だった人が、
「これからの生徒指導は薬物とセックスだ」
と叫んだ(どちらも中学生の生徒指導という意味ではさほど当たらなかった)のに触発されて、保健指導の研究授業が回ってきたときに薬物について調べたことがあります。授業のテーマとして扱えるのではないかと思ったのです。
 県主催の大きな研究会でかなり気合を入れて調べたのですが、結局は諦めざるを得ませんでした。

 薬物はダメだ、体をボロボロにする、自分だけでなく家族もバラバラになる、人生をだいなしにする―――そうした部分はいいのです。きちんとした授業を行えば、絶対に薬物に手を出してはいけないということは子どもの腑に落ちます。ところがそこから翻って、
「ところで、どうしてそんなどうしようもない薬物に大人は手を出すの?」
という本質的な質問が出た場合、うまく答えられる気がしなかったのです。
 そこがタバコやアルコールと違うところです。

 今、昭和30年代40年代の映画を見ると登場人物たちは実によくタバコを吸います。一説に、あれは俳優たちが手の演技に困って持ちたがるのだといいますが、スターがタバコを吸う姿は実に格好よく、その姿に似せようとする若者が出てくるのはある意味で当然でした。またタバコは反抗の象徴でしたからその意味でも子どもたちは手を出したがったのです。
 裏を返せば、タバコによって得られるメリットというのはその程度のものです。

 アルコールも同様で、大人が酔って騒ぐ様子は子どももよく見ていますからそれが気持ちの良い飲み物だと薄々は気づいています。しかししばしば見せられる醜態を思うと、何が何でも手に入れたい素晴らしいものだという気はしません。
 ですからタバコやアルコールについては害を伝えさえすれば、それらのメリットは簡単に乗り越えることができるのです。

 ところが麻薬や覚せい剤はそういうわけにはいきません。子どもたちは誰もそれを見たことも試したこともないからです。

 したがってある程度こちらから情報を出さなくてはならないのですが、教師として、
「これらには一度手を出したら二度、三度とやりたくなる素晴らしい効能があるんだよ」
とは口が裂けても言えないのです。

 

 【誤学習の話】

 学校教育には非常に危険な側面があります。誤学習です。
 例えば人権教育で、
「こういう言葉を使うと、言われた相手はほんとうに苦しい思いをするから決して使ってはいけません」
と教えたとき(もちろん一言で片づけるのではなく、もっと周到な授業によってそうした結論にたどり着くのですが)、99%の子どもは「使わない」と心に誓い、実際にそうしてくれますが、残り1%、いやさらにその百分の一くらいは、
「そうか、これを使えば相手を潰すことができるのだ」
と武器を手にした気になることがあるのです。

 もちろん「武器を手に入れた気持ち」ですぐに使うわけではありませんが、数日後、あるいは数週間後、数か月後、何かの折りに反撃しようと思った瞬間、サッと口をついてその言葉が出たりするのです。
 同じことは性教育でも国際理解教育でも起こりえます。

「大水のあとは魚が獲れやすいからといって川へ行ってはいけません」
 台風の翌日、そう言って指導した教師を知っています。「川が荒れると魚が上がる」は子どもにとっても周知のことだと思って言ったらしいのですが、初耳の子がいたとしたらその子にとっては耳寄りな情報です。最後の「行ってはいけません」など入って行かないかもしれません。

 子どもの前で何かを話すときは、いつもそうした危険のあることを考えていなくてはなりません。薬物乱用防止教育も、一歩間違えば「試してみたくなる子」を生み出すことになりかねないのです。

 

【今ならできる、しなくてはいけない】

「大人はなぜそんな危険な薬物に手を出すのか」
 30年前はどう答えたらよいのか分からなくて授業に取り上げるのを諦めました。しかし今は違います。薬物は当時に比べてずっと身近なものとなり、薬物中毒による事件はしょっちゅうニュースに取り上げられています。
 薬物そのものにも情報にも接しやすくなって、放っておいても「麻薬・覚せい剤の効能」といった話は入ってきます。

 今となっては、
「薬物には一時的に不安を除いたり気分が良くなったり、眠気覚ましや疲労回復の働きがあると言われているんだよ」
 その程度に押さえて先に進むしかありません。
 栄養剤だの眠気覚ましだのといって近づいてくる薬物に対する警戒心をしっかり植え付けておけば、普通の生活をしている限り、覚せい剤や麻薬の餌食になる可能性は少ないと思われます。

 とにかく薬物の危険性と薬物依存の恐ろしさを頭と心に徹底的に刷り込む――。
 薬物使用者の末路については、今の私だったら田代まさし氏に一役買ってもらうことを考えると思います。
 新聞記事を頼りに、ちょっと触れるだけでいいのですから。


(参考)
文科省「薬物乱用防止教育の充実について(通知)」