教育を語る人たちの一部は、客観的事実より主観的事実を優先する。
彼らにとって、
「明るく楽しく、みんなが行きたがる学校」は現実世界には存在しない。
「生徒に愛され、尊敬される教師」もいない。
子どもたちはいつまでたっても、未熟で主体性なく、守られるだけの存在である。
という話。
【事実は容易に捻じ曲げられる】
子どもの電話相談ボランティア「チャイルドライン」の代表者が
「それまでチャイルドラインに届くのは“学校に行きたくない”という声がほとんど、”学校に行きたい“と願う子どもたちが出てくるいなど想像もしていなかった」
と言っているにもかかわらず、尾木直樹氏は、
そんなこと(厳しい感染症対策)をやっていたらこどもは学校でのびのびできないですし、給食が食べられないという子が大勢出てきてしまってですね(中略)、そういう子ども(登校しぶり)は約33万人いるというんです。データもあるんです。
と言い、チャイルドライン代表が再び、
「自分たちはね、マスクをずっとしている、給食は、前を向いて、グループで食べられないのに、なんで大人は夜遅くまでわいわいがやがやと食べているのだと」
と言うと、所ジョージさんが
そうやって先生が杓子定規にいろんなものをダメ、そうやっちゃあいけないよ、ということになると、もう息苦しいもんね子どもも。
と、変わるべきは夜遅くまでわいわいがやがやと食べている大人ではなく、厳しい感染対策をする教師の方だといった言い方をします。
しかし本当に教師が態度を改め、給食中の感染症対策をやめてグループごと楽しくおしゃべりをしながら食べるようになっても困るので、「これをねえ、ぜひご家庭でも支えてほしいなあと思うんです。親も大変よ、分かるけど・・」(尾木)といった妙な場所へ着地させるしかなくなります。
何とも尻すぼみな終わり方で、結局、番組は「学校と教師の横暴は収まらない」といった印象だけを残して次の話題へと移っていきます。
しかしなぜこんなことになるのでしょう。
【評論家は科学を語らない】
マスコミや社会の一部は「学校がすばらしいところ」「子どもたちが行きたがる場所」「素敵な先生がいっぱいいるところ」という事実をまったく認められなくなっています。
尾木直樹先生は先月の朝日放送テレビのニュース情報番組「教えて!ニュースライブ 正義のミカタ」でも「いじめを原因とする小中学生の自殺は10人(3%)」という2019年の文科省の統計に噛みついて、
「これは信じられないでしょ。いじめ問題で亡くなった子がたったの10人はありえない。これだけ話題になって」
と断言しています(2021.04.24 東京中日スポーツ)。
文科省の調査で児童生徒の自殺の原因に関して、
原因不明が最も多く全体の約6割に近い「188」だった。そのほか家庭不和、進路問題、父母などの叱責(しっせき)がいずれも30を超えており、いじめ問題よりも多かった。
となっていることが許せないのです(数字は人数)。
自殺の原因なんて簡単に特定できるものではありませんし、正確なところは本人にもわからないことだってあります。ですから私はこの数字を非常に妥当なものだと思うのですが、尾木先生は信じない――。
それは安全と安心が異なると言われるように、科学的事実と感覚的事実が異なるからです。科学が何を言おうが、感覚がそれを受け入れないという人がいるのです。子どもの自殺はいじめが主因に決まっている――そういう人たちからすれば、学校が「楽しいところ」「すばらしいところ」「子どもたちが行きたがるところ」であるはずがないのです。
もちろん、尾木先生自身はそんな愚かな感情家ではありません。ただ一般庶民の感覚を適確にとらえ、それを(科学ではないという意味での)「科学的な言葉」で主張することがうまいだけなのです。彼はそれで飯を食っています。
ひとの怒りや不安を掻き立てることで金儲けをしている人は、世の中にいくらでもいます。
【子どもは学校が好きだという当たり前のこと】
実際にはたくさんの子どもたちが学校に行くことを楽しみしていて、チャイルドラインの代表者が言うように、
「学校が、想像以上に大切な場所であった。もちろん不登校の子どもたちにとっては辛い場所だったかもしれないけれど、一方では、仲間とのつながりを実感するとか、こころのケアだったりとか、要するに人間力を学ぶ場であった――」
のは事実です。
私もしばしば、
「子どもたちは勉強をするために学校に来るのではない。先生に会いに来るのでもない。彼らが毎日登校してくるのは友だちに会えるからだ」
といった言い方をしますが、これも誇張した言い方で、実は先生に会いたくて学校にくる子だっているのです。
東日本大震災の避難所で、願いを書いたノートを示す左の子の手元を見てください。
(この稿、続く)