すべてを見直す

 ある夏の午後、堤防の道路を車で走っていると俄かの土砂降りになり目の前が真っ白になりました。その先に若い女性の後ろ姿があって、見ると頭の上にバッグをかざし、急ぎ足で歩いています。そのときの私の車には人にやっていいビニル傘がひとつあって、それをあげたいのですが車を止めて声をかける勇気がでません。若者のような勇気のなさではありません。相手を無用におびえさせるのではないかと決断ができないのです。

 私が高校生の頃、土砂降りの中を歩いていると、それが男であろうが女であろうが、若かろうが年寄りであろうが、通りがかりの車が声をかけて乗せてくれることがありました。それどころか歩行者の方から手を振って車を止め、一般人に乗せてもらうことさえあったのです。

 またあるとき、ホテルで行われる会議に出席するのにウロ覚えの道を行ったらすっかり迷ってしまい、開始時刻も近づいて慌てふためいていると2〜3人の女子高生のグループを見つけました。そこでどうしたかというと、彼女たちをやり過ごして30mも離れた所で車を降り「スミマセ〜〜ン! ○○ホテルってこのあたりですか〜!!」

 まったく自分でも何をやっているのかと思うのですが、不審者と思われて警察を呼ばれることを考えると、そのくらいの安全策も必要です。

 人間はかなり大きくなっても頭をなでられたり手を乗せてもらうと心地よい、ということを私は知っています。そこで中学校の担任をしていた頃も、しばしば生徒の頭に手を乗せて誉めたりしていました。

 肩に手を置いて励ますこと、男子だったらヘッド・ロックで励ますこと、尻を思い切り叩いて後押しをすること・・・小学校の低学年の担任だったころには私の膝の上が子どもたちの一番の遊び場だったこともありました。

 逆に、生徒を殴ったことも罵倒したことも、原稿用紙20枚といった膨大な反省文を書かせたことも、ネチネチとしつこく、まとわりつくようにイヤミを言い続けたことも、怒りに任せて1時間近くも説教をしたことも、あります。

 それら全部が、今日では許されません。

 後者はもちろん、前者のような身体接触を伴う行為はすべてアウト。場合によっては一発でレッドカードです。

 最近ある中年教師から、若い先生がこんなことを言っていた、という話を聞きました。

「不祥事、不祥事って言ったって、やっているのは全員四十代〜五十代のベテランばかりじゃないか」

 その通りです。

 いかに教員の年代別で四十代〜五十代の人数が多いとはいえ、分別のすっかりついているはずの人たちの不祥事が多すぎます。

 それは不祥事の一部が、

「かつて許され(歓迎され)ていたことで、今はまったく通用しなくなっていることが、かなりある」

という事実に対する認識の甘さによるものだからです。中年教師が昔と同じやり方をすると不祥事になる、そういったケースが非常に多いのです。

 温情から行ったことは大抵許される、酔って行われたことのほとんどが酔いとともに忘れ去られる、教員のお茶目は人間性の表れ、授業の逸脱は先生の教育的サービス・・・そういったことはもう、全く、すべて、完全に、一部の隙なく、パーフェクトに、学校には、ないのです。

 何か本当に暗くなる話ですが、身の回りについてもう一度再検討しておく必要があります。自分のどこかにセクハラ・パワハラ・人権蹂躙、あるいはその他の不正に類する行為はないか。非常に偏ったものにしろ、見方を変えればそう感じられるようなことをしていないのか・・・。

 まったくウンザリするようなことですがいたしかたありません。