カイト・カフェ

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「アテが外れることの恍惚」~予定どおりに行かないことを喜べないと、授業はできない

 小学校の歴史でお家断絶(改易)を扱った時のことです。

(その前に)お家断絶というのは現代にあてはめると「超不況下での大型企業倒産」みたいなものです。要するに城下数百人の一族郎党が一瞬で職を失い、その家族が路頭に迷います。超不況ですから再就職ができません。
 そこまでが現代に似ている部分。似ていないのはその離職者たちが身分制度のために他の職業に絶対に就けないということです。

 もとが武士なので立派な体躯を持っているのに土木作業に就けない。それは農民階級の仕事であって、敢えて土方に出れば職域を侵すことになります。もちろん家庭菜園以上の農業もできませんし商売もできない。身分変更によって農民や町人になればいのですが先祖代々の武士階級を捨てることも容易ではありません。二度と武士にもどることができません。

 私がやったのは「その苛酷なお家断絶を扱うことによって徳川幕府の大名統制の厳しさを学ぶ」という授業で、今ではとてもできませんが特設14時間の壮大な単元です。
 そしてその最後の場面はこんなふうです。
(お家断絶の苛酷さを具体的に学んだ子どもたちが、江戸時代を通じて“お家断絶”が何件くらいあったのかを予想し、総数160件という数字に出会ってその驚きの中で、幕府の厳しい大名統制の実態を感じ取る)
 授業が佳境に入り、授業者である私は訊きます。
「さて、こういった大名家のお家断絶、江戸時代270年間でいったい何件くらいあったと思う? 予想を言ってごらん」
・・・しばらく息を飲むような沈黙が合って、次に大きな声が上がる―。
「一万件!!」

 その瞬間に14時間をかけた私の目論見は木端微塵になります。「一万」だの「十万」などといった数字が出たあとでは、「160件」はショボすぎます。
 あそこは予想などさせず、黙って「160」という数字だけを見せれば良かったのです。14時間も使ったのですから児童の大多数は「5〜6件」「もしかしたら10件はあるかも」と思っていたに違いありません。何もしなければ計画通りだったのです。それが「一万件!!」
 あの状況で「一万件」と言えるのは、よほど授業が分かっていない子か受け狙いのお調子者です。私はその「よほど授業が分かっていない」か「受け狙いのお調子者」の存在を、すっかり忘れていたのです。

 非常によく練ったはずの指導案で失敗するのは、大抵そんなときです。緻密すぎて子どもの本質を見落としている―。
 ここまでくるともう笑ってしまうか、そこまで完璧な裏切りに感服してしまうしか、どちらかしかありません。実際そのときの私は、肩を落としながらも笑っていたに違いないのです。

 教員として常に良い仕事をしたいと願い、繰り返し挑戦的な授業をしようとする場合、こうした完全なアテ外れは甘受せざるを得ません。
 上の例は私の迂闊さが生じさせたものですが、子どもが思ってもみない素晴らしい発言をして指導案を乗り越えてしまうこともありますし、とんでもない疑問が出されて授業が凍りついてしまうこともあります。いずれにしろ計画が計画通り行くようでは「まだまだ」なのです。
 生徒指導もまた然りで、いい加減にやっていればどうということはなくても、本気で取り組めば数々の「アテ外れ」に出会います。

 そして考えてみると人生そのものがそうで、自分が勝手に描いた夢や計画が“ちゃぶ台返し”でひっくり返されるのを敢えて笑って見ている、そんな生き方ができなければ人生は苦しくてかなわないのです。