カイト・カフェ

毎朝、苦みのあるコーヒーを・・・

「メランコリー」~人を助ける好機を逃す憂鬱

 毎年1月17日は「今日は阪神淡路震災のあった日です。小説「金色夜叉」の中で間寛一がお宮を蹴った日でもあります。山口百恵モハメド・アリベンジャミン・フランクリンアル・カポネといった人々の誕生日です」と、一つ覚えのように書いてそこから話を始めるのですが、今日は何となくメランコリーな気持ちで筆が進みません。メランコリーなんてずいぶん古い言い回しですが、他の言葉で置き換えがきかないのでこのままにしておきます。

 教師として、親として、人間として、私がいつも心にしていたのは「誰かを助けたい」ということでした。ずいぶん子どものころ、女友だちに「SuperT君は神様になりたいんだね」と揶揄され、相手がからかっているにもかかわらず「ああそうなんだ。自分は神様になりたいんだ」と思ったことがあります。
 当時は(そしてそれからずいぶん長い間も)まだまだ自分に手がかかり、自分をどうにかするだけでも手を焼いていたのに、それにも関わらず困っている人がいたら遠いところからお地蔵さんみたいに空を飛んできっと助けてやろう、そんなふうに考えていました(お地蔵さんは人が輪廻する六つの世界に、自由に飛び回って助けにいくと信じられています)。

 幸い教員になってからは困った子どもや保護者に手を差し伸べる機会は多く、齢を重ねるごとにそれなりに腕も上げてきました(教職は何しろ職人芸ですから年季がものをいいます。ただ齢を重ねるだけで技能が延びていく部分も少なくありません)。

 そうして確かに私の技術は上がってきたのですが、人を救う、人を助けるというのは技術だけの問題ではありません。「熟し柿は(自然に)落ちる」というように、何かその人を変える絶妙なタイミングがあって、それを逃すと二度と同じ程度の成果が得られない、そういう瞬間があるのです。

 例えば、ベストセラー「だから、あなたも生きぬいて」の著者・大平光代さんは22歳のときに父親の友人と再会し、そこで有益なアドバイスを受け、ヤクザの世界から足を洗って弁護士への道を歩み始めます。その時の「有益なアドバイス」が何だったのか、今は手元に本がないので確認できないのですが、そう大したものではなかったように記憶しています。誰もが言いそうなことで、それまでも誰かが言ったに違いないような普通の話。しかし絶妙なタイミングをつかみ、諦めずに語りかけた、そんな感じだったように思います。

 私のメランコリーはその「絶妙なタイミング」を逃したばかりに、今、人に切ない思いをさせているということに由来しています。
 本当は神様のように、お地蔵さんのように助けに行くのが仕事だったはずなのに、その時期別のこと(学校の仕事や別の人のこと)に気を取られていて、助けが必要な人に気づかなかったのです。

 世の中のすべてのことは取り返しのつくものです。この憂鬱な時間が終わったら(ホラ、もう“メランコリー”も“憂鬱”に変化している)、もう一度どこかに糸口がないか、探ってみましょう。

*大平さんと「父親の友人」との会話が分かりました。以下のようなものです。
「今さら立ち直れったって、なにを寝言ゆうてんねん。そんなに立ち直れってゆうんやったら、私を中学生の頃に戻してくれ」と私は言ってしまった。
 それを聞いた大平のおっちゃんは、このとき、初めて大声をあげた。
「確かに、あんたが道を踏み外したのは、あんただけのせいやないと思う。親も周囲も悪かったやろう。でもな、いつまでも立ち直ろうとしないのは、あんたのせいやで、甘えるな!」
と、他のお客さんが、カップを落としそうになるぐらいの大きな声と迫力で・・・・・。
<おっちゃん・・・・・いつも温和なおっちゃんが、あんな大きな声で・・・・・>
 落雷にあったように体中に電気が走った。
<やっと、私と真剣に向き合ってくれる人と会えた・・・・・>
 私はこのとき、生まれて初めて叱られたような気がした。