大学センター試験が終わりました。
今年は就職状況を反映して、より安定した理科系に志願者の集まる文低理高だそうです。しかしちょっと待って下さい。「理科離れ」だとか「理科系離れ」といった言葉が横行していたのはついこの間のことです。
「理科離れ」は、ウィキペディアによればこうです。
理科に対する生徒・児童の興味・関心が低くなったり、授業における理解力が低下したり、日常生活において重要と思われる基礎的な科学的知識を持たない人々が増えていたりすると言われる一連の議論である。科学的思考力や計算力の低下により、特に高等教育において授業の内容を理解できない生徒が増え、専門的知識・技能を有する人材の育成が難しくなることが問題として指摘されている。(中略)科学教育に関する一部の研究グループは、文部科学省が理科の学習内容を大幅に削減し、科学教育の質を低下させていることに対する揶揄を込めて理科離しと表現することがある。 また、高校の文理選択時や大学進学時などをふまえ、理系離れ、工学部離れといった言葉もある。
ここには二つの要素があって、ひとつは小中学生の理科嫌いの増加、もうひとつは大学進学における工学部志願者の減少です。
実際、読売新聞は用語解説で 、
「国際教育到達度評価学会(IEA)の2003年の調査によると、日本の子供の理科の成績は国際的に上位に位置しているが、理科への興味が低い。『理科の勉強は楽しいか』という質問に対し『強くそう思う』と回答したのは、小学4年生で45%(国際平均55%)。中学2年生になるとさらに下がって、19%と国際平均(44%)の半分以下だ。」と解説し、 大学進学については橋下前大阪府知事(現大阪市長)が主張「若者よ世界で主張せよ」(2010年10月25日 読売新聞)で次のように言っています。
「理科離れの典型として、1992年に62万人だった工学部の志願者は2009年に24万人弱になった。科学技術立国として成功させていく点で、教育体制に大きな課題が出ており、真剣に取り組む時期にきている」
そこから理科嫌いは教育体制の問題とされ、学習指導要領の見直しが行われて理数の授業が増やされるとともに、かつて外された難しい内容も戻ってきました。
しかし「理科嫌い」はほんとうに学校や「ゆとり教育」のせいだったのでしょうか。
成績が良いのに「好き」な児童生徒が少ないということに関しては、以前、「理数の成績の良い国の子どもは、すべて理数が嫌い」ということを資料付きで示しました(*)。成績で世界的レベルに引き上げると、覚えることも増え苦労が多くて嫌になってしまうのです。
そして今度は文低理高。要するに社会が理系を厚遇すれば理系に人が集まり文系に厚ければ文系に人が集まるのです。その証拠に、同じ理系でも厚遇の保障されていた医学部は一度も不人気だったことはありません。
リーマン・ショック以前、若者にとって最高の生き方はトレーダーでした。ホリエモンや村上世彰はコケましたが、汗水流さず、才覚ひとつで一瞬のうちに巨万の富を手にするのが才能のある正しい人間の生き方です。そんな時代に工学部へいってコツコツ研究するなど、アホらしかったに違いありません。 理系に人が集まれば社会のおかげ、人が去れば学校や教育のせい。
そんなはずはないでしょう。マスコミも政府も学校自身もそうですが、もう少し(ほんとうにもう少しでいいのですが)社会分析を科学的にできないものでしょうか。
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