先週金曜日の「チコちゃんに叱られる」で、
「お地蔵様は閻魔様だ」と言っていたが、
私はちょっと違うと思う。
地蔵菩薩はもっとすてきな、私のヒーローなのだ。
というお話。
【チコちゃんにひとこと言いたい】
先週の金曜日(21日)の「チコちゃんに叱られる」に、「お地蔵さんって何?」というのがあって、答えは「お地蔵様は閻魔様」でした。地蔵は閻魔の姿を借りて地獄にいる、あるいは閻魔が地蔵の姿を借りて現世で人々を見守っているというのです。
確かにそういう話もあって間違いではないのですが、地蔵菩薩を考えるとき、その入り口が「お地蔵さまは閻魔様」だと、この仏様の全体を理解するのが難しくなるのです。
私は地蔵尊の熱烈なファンですので、ひとこと言わずには気が済みません。
【仏様たち】
たった今、私は「この仏様」という言い方をしましたが、「仏様」には広義の「仏様」と狭義の「仏様」の2種類があって、前者は仏教に関わる全ての存在のことを言い、お寺に行くとそれが阿弥陀様であれ観音様であれ、あるいは閻魔大王や世親・無著であってもひとくくりに「仏様」といったりします。そのレベルの「仏様」です。
仏教では開祖の釈迦が、自分が会得した悟りは誰にも理解できないと早々に諦めてしまっていたのを、バラモン教の主神である梵天が盛んに乞う(梵天勧請)のでようやく重い腰を上げ、説法に向かったということになっています。ですから仏教は言葉や概念に厳密ではなく、そのことが日本だけでも五系十三宗五十六派と呼ばれる膨大な広がりをつくってしまい、仏教を拡大させるとともに多くの異説を取り込んでしまう原因となっています。
それほど寛容な宗教ですので、厳密には「仏(ほとけ)」ではない地蔵菩薩を、信仰心篤い人が「仏様」と呼んでも一概に間違いというわけにはいきません。それが広義の「仏様」だからです。
狭義の「仏さま」は、しかし厳密な概念です。別に「如来」と呼ばれるのも同じですが、皆、釈迦仏(釈迦如来)と同じく「悟りを開いた者」です。
廬舎那仏、阿弥陀仏、薬師如来、大日如来、弥勒如来などが有名なところで、いずれも欲望のから一切解放されているので、布一枚を体に巻き、装身具は一切身に着けず、静かに瞑目しています。修行の身ではないので頭も剃らずに、短く髪を伸ばしています(ただし天然パーマなので仏像ではイボイボみたいな形で表現されます)。
その仏(如来)の一つ下に位して、仏になることをめざし、修行を続けているのが菩薩です。まだ悟りを開いていませんから欲望も捨てきれず、菩薩像では冠をつけ、ネックレスやブレスレッドを大量に着けて欲望を表現するのが普通です。
菩薩の中で飛びぬけて有名で人気があるのが観音菩薩で、人々の悩みの応じて姿を変えるので、聖観音菩薩、慈母観音、如意輪観音、千手観音、不空羂索観音、馬頭観音など三十三種類以上もあります。
他にも日光菩薩、月光菩薩、勢至菩薩、虚空蔵菩薩と有名どころがずらっといるのですが、観音と並んでもうひと方、庶民の人気が高いのが地蔵菩薩です。
【地蔵菩薩】
地蔵菩薩像は他の菩薩像と違って、出家僧の姿で表現されるのが普通です。それは悟りを開いて自らが仏になることを諦めた存在だからです。
地蔵はその修行中、法力によって三途の川の賽の河原で、石を積む子どもたちの姿を見てしまいました。子どもは、“子どもでありながら死んで親を悲しませた”という重罪によって地獄からも拒絶され、鬼に責められて石積みの山をつくっては壊されているのです。
地蔵はそれを悲しく思い、修行を棄てて急遽賽の河原に向かい、子どもを助けようとします。これが「地蔵は子どもの神様」と言われる由縁です。
私は、この「自らの出世を棄てて、子どものためにかけつけた」というところが大好きなのです。
地蔵菩薩は古代インドや中国ではさほど注目される存在ではありませんでした。日本でも奈良時代や平安前期ではさほど有名でもなかったのですが、平安中期以降、浄土信仰が盛んになり、人は死ぬと極楽浄土に往生(往って生きなおす)するべきだといった考えが広まると俄然人気者になります。
というのは世の中のほとんどの人々は藤原頼通のように宇治平等院を建てて極楽に往こうなどと、考えることすらできなかったからです。極楽に往生できない者は、当時の常識では地獄に往くしかなかったのです。
誰か地獄に行った私を救ってくれる者はないのか――。
地蔵菩薩は子どものために自らの修行を棄てて駆けつけてくれるような存在です。地獄にだって来てくれるに違いありません。いや、人が死ぬと行くことになっている六つの世界(天道・人間道・餓鬼道・畜生道・餓鬼道・地獄道)の、どこへ行っても来てくれるに違いない――。
村の入り口や町の辻に置かれることの多い「六地蔵」は6人の地蔵を表したものではなく、六つの世界へ向かうひとりの地蔵菩薩の六つの表現です。地蔵は誰がどこに居ようとも、助けを求められれば飛んで行って救う意志があるのです。
やがて武士の時代になりますが、武士というのは必然的に人殺し集団、あるいは人殺し予備軍です。武士である限り死んだ後に行くべきは地獄のほかありません。そんなところから地蔵信仰はさらに強固になっていきます。
【私自身のこと】
若いころ、と言っても本当に若い、まだ中学生か高校生のころ、地蔵にはついて何も知らなかったのですが、将来に憧れたのはそういう生き方でした。宮沢賢治の言う、
東ニ病気ノコドモアレバ
行ッテ看病シテヤリ
西ニツカレタ母アレバ
行ッテソノ稲ノ朿ヲ負ヒ
南ニ死ニサウナ人アレバ
行ッテコハガラナクテモイヽトイヒ
北ニケンクヮヤソショウガアレバ
ツマラナイカラヤメロトイヒ
そういう人生だと言ってもいいでしょう。
そのことを、当時つき合っていた女の子に話すと、
「Tくん(私のこと)は神様になりたいんだね」
と、何か悲しそうに笑ったことがありました。
あれは何だったのか?
結局そうはならなかった今の私を、あの人は見通していたのでしょうか?